2話 新米侍女の能力
チェルシーは大きく深呼吸をした。緊張で震える手を握りしめ、仕える主、ディラック男爵夫人を見つめる。
夫人は華やかな香りのカップを手に取ると口をつけた。お茶を飲む仕草も優雅で美しい。
貴族然としたその立ち振る舞いは元平民とは思えないほど洗練されていた。
「あら……上手くなったじゃない、チェルシー。温度も蒸し加減も最適で、とても美味しいわ」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
淹れたお茶を初めて褒められ、チェルシーはそれまで必死で保っていたすまし顔から一転して破顔する。
あとで練習に付き合ってくれた侍女長や同僚にも報告に行かなければ。
はしゃぐチェルシーを微笑ましそうに見つめ、夫人はカップを綺麗な所作で置いた。
「あなたがここに来て、もう半年経つのね。……ふふ、最初の頃は緊張してお茶をこぼしてしまうことも多かったのに、今ではこんなに美味しく淹れられるのだもの、やっぱり伸びしろがあったわね」
「あ、あの頃は本当にご迷惑をおかけしました……!」
「いいのよ。完璧に仕事をこなせる侍女が欲しかったのなら、最初からそうした子をルーイに頼んでいるわ。給仕なら他の使用人にも頼むことはできるもの」
男爵家には優れた使用人がたくさんいる。
チェルシーが入った当初、教師兼サポートとして複数の侍女がついてくれた。
けれど、夫人付きとなったのはチェルシーだけだった。他の侍女たちは夫人の身の回りのことを手伝うこともあるが、常に待機しているのは何故かチェルシーのみだ。
「わたくし、あまり多くの使用人が傍にいるのは苦手なのよ」
顔に出ていたのか、チェルシーの疑問を読み取ったように夫人は口を開いた。
「貴族の女性は常に複数の侍女を連れているけれど、わたくしはひとりくらいでいいの。あなたのような子がね。おかげで毎日賑やかで楽しいわ。ルーイが戻ってきたら、お礼を言わなくてはね」
夫人は鈴を転がしたような美しい声でそう言うと、もう一口お茶を飲んだ。
「そういえば、今日のお茶はいつもと少し香りが違うわね。味は同じだけれど……」
「あ。薬師の友人が香りの良い茶葉を送ってくれたんです。さっき使用人のみんなで飲んだんですけど、すごく評判だったんです! それで、奥様にも是非飲んでいただきたくて……」
「ふふ、それは嬉しいわね。薬師の友人というと……マイロという子だったかしら? あなたの幼馴染の」
マイロのことは以前夫人に話したことがあった。話の流れで軽く一度触れただけだったのだが、覚えていてくれたのかとチェルシーは喜んだ。
「はい。手紙で連絡をとってるんです。お茶のことも相談したら昨日茶葉を送ってくれて……」
「そう。なら、わたくしは彼にも感謝しないといけないわね。こんなに香り高いお茶を飲むことができたのだから」
「ふふ。奥様が気に入られたと知ったら、マイロも喜びます」
夫人はチェルシーの言葉に優しい笑みを返し、ポツリと呟いた。
「昔馴染みの子と手紙を送り合えるのは良いわね。……羨ましいわ」
夫人は故郷の人たちと連絡をとっていないのだろうか。そんな疑問が顔に出ていたのか、夫人は付け加えた。
「辺鄙なところにある村だから、なかなか連絡がとれないの。でも、みんな変わらず元気にしているみたいよ」
夫人の声に、耳障りなノイズが混じる。
彼女は嘘をついているのだとチェルシーは悟った。
チェルシーには人の嘘を見分ける能力があった。嘘をついた人間の言葉がノイズ混じりに聞こえるのだ。
物心ついた頃には既にこの能力を持っていたが、そのことはマイロしか知らない。彼がチェルシーの力に気づき、それを隠したほうがいいと教えてくれた。稀有で利用価値の高い能力は悪人に狙われるかもしれないからと。
