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5話 男爵家の専任薬師

「君が、チェルシーの幼馴染のマイロか」


 ディラック男爵は穏やかな笑みを浮かべて、チェルシーの隣に立つマイロを見やった。


「妻から聞いているよ。君はチェルシーが太鼓判を押す優れた薬師だってね。君の送ってくれた茶葉はとても美味しいと屋敷のものにも評判だそうだね」

「恐縮です」


 おや、と男爵が片眉を上げる。

 今のマイロの言葉や態度に何か失礼でもあったのだろうかとチェルシーは焦るが、当のマイロは気にした様子もない。


「なるほど。噂は本当のようだね。実に個性的な声だ」

「お聞き苦しいとは思いますが、発言は最低限に留めますので、ご容赦ください」

「いや、驚いただけで不快になったわけではないよ。気にしないでくれ」


 そのことかとチェルシーはほっとした。

 マイロの声は少々変わっているようで、たまに人に指摘される時があった。

 故郷の村や孤児院ではからかう子たちもいたから、よくチェルシーが抗議したものだ。

 今の街でも客に驚かれることが多かった。だが、それも最初のうちだけで、マイロの腕の良さにそのうち気にならなくなるようだった。


「妻はここしばらく気落ちしているんだ。チェルシーが来てくれてからは大分良くなったけれど、まだ心配でね。医師にも診てもらってはいるんだが、君にも力を貸してもらいたい」

「承知しました」


 男爵との挨拶を済ませ、チェルシーはマイロに誘われて街に出ることにした。

 見晴らしの良い公園に来て、マイロと並んでベンチに座る。周囲に誰もいない今なら話をしても問題ないだろうと、チェルシーはやっと安堵の息を吐いた。


「どうなることかと思ったけど……旦那様に認めてもらえて良かった」

「ああ。……だが、肝心なのはここからだ」


 声をひそめたマイロの言葉にチェルシーは頷く。

 チェルシーが問題なく侍女を辞める方法を探すため、マイロは危険を承知で男爵家に潜入してくれた。

 男爵夫人にお願いし、マイロを男爵家の専任薬師にすることまではできた。


「予想通り、俺のことは調べてたみたいだな。……まあ、貴族の専任薬師になるのなら、素性調査は当然だとは思うが」

「でも、これからどうすんの? あたしだけじゃなく、マイロも一緒に逃げ出す方法って難しいと思うけど……」

「一応考えはある」

「ほんと!? それなら、早速ーー」

「あくまで最終手段だ。なるべくとりたくないから、ぎりぎりまで別の方法を探す」


 前のめりになるチェルシーを制して、マイロは頭をかいた。困ったことがある時にマイロがよくする仕草だ。

 心配するチェルシーの視線に気づいたのだろう、マイロは苦笑を漏らした。


「いや、男爵は噂通りに達が悪そうだなと思ってな」

「そう? 穏やかな方だし、嘘もつかれたことないわよ。さっきの会話もずっと本音で話してらしたし。……あ! もちろん、ちゃんと言われた通り警戒はしてるわよ!? 能力も先日の村のこともバレないように注意してるし!」


 じろりとマイロに睨まれ、チェルシーは慌てて弁明した。


「……ああいうタイプが一番ヤバいんだ。絶対に関わらないほうがいい人間だ」

「そ、そんなに怖い人なの……?」

「ああ。……まあ、グダグダ言っても仕方ない。なんとかするしかないな。それより、夫人の方はどうだ?」

「奥様は……やっぱり私達の調査結果に半信半疑だったわ」


 マイロと相談し、男爵夫人の故郷が焼き討ちにあったことは夫人には知らせないでおくことにした。たとえ男爵にそれを隠したとしても夫人は男爵への不信感を抱くだろうし、男爵は絶対にそれに気づくだろうからと。


 男爵の調査通り、村は洪水の被害に遭い、夫人の幼馴染は村にも近隣の街にもいなかった――夫人にはそう報告した。

 夫人はそれを受入れた。だが、その言葉にはノイズがはいっていた。彼女は心から納得はしていなかっただろう。


 けれど、彼女は完全に故郷のことにはけりをつけたようだ。


『いつまでも現実から目をそらしては駄目ね。さみしいけれど、故郷のこともあの子のことも受け入れないといけないわ』


 そう呟いた声は綺麗に澄んでいたから。


「そうか。……夫人の件に関してはこれ以上できることはない。お前もそう割り切れ。とにかく最優先は無事に逃げ切ることだってのは忘れんなよ」

「うん。……マイロ」

「なんだ」

「……ごめんね、あたしのせいで巻き込んじゃって」


 チェルシーはうなだれた。マイロの力になりたくて侍女になったのに、逆に危険な目に合わせることになってしまった。

 

「お前の独断だったら何としてでも止めたけど、ルーイさんの推薦だからな」


 マイロはドライな人間だが、恩がある人間には義理堅い。特に命を救ってもらった人間の頼みは断りきれないのだ。


「こうなったら、なるようにしかならないだろ。悪いと思ってんなら、詫びに今度またあの焼き菓子食わせろ」


 チェルシーは顔を上げる。少し照れくさいのか、マイロは視線をそらした。


「前に作ってくれただろ? ……あれ、美味かったから」


 パン屋の勤務最終日に作ったあの菓子のことだろう。

 マイロにあげたものの、感想などは一切なかったから、てっきり口に合わなかったのだと思ったのに。


「……うん。いっぱい作る」

「よし、なら話は終わりだ。行くぞ」


 マイロは立ち上がると、チェルシーの背を軽く叩いた。




 人嫌いのマイロが人の多い男爵家でやっていけるのか不安だったが、意外にも彼は周囲に馴染んでいるようだった。


「大抵の人間は俺と距離を置きたがるが、ここの奴らはそんな気配すらないな。男爵が問題ないと判断したから、警戒されてないんだろう」


 マイロはそう推測した。


 それも要因のひとつではあるだろう。この屋敷の人々は男爵に強い信頼と忠誠心を抱いているから。

 だが、それだけではないことをチェルシーは知っていた。


 マイロは、チェルシーが無事に逃げ出す方法を見つけるために苦手な人付き合いをこなしているのだ。

 チェルシーは申し訳無さにいたたまれなくなった。だが、自分がすべきなのは侍女の仕事だと言い聞かせ、日々を過ごした。




 穏やかに時は流れた。

 男爵夫人は故郷を思い出しているのか、時折寂しそうな顔をしていたが、そんな時はすぐに他のことをして気を紛らわしていた。以前チェルシーに言った通りに現実を受け入れようとしているのだろう。

 男爵も相変わらず人当たりが良く、夫人や子息とも仲良く過ごしていた。


 夫人の村の惨状が嘘のように平和だった。だが、その日常もある日突然終わりを迎えた。


「チェルシー!」


 調理場で夫人に出す茶菓子を選んでいる時に、同室の侍女が駆け込んできた。

 慌てた様子の彼女に、チェルシーは作業の手を止める。


「どうしたの? もしかして、またネズミが出た? 任せて、すぐに退治するから――」

「違うの!」


 侍女は首を振る。チェルシーを見上げたその顔が、泣きそうに歪む。


「奥様が……奥様が倒れられたの……」

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