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8話 避けられなかった結末

 給仕が得意ではないチェルシーにとって、主たちの茶の時間は常に緊張するものだった。いつも何か不備がないかとそわそわして落ち着かない。

 けれど、これほどまでに恐ろしい茶の時間は初めてだ。


「チェルシー、大丈夫かい?」

「は、はい!」


 勢いよく答えるも、チェルシーは俯いたまま顔を上げられなかった。


 目の前の席には男爵が座っている。使用人が主と同じテーブルについている恐れ多さと、これからどうなるのかわからない恐怖で頭がいっぱいだった。

 

「そんなに怯えなくてもいいよ。取って食いはしないんだから」


 朗らかに笑う男爵の声は澄んでいる。

 油断できない人物ではあるが、少なくともこの場ではチェルシーを危険な目に合わせるつもりはないのだろう。


 チェルシーは安堵のため息をついた。

 そして、先ほど淹れたばかりの茶を一口飲む。


「美味しい……」

「ふふ、口に合ったようで良かったよ」

「よい茶葉ですね。初めて飲むお茶ですが、美味しいです」


 男爵の友人が送ってきたという茶葉は、甘くて優しい味がした。

 チェルシーは安堵する。男爵からこの茶葉を使ってほしいと頼まれた時は不安だったが、うまく淹れられたようだ。

 もう一口飲む。心を安らげるような香りも好みだ。


「……君は、礼法を誰かに習ったのかい?」

「侍女長や同僚にですが……。あの、どこかおかしかったでしょうか……?」

「いや。平民の子なのに、綺麗な所作だったから……それに、彼女に少し似てる気がしてね」

「本当ですかっ!?」


 勢い込んだチェルシーの言葉に、男爵は目を白黒させる。

 はっとしたチェルシーは謝罪の言葉を口にして俯いた。


「実は、奥様の所作をこっそり真似してたんです。奥様、平民出だとお聞きしていたのに、生まれながらの貴族のように品があったから……」

「……そうか。ふふ、彼女の所作の美しさは社交界でも評判なんだ。最初は彼女を馬鹿にしていた夫人たちも茶会をするうちに認めてくれるようになったくらいでね」

「それはすごいですね」

「だろう? 彼女は、とても素晴らしい女性なんだ」


 顔をほころばせて、男爵は語る。その表情や声音から、夫人への強い愛情が伝わってくる。


(……どうして)


 男爵に問い詰めたくなる衝動をとチェルシーはテーブルの下で手のひらを握りしめてこらえた。


 どうして、夫人を愛しているのに彼女の村を焼き、親しい侍女すら消してしまったのか。彼女を苦しめる道を選んでしまったのか。


 チェルシーの内心の叫びをよそに、男爵の話は続く。


「とはいえ、彼女も最初はとても苦労したんだ。なにせ、茶会や礼法などと無縁の村で育ったからね。耐えきれなくて逃げだしてもおかしくはなかった。彼女には帰る場所があるからね。それでも、彼女はやりとげた。一度やると決めたら、絶対に成し遂げる人だったから。そのおかげで、どれだけ周囲に反対されても僕らは結ばれることができたんだ」

「奥様、飲まず食わずで抗議されたそうですね」

「……よく知っているね。そうだよ、身分違いの恋など幸せにはなれないとご両親も村の人たちも誰ひとり賛成してくれる人はいなくて。だから、彼女は僕と結ばれなければ不幸だと証明ししようとしたんだ」


 昔を懐かしむように、男爵は目を細めた。


「……でも、本当は彼女自身の気持ちを整理するためでもあったのかもしれない」


 男爵の声は風にかき消されそうなほど、小さかった。

 どういう意味だろうと眉をひそめるチェルシーに、男爵は微笑んだ。


「彼女にとって、家族も村の友人たちもとても大切な存在だからね。離れることは身を裂かれるようにつらかったんだよ。体を張った抗議は、未練を断ち切るためでもあったんだと思う。それほど、彼女にとっては家族や友人は大切な存在なんだ。よく家族や友人と連絡を取っていたし、時折寂しそうに故郷の方角を見つめていたから。……それでも、彼女は僕を選んでくれた。なのに、こんなことになってしまって……」


