幻想白~白砂
人間という幻想白とそれから生まれた幻想の物語。
幻想白=白砂
私はいつ、ここに来たのだろう。
何故、白い砂で埋め尽くされた地平線の先を見て歩くのだろう。
理由を考えた、考え尽くした。
だが、誰もいない世界で青空を見上げたとしても喜びも悲しみも感じなかった。
触覚も匂いも疲れや空腹さえ、この世界では一度も見つけられなかった。
それなのに歩いてしまう、先に何かがあるのか、抜け出せるのか。
考えたって分からなかった、この世界に意味があるのか、白い砂が広がる世界で私が歩き続ける意味はあるのか。
意味は見つけた。
私がこの世界から居なくなれば、誰もこの世界を観測できなくなってしまう。
存在は観測されないと無くなってしまう、記憶の中に残っていたって忘れて、無くなってしまう。
ただ一人存在している私は無くなることはない、何故なら世界は私を観測しているからだ。
世界は生きている、意味の無い世界だとしても。
白い砂の地面が広がる美しい世界は確かに存在している、私が認識できている。
私が認識する事でこの世界が消えることがなく、この世界に私が存在している事でこの世界は消えることがない。
実際に消えるわけではない、認識されている事は存在の確定であること、それをどうしても考えてしまう。
認識していなければ存在してないのも同じであり、観測する者がいなくなれば消えたも同然だ。
私は歩いている。
世界の端に辿り着くことはないかもしれない。
歩む事によって、いつかこの世界に頼らずとも自分の存在を証明できるかもしれないから。
白砂
公園などを散歩していると蟻を見かける。
他の虫もいるが、群れを成して
大抵はクロオオアリ、たまに蜜アリだろう。
田舎だと家に侵入してくるあいつだ、小学生の頃に台所に巣を作られて丸ごとリフォームした思い出があるあいつ。
まぁ、見ている分には頑張って生きている小さく儚い生き物でしかないのだが。
散歩していると、どうでもいい平和だからこそ浮かぶ考えがポンポンと出てくる。
蟻達は何を思って彷徨っているのだろうか、餌が欲しいのだろう、生きるためだろう。
だが、もし考える思考能力を持っているとしたら、この広い世界をどう見るのだろうか。
人間の尺度で考えたって広い世界を、蟻の視点で見た世界を、どう解釈して生きるのだろうか。
考えたって答えは出ないが、大方人間と同じだろう。
生き物はしたいことをして、最期まで生を全うするだけだから。
そんな事を考えながら散歩をしていたら、砂の上を蟻が歩いていた。
生きているということは素晴らしいと、再確認できた気分だ。
幻想白と白砂は基本的に繋がってます、内容は想像にお任せします。