人の言葉に雑音が混じるのは不快ではあるが、便利でもあった。
相手の嘘を見抜けることは、搾取や誘拐の危険に晒されやすい孤児にはありがたいものだ。特に頭を使うことが苦手なチェルシーには大変役に立った。
これまで何度この力に救われたのかわからない。
夫人に仕えて半年、彼女が嘘をつく場面を何度か目撃したが、どれもたわいのないものか相手を気遣ってのついたものだった。
今回のような一抹の寂しさや不安を感じる嘘は初めてで、チェルシーは見て見ぬふりができなかった。
「あの……奥様」
「なにかしら」
「その、ですね……えーっと……」
チェルシーは今まで人の嘘に関わろうとしたことはなかった。能力が発覚することを恐れたからだ。
だから、どう切り出していいのかわからない。
まごつくチェルシーを夫人はじっと見つめた後、小さくため息をついた。
「やっぱり、あなたは勘が鋭いのね。……わたくしが嘘をついたことに気がついたんでしょう?」
「……はい」
「ふふ。いいのよ、そんなに恐縮しなくても。初めて会った時から、あなたは人を見る目があるんじゃないかと思ってたから」
「え……」
そんなにわかりやすい反応をしていただろうか。
面接時の言動を振り返ってみるが、特段おかしなところはなかったように思う。
「あなたは、あの人への……旦那様への反応が他の子たちと違ったのよ」
夫人は口もとに笑みを浮かべる。
「あの人、物騒な噂が流れてるでしょう? だから、みんな最初は怯えるの。なのにあの人を見た瞬間、警戒を解くのよ」
「旦那様、かっこいいですもんね……」
「ええ。だけど、あなたはずっと顔をこわばらせたままで……安心したのはあの人がわたくしと話し始めた時」
チェルシーは記憶を探る。
確か、夫人と話をしている時に男爵が現れた。彼は朗らかな笑顔でチェルシーに話しかけてくれたが、チェルシーは萎縮しっぱなしだった。
男爵は夫人にも声をかけた。愛情深い夫婦の会話が鮮明に聞こえたことで、夫人を無理やりさらった彼の悪評が嘘だとわかり、他の噂も含めて汚名を着せられただけの人だと判断したのだ。
「あの人の顔ではなく、私とあの人の会話で人となりを察して信頼できると判断したのでしょう? あなたを採用した一番の理由は、その洞察力よ。……わたくしの侍女を務めるのなら、あなたのような人がいいと思って」
どういう意味だろうかと考えるチェルシーに、夫人は微笑んだ。
「おかわりをくれる? 美味しくて、あっという間に飲みきってしまったの」
「え……あ、はい! すみません、気づかなくて……!」
急いでお茶を注ぐ。
慌てなくていいのよと夫人は穏やかに声をかけてくれた。
「あなたの幼馴染がいる街って、ここから遠く離れているのかしら?」
「いえ。乗合馬車で一日ほどです」
「それなら、幼馴染の子にも会いに行きやすいわね」
夫人に尋ねられるままに、チェルシーはマイロやかつて住んでいた村のことなどを話した。
「まあ、猟をしたこともあるの?」
「はい。父が猟師で、よく手伝いをしていたんです」
「すごいわね。わたくしの村にもお転婆な子はいたけれど、猟までしていた子はいなかったわ」
「うちの村でも女の子で猟をしていたのはあたしくらいでした。虫とかネズミとかもよく退治してました。からかわれたりもしましたけど……でも、森を歩くのに慣れていたおかげで行方不明になってた友人を見つけたこともあるんですよ」
「あら。お手柄ね」
夫人は聞き上手で、最初は緊張していたチェルシーもだんだんと饒舌に語るようになっていた。
「ふふ。あなたの話は面白いわね」
チェルシーの話を笑顔で聞いていた夫人はお茶を口にする。
静かにカップをソーサーに戻し、チェルシーに視線を向けた。その瞳には先程までとは違い、どこか切実な色が宿っている。
「チェルシー。実はね、あなたにお願いがあるの」