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12話 歯に衣着せぬ幼馴染

「これ、この間手当してもらったお礼!」

 

 翌日、チェルシーは満面の笑顔でジャーキーを差し出した。

 

「あたしの獲った鹿で作ったのよ」

 

 チェルシーはマイロの横に座り、父親が猟師で時々仕事を手伝っていることやあの日は獲物に気取られぬように木を使って移動していたところを足を滑られたことなど、聞いてもいないのにペラペラと話し始めた。

 

「あんたの薬、すごかったわ! あっという間に治ったの」

「……叔父に言え。叔父が作ったものだ」

「薬くれたのはあんたじゃない。叔父さんにも言っとくけど、あんたにもお礼を言いたいの」

 

 チェルシーはいくらマイロが素っ気なくしても気にしなかった。彼女は森に入る日は必ずと言っていいほどマイロを探し、雑談に興じた。

 面倒だったが、チェルシーは村の娘だ。邪険にして追い払って村の人間の反感を買うのはもっと面倒だったから、適当に相手をしていた。無視することも多かったが、チェルシーはあまり気にしないようだった。

 

「お前、よく俺と話できるな」

「なんで?」

「俺の声は気持ち悪いだろ」

「マイロの声が? むしろ綺麗じゃない」

「……は?」

 

 屈託のない笑顔でそう言ったチェルシーに、マイロはこれまでにない怒りを感じた。

 

 ひどい侮辱だ。とことん自分を馬鹿にしている。この声は誰が聞いても醜い声だ。わからないとでも思っているのか。


「ふざけるな! 下手な慰めでも言えば、俺がお前に心を開くとでも思ってんのか!? そういうの、気持ち悪いんだよ!」


 怒鳴り声になると、ひび割れたマイロの声は一段と不気味に聞こえる。

 だが、チェルシーはさして気にした様子もなく、普段通りに言葉を返す。

 

「村の人があんたの声を嫌ってるのは知ってるわよ。でも、あたしは汚いとは思えないからそう言ってるだけ。……あたしが聞き苦しいと思う声の人は他にいるもの」

「そんなやついるわけないだろ!」

「いるわよ! ジョンとか」

「はっ! よりにもよってジョンかよ! 嘘も大概にしろ!」

 

 ジョンは村一番の美声だ。噂を聞きつけた街の人間からスカウトが来て、来年には教会の声楽隊に入る予定があるほど人を惹きつける美しい声だった。

 しかも、ジョンは自分の対極にいる醜い声のマイロを何かと目の敵にしており、しょっちゅう冤罪を着せては仲間と共に制裁を加えてくるやつだ。

 

「嘘じゃないわよ。ジョンの声も普通にしている時は綺麗だと思うけど、時々変にノイズが混じってきついのよ」

 

 何を言っているのかとマイロは眉を顰める。

 だが、自分がここまで怒りをぶつけてもチェルシーは動じない。澄んだ目でマイロを見ている。

 

 まさか、彼女は本心でマイロの声を誉めているのだろうか?

 

「それに、他の人たちの声もたまにノイズが入るの。ジョンほどではないけどね。いつもクリアに聞こえるの、あんたの声だけなのよ」

「俺の声だけ、クリアに……?」

 

 不思議なチェルシーの体験に、マイロの怒りは完全に静まった。

 何故マイロの声だけ綺麗に聞こえるのか。マイロはそれが気になった。

 

 チェルシーにどういう時に雑音が入るのか詳しく尋ね、ひとつの仮説を立てた。

 

「お前、嘘をついている人間の声がノイズ混じりに聞こえるんじゃないのか?」

 

 村の人間は性格も能力も家庭環境も様々だ。彼らとマイロが違う決定的な部分は、嘘をつくかつかないかだ。

 

 村人は人間関係を重んじる。だから、時には相手への気遣いや自分の利益のために嘘をつくことがある。

 だが、村人たちから除け者にされ、濡れ衣を着せられ続けたマイロは嘘をつく必要はなかった。むしろ、積極的に本音を伝えていたくらいだ。本心を包み隠さず伝えると、相手は自分の前から立ち去ってくれるから。

 

 あくまで仮定ではあったが、チェルシーは何度か試してみて、相手が嘘をついていると思われる時にノイズが聞こえることが確定した。 

 

「あたし、そんな能力があったんだ! びっくりしたわ!」

「……お前、それは誰にも言わないほうがいいぞ」

「え。なんで?」

「ろくでもないやつに利用されるからだ。たとえ嘘を見破れたとしても、相手がそれを上回るずる賢さを持っていることもあるんだ。まともな人生送りたければ、黙ってろ。俺も誰にも言わないから」

 

 不満そうだったチェルシーは、マイロの言葉を聞いて真剣な顔で頷いた。

 マイロの言葉に嘘偽りがないとわかったからだろう。

 

 それからしばらくは穏やかに過ごせた。

 チェルシーが本当にマイロの声を嫌悪していないとわかると、彼女を鬱蒼しく感じることはなくなった。チェルシーの明るさに絆されたのか、彼女となら話すのも悪くはないと思うようになった。

