29年10月◆日
「馬鹿じゃないですの?」
いきなり意味不明の罵声を浴びせられた。
私でなくても戸惑うと思う。
『嫌われたいです』と態度に出して言われるとこちらとしても困る。
きちんとこの見合いを断っても不利益になるようなことはないと何度も説明しているし、会いたくないなら嫌われてようとせずとも、断ってくれていいと念押ししているのだが。
「こ、こんな品物で女の子が喜ぶとでも思って?」
ぷるぷると震える手で贈り物を拒んでいるが、誘惑に抗えきれないと心が透けて見えていた。
「しかし、買った物を返品するわけにもいきませんし、そもそも男には似合わないと思いませんか?」
頭をかきながら弁明を述べる。
少し頼りなさそうな姿を見せるのがポイントだ。
困っているのは確かだ。
こんな可愛い生き物を目の前にして、彼女の演技に付き合わなければいけないのだから。
猫ならば簡単に抱きしめ、もふもふを堪能できるのだが、華奢な彼女に行うとうっかり力加減を間違えてポッキリと折ってしまうかもしれない。
大人としてそんな無様な姿は見せられない。
しかし、無防備すぎる彼女の教育も進めなければ、この先が思いやられる。
私との見合いを断るということは、彼女には次の見合いの話が持ち上がるということで、四方八方から悪い男どもが彼女に狙いを定めるということだ。
そんなことはさせない。
保護者としては絶対に阻止せねばならぬ。
さて、どうしたものか。
強がっているものの、対面に座っている彼女の様子から心情は手に取るようにわかる。
机の上には、彼女が一目見てから視線を外せなくなっている“猫”ネックレスが置かれている。
今すぐ手に取りたい、身に着けたい──そんな本心が透けて見えていた。
「私の顔を立てると思って受け取ってくれませんか? 受け取ったなら香澄さんのものです。あとは捨てようが猫のおもちゃにしようがあなたの自由。そうでしょう?」
「え、ええ!? た、確かにそうだわね! ちょうど猫のおもちゃにいいと思っていたのよ」
確かにキラキラしていて猫の興味を惹きそうだ。
「では、私が着けてもいいですか?」
「え、ええ? しょうがないですわね。今日だけですよ」
装飾品を着け慣れていないのは見て取れる。
弱みにつけ込むようで悪いが、そのまま近づくとゆっくりと彼女の髪をかき上げた。
ほのかなシトラスと香りが首すじから漂ってくる。
白く、血管すら透き通るほどの肌のきめ細かさ。
触れれば壊れてしまいそうで、指先が一瞬ためらった。
いつまでも眺めていたかったが、そっとネックレスを着けた。
若いゆえに派手すぎないように、アレルギー対策も考えるとプラチナのネックレスしか選択肢がなかった。
彼女の幼い感じに合わせてデザインはシンプルで控え目、それでいて猫の存在感がある物を選んだ。
猫たちの好みとは違うが、猫じゃらしとして遊ぶ分には遜色はない。
ただ、彼女の胸元が彼らの爪の餌食になる可能性が高いだけだ。
「まあ、素敵だわ」
ゆっくりと離れようとしてる最中、自分の胸元に視線を落とした彼女の口から小さなつぶやきがこぼれる。
無意識なのだろう。
しかし、距離が近いだけにまともに聞き取れた。
年甲斐もなく少し胸が熱くなる。
「少し危険ですね」
「狙われるからかしら?」
「そうです」
「そんなに心配する事じゃないですわ」
くすくすと無邪気に笑う香澄。何もわかっていないのだろう。
胸元のネックレスを、獲物として狙うのは猫たちだけではない。男どもたちもだ。
胸元に飾りを着けるのはそこを見てもいいという許可であり、挑発でもある。
何も着けていない女性の胸元を見るのはマナー違反であり、逆ならば装飾品を盾に視線を送ってもマナーには違反しない。
「本当は──着けて欲しくない。いや、受け取っては欲しい。ああ、どうかしているようだ。忘れ欲しい」
「ふふ、変な人。ええ、今の発言は忘れて差し上げますわ」
ほっとするような、少し寂しい、そんな不思議が感情が胸の奥を通り過ぎていく。久しく感じたことのない感覚に少し戸惑う。
「あまり派手なのが似合わないのは自覚していますのよ。これくらいなのが丁度いいですわ。いえ、気に入ったわけではないけど──丁度いいのは確かだわ」
「他の男たちが着けている姿を見れないのなら今日は特別な日ですね。眼福ということで」
「あら? 必要ならお返ししますわ」
「ははは、降参ですよ。素直に私の負けです」
「あら? ではお会いするのは──今回で終わりですの?」
「残念ながら──明確に拒絶されるまでは。諦めてください」
「ふふふ、負けの意味がわかりませんわ」
「わかりませんか。それではわかるまで付き合っていただきましょう。お手柔らかにお願いします」
口元に手を当ててコロコロと笑う香澄の姿は会話の内容に反して、十分に成熟した女性に見える。
ぶもぅ。
膝の上にいるぶちゃいくが空気を読まずに二人の空間に割り込んだ。
撫でる手がお留守になっていると。
「ふふふ、はいはい。ごめんなさいね」
急かされ再び撫ではじめる香澄の視線が下に落ちる様子を眺めて、この瞬間がいつまでも続くようにと願ったのは仕方ないことだろう。




