30年3月◎日
「お母さま! それにお姉さままで……」
うっとりとした視線で斜め上の虚空を見つめている。
継母、いや、姑と小姑。若妻にとっては鬼門のはずだが、なぜこんな態度を?
明らかに喜んでいる。
もしかしたら、出会って今までのうちで一番喜んでいるかもしれない。
推しの意外な姿に驚いた。
確かに早く母親を亡くしているので、仕事で忙しい父親だけでは家族という温もりは不足気味だったのかもしれない。
幸いに来月から私たちは“夫婦”となる。思う存分、堪能──可愛がろうと思う。
それはそれは彼女が満足してとろけるまで。
それには母や姉が──姑、小姑が邪魔だと思っていたのだが、まさか彼女の望みと反対だとは思ってもみなかった。
大誤算だ。
新居候補の何軒かはすでに申込証拠金を払っているが仕方ない。返ってこなくても必要経費だとあきらめよう。
「ここですか? 何だか息苦しいわ」
一件目に案内した物件を一目見てつぶやく。
高気密高断熱、冷暖房完全自動管理の手間要らず。環境の変化に敏感な猫も大満足。
さらにエントラスまで3分。駅まで徒歩5分の好立地な高層マンション。4LDK、二人で住むには十分だ。もちろん、子どもや猫が増えても安心できる広さ。
息苦しさを感じるというなら、確かにそうかもしれない。
自然の空気の流れにはかなわない。
二件目に案内したのは6LDKの一軒家。新婚で住むには少し広い気がするが、生活するうちに物が増える。さらににぎやかになることを考えれば狭いよりはいい。
狭い方が推しと密着できるとか、そんなやましいことは考えていない。
誓ってもいい。
「小綺麗な家は嫌いなの。汚せないでしょう?だから新築は嫌いよ!」
生活感で汚れる。いや、猫が好き勝手して汚す。
それを否定するようなことはしたくない。
片付けができないと思われるのが嫌なのか。
そっぽを向いているが、推しの気持ちを間違えるわけがない。
我が家でも、猫に傷つけられる、壊されるからとしまっておくような品物なら最初から買わなければいい。そういう割り切りを教えられてきた。
物の価値は値段ではない。猫が壊してもいいか、駄目か、それだけだ。
「そうですね。もっともな考え方だと思います」
彼女の意見に賛同して三件目に移った。
郊外の一軒家、ひなびた外観が風景に溶け込んでいる。
そしてなんといっても一番の売りが囲炉裏である。茅葺き屋根も珍しいがさらに囲炉裏まである。
防犯上の懸念は多少あるけれど、猫の出入りが自由という利点まである。
ここが断られると後がない。
しかし、推しから無情な一言が発せられた。
「新居って必要ですか? そもそも実家があるのになぜ出る必要があるのかしら?お嫌いなんですか?」
一件目に案内した時から反応はおかしかった。
いや、新居探しだと車に乗せた時からおかしかった。
あの時に気づくべきだったのだ。
浮かれすぎて肝心の推しの気持ちを慮ることができていなかった。
これは次回につなげる反省点として覚えておこう。
「実家には父と母、その上にまだ未婚の姉までいますよ。お嫌ではないですか?」
「お母さま……」
「ええ、三人とも悪い人間ではないです。私が保証します。ただ──個性が強いんですよ」
「お姉さま……」
呆然とした口調でつぶやいている。無理もないだろう。一人っ子として育ったゆえ、姉妹なんて想像もできないのかもしれない。
「いきなり赤の他人と一緒に暮らすのは負担が大きいと思うのですよ──」
言いながら気づいた。彼女は嫌がってるわけではない。
その証拠にその唇がゆっくりと動く。
「素敵だわ……」