 男爵の声はかすかに震えていた。

 チェルシーは男爵が泣いているのではないかと焦ったが、予想外に彼は冷静だった。淡々と胸の内を語っている。

 自室に籠もっていた頃に、泣きつくして気持ちの整理ができたのかもしれない。


「寂しいけれど、彼女は僕にかわいい子を残してくれた。これからは彼女の忘れ形見を大切に育てて行くつもりなんだ。それが、彼女の願いでもあったから」


 良い事だ。大切な家族を亡くしたのはつらいだろうが、残されたものは生きていかなくてはいけない。

 心の支えがいたから男爵はこうして立ち直れたのだろう。

 両親を失ったチェルシーが生きる希望を持てたのも、マイロがいたからだ。


「……僕ばかり語って悪いね。ほら、遠慮しないで、菓子も食べて。僕は甘いものに興味がないからわからないけれど、侍女長は滅多に手に入らない菓子だと言っていたから。美味しいと思うよ」

「はい。ありがたく、いただきます」


 チェルシーは茶菓子を手に取り、目を見開いた。


「どうしたの? その菓子、あまり好きではなかった?」

「いえ! ……むしろすごく好きなお菓子です」


 侍女として働き始めてから、チェルシーは落ち込むことが多かった。覚悟していたとはいえ、仕事や作法を覚えるのは難しく、失敗ばかりしていた。

 そんな時、夫人はチェルシーを優しく声をかけてくれた。


『わたくしもよく失敗していたわ。前より良くなっているのだから、自信を持ちなさい』


 目の前で楽しみにしていたお茶をこぼして台無しにされたのに、夫人は微笑んでこの茶菓子を差し出してくれた。


 じわりと、視界が歪む。

 瞬きを繰り返して、涙をこらえる。


「チェルシー?」

「……奥様との思い出があるんです。だから、懐かしくなってきてしまって……申し訳ございません」

「いや……彼女のことを偲んでくれるのは嬉しいよ」


 男爵は夫人の部屋の隅に飾られた花に目を向ける。明るく黄色いその花は生前夫人が好んだ花だ。


「あの花、君が用意してくれているそうだね。掃除だけでいいはずなのに、毎日新しいものを飾ってくれていると聞いているよ」

「いえ、そんな……。ただ、あたしがしたくてしてることですから」

「それが嬉しいんだ。彼女のことを心から大切に思ってくれているんだろう? 生前もよく尽くしてくれて……おかげで、彼女も心穏やかに過ごせた」


 チェルシーはなんと返せばいいのかわからなかった。

 高貴な人からまっすぐに褒められて、動揺しているようだ。頭がはたらかず、言葉が出てこない。


 無言のチェルシーに気を悪くすることもなく、男爵は自身のカップに手を伸ばした。淡い緑の液体がなみなみと揺れる。

 チェルシーはぼんやりとそれを見ながら、淹れすぎてしまったのかと少し不安になる。だから、男爵は茶に手を付けなかったのだろうかと。


「チェルシー、君には本当に感謝しているんだ。親しい侍女を亡くして落ち込んでいた彼女を再び元気にしてくれた。……君にはずっと彼女に仕えてほしいと願っていた」


 男爵の声が不鮮明になる。嘘をついている時のノイズとは違う。どこか遠くから聞こえてくるようにおぼろげだ。

 体の力が抜け、テーブルの上に倒れ込む。ティーカップが床に落ちる音が聞こえた。


「彼女を死に追い詰めたのは僕だ。僕の弱さが、この結果を招いた」


 懺悔なのだろうか。チェルシーにはよく理解ができない。猛烈な眠気が襲ってきたから。


「本当は僕が彼女のそばにいきたいけれど……息子を無事に育てると約束したからね。彼に爵位を譲るまでは彼女の後を追うことはできないんだ。だから――」


 ゆっくりと、チェルシーの瞼が降りる。薄れていく意識の中で、はっきりとその言葉だけが響いた。


「代わりに、君が彼女のそばにいてほしい」

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