29年9月△日
おかしい。
気がついたら待ち合わせの1時間前に店に着いていた。
ぼーっとしていても仕方ないので、入店して猫たちの相手をする。
一番にぶちゃいくが寄ってきた。
四度目ともなると顔を覚えていてくれたのだろう。
いきなり腹を見せてきて構えと要求してくる。
甘えではなく、ただの太々しさに見えるのが、ぶちゃいくのぶちゃいくがたる所以だ。
お望み通りに相手をしてあげる。
さわさわと優しくお腹を撫でてご機嫌を確認。
空いた手で喉の下もマッサージ。
一つづつ肉球を押し、爪を確認しつつ、眉間のツボを親指で回す。
ほっぺたのたるんだ肉の下、首すじを優しく指先で掻いてあげ、さらに他の肉球も揉みほぐす。
最後にお腹に顔を押し当てて完了の合図を出した。
ぶもぉー、という鳴き声とともにぶちゃいくは退席したが、その姿を見送りながら気がついた。
すでに周囲は囲まれていた。
いや、他の客たちの視線はどうでもいい。
10数匹はいるであろう店内の猫ほぼ全てに包囲されていた。
逃げ場はどこにもない。
香澄が来るまでまだまだ時間がある。
自分のうかつな行動を後悔しながら、猫マッサージ機と化し、無心で次々とマッサージする羽目になった。
10匹近くマッサージし終えた時に声をかけられた。
「大丈夫ですか? いったい何をなさってるのでしょうか?」
くりくりした目を大きく見開いて、首を傾げて問いかけてくる。
このあざとさが狙ったものでないというのなら──世界中の女の敵になるかもしれない。
「ああ、見苦しいところをお見せしました。ちょっと猫たちと戯れていただけです」
香澄に着席を勧めると素直に正面に座った。
ぶもぅ。
ぶちゃいくが鳴き声と共に姿を現すと定位置と化している彼女の膝の上にうずくまる。
マッサージを受けていなかった残りの数匹は状況を察したのか名残惜しそうな姿を見せつつも速やかに退散した。
その事により、他の客たちの視線も霧散したのが確認できた。
膝の上、撫でられているぶちゃいくはご機嫌のようで、ぐるぐるといびきにも近い唸りをあげている。
「猫の扱い方、お上手ですね」
「ええ、前に飼っていた子に似てますの。甘え方までそっくりだわ」
初対面の時の『ミックスこそ至高』とのつぶやきの謎が解けた気がした。
家柄的には血統書付きの猫を飼っていてもおかしくない彼女が混血、いや多分野良あがりの猫を飼っていた。
この事実は彼女への見方を少し変えさせた。
審美眼については少し疑問が出てきたが、それについてはささいなことだ。
容姿に自信のない私ですら選ばれる可能性、いや厳密には拒絶されない可能性があるわけだが、そこらにいる有象無象ですら彼女の相手になりえると考えると頭が痛くなる。
「失礼ですが、お亡くなりになられた?」
「今年の六月ですわ。お見合いを始める直前──あなたとお会いする前に。老衰ですから彼女も満足してると思います。
ええ、大往生ですわ」
にこやかに微笑みながら答える彼女の目は、どこか遠くを見つめ懐かしんでいるようだった。
長年連れ添ったパートナーを失った。その悲しみを埋めるために見合いを承諾したのだろう。新たなる人生のパートナーを見つけるために。
ならばなおさら見過ごすわけにはいかない。
彼女が野良猫を保護したように、世間知らずのお嬢様にはしっかりとした保護が必要だ。
「嫌でなければ、彼女との出会いなどをうかがってもよろしいですか?」
「ええ、よろしくてよ。
私が小学生に上がった年に捨てられていたところを保護したのですわ。まだ親離れできない小さな彼女にはしっかりとした保護が必要で──同級生たちのおままごとから奪ったのです……悪い女でしょう?」
「いえ、全然。いいことをしましたね。
同級生ということは小学一年。まだきちんとした分別がつかない年頃。可愛がることと生き物の命を預かるという区別ができてるはずもない。
あなたは一つの命を救ったのですから誇るべきすよ。他の誰がなんといっても私はあなたの行動を支持します」
「ば、馬鹿なんじゃないですか。簡単に判断するなんて──う、嘘を。そう、私が嘘をついているかもしれないでしょう!」
「そうかもしれませんね。でも、あなたはそんな嘘をつく人じゃない。それくらいはわかります」
嘘がつけるのなら馬鹿正直に『見合いを断れない』などと口にすることはないだろう。
他に深い考えがあるなら話は別だが──そんな素振りは見えない。
「お互いに相性が良ければ──」
「そ、そんなのは、早いですわ!」
「引き取るという手も──ああ、すみません。語弊があったようですね」
ゆっくりと香澄の膝で上機嫌なぶちゃいくを指先す。
それにつられ視線を膝に落として自分の勘違いに気づいたようだ。目を大きく見開いて顔が真っ赤になっていく。
「彼女があなたを気に入ったのならお店と相談したら引き取り可能なはずですよ。里親として」
「え、ええ。そうね。里親の話ですわね。ですが……まだ、エリザベス、彼女のことが忘れられないの。いえ、忘れるわけにはいかないわ」
なまじ似ているだけに、先代猫への想いが募るのだろう。我が家でも同じだ。
「我が家も似たようなものですよ。5月に20年近く一緒に育ってきた猫が亡くなりました。母も姉も気落ちして──そのとばっちりがこちらに回ってきた感じです。
新たな出会いがあったので満更でもないですがね」
「ふ、不謹慎ですわ」
「ええ、不謹慎ですね」
「こちらは人生が掛かってますのよ」
「ええ、私でよければ」
「揶揄ってますわね!」
ますます顔を赤くする。これほどわかりやすいと悪い男どもの格好の的になる。
「いえいえ、いたって真剣ですよ。あまりにも危うい──いや、それが魅力なんでしょうが──可愛い」
「あ、あなたなんて嫌いですわ! 私のことを明らかに子ども扱いしてますわよね」
「それはあなたがご自身で確認してください。
あなたが私を拒絶するなら、こちらから断りを入れましょう」
本気で拒絶されてまで付きまとえない。
完全に拒絶されていないからこそ今日も会えたわけで。
「ええ、それは理解しましたわ」
「嫌ならそう言えばいい。簡単でしょう?」
「そうね。すぐに言って差し上げますわ」
「ははは、お手柔らかに」
ぶもぅ。
ぶちゃいくが香澄の膝から降りると二人の中間まで進み身体を横たえると腹を見せた。
もう要件は終わっただろう。さあ奉仕しろと。
二人顔を見合わせると笑いを押し殺しながらぶちゃいくにマッサージを開始し始めた。