 

「チェルシー、お前、最近あの化け物と森で話してるって本当かよ?」

 

 森へ向かう途中、そんな声を聞いてマイロの足が止まる。これはジョンの声だ。

 

 マイロは物陰に隠れ、周囲を伺う。いつものように森に入る準備をしていたチェルシーに、ジョンが近づいていくのが見えた。

 

「……化け物って何よ? あたしは森ではマイロとしか会ってないわ」

「そう怒んなって。僕は親切で声をかけてやってるんだぞ? あんな醜い声の男と関わるだけお前が損するだけって」

「おあいにく様、あたしが誰と付き合うかはあたしが決めるわ! それに、あんたらにもマイロに嫌がらせはするなって散々言ったはずだけど? 馬鹿らしいことしてないで、もっとマシなことに時間使いなさいよ! もし、次マイロを侮辱すること言ったら、許さないから!」

 

 チェルシーはジョンの返答も待たずに立ち去った。

 ひとり残ったジョンが大きく舌打ちをする。マイロは彼にバレないように、そっと森へと向かった。

 

 


「マイロ、今日は遅かったわね!」

 

 先ほどのジョンとの不穏な会話などなかったかのように、いつもの場所にいたチェルシーは明るかった。

 

「チェルシー、お前なんで毎日ここに来てるんだ?」

「あんたに会いたいからだけど……。あんた起きたらすぐに森に行くし、街ではなかなか会えないから」

「明日から来るな」

「え……」

「迷惑なんだよ、お前。もううんざりだ。顔もみたくない」

 

 チェルシーが呆然とマイロを見つめる。その目が赤くなったかと思うと、涙が次から次へと溢れ始めた。

 

 マイロはチェルシーのことなどどうでもいいと言うように、チェルシーから目を逸らして定位置に座り込んだ。覚悟していたとはいえ、チェルシーの泣き顔に胸が痛む。


(でも、こうしたほうがこいつのためだ。ジョンはチェルシーが俺と親しくなることを許しはしないだろうから)


 幼い頃から除け者であったマイロとは違い、チェルシーは村の一員だ。マイロと関わることで、彼女までジョン達の標的にされるのは嫌だった。

 

「嫌……なんで」

 

 チェルシーの震えた声が聞こえる。

 マイロは目を伏せた。強く拒絶をしていれば、彼女は諦めて自分に寄り付かなくなるはずだ。

 

「なんで、あんたの声までノイズが入るのよ!」

 

 マイロは顔を上げる。そうだった、チェルシーは声で嘘を見抜ける力がある。

 彼女を拒絶することに必死で、そこまで考えが及ばなかった。

 

「チェルシー……」

「わかったから! あんたがそこまで言うなら、もう近づかないから! だから……それ以上嘘はつかないで」

 

 縋るように願うチェルシーに、マイロははっとした。

 

 チェルシーは雑音の多いジョンの声を汚いと言った。彼女にとって、ノイズの入る声は耐え難い苦痛なのだろう。

 ジョンが特別ひどいだけで、村人たちも大なり小なり嘘をつくのが日常だ。チェルシーにとって、村での生活は聞き苦しい雑音に溢れている。


 そんな中、マイロの声は唯一クリアに聞こえていた。

 人に嫌われるマイロにとってひとけのない森が唯一の安全地帯であったように、チェルシーにとってマイロの声は唯一落ち着ける声だったのかもしれないと。

 

 それはマイロにとって、衝撃の事実だった。

 

「悪い。もう二度と嘘は言わないから。……お前がここに来たければ、いつでも来ていい」

「……本当?」

「ああ」

「嬉しい! ありがと」

 

 チェルシーが涙を拭いながら微笑む。

 マイロの心臓がうるさいほど高鳴り、ひどく落ち着かない気分になった。けれど、嫌な気持ちではなかった。

 むしろ、これまでにないほど満たされた気持ちだった。彼女のためにできることはしたい、しようと誓った。

 

 マイロがチェルシーへの恋心を自覚したのはこの時だ。

 

 

        

(あれは、ちょうど十歳の頃だったな)

  

 年端も行かない幼い頃の話だ。けれど、マイロにとってはその誓いは生きる指針となった。

 

「あんた……ここまで付き合ってきて……まさか、あの時約束したから、その責任で……?」

 

 過去を振り返っていたマイロの耳に、チェルシーの独り言が届く。

 随分と自分を買い被ってくれているようだと、マイロは苦笑を漏らした。

 

 逃亡生活は苦労の連続だった。チェルシーの安全を最優先に行動していたため遠回りをしなければいけないことが何度もあった。今後のことを考えると節約もせねばならず、頭を悩まされた。

 たかが約束を守るためだけにあの苦労を負うほど、マイロは誠実ではない。相手がチェルシーだったから、彼女のために動いただけだ。

 

 ルーイを尊重していたのも、チェルシーが彼を恩人として大切にしていたからだ。そうでなければ、最低限の関わりだけで済ましていた。

 

 ルーイもマイロのそうした性質に気づいていただろう。彼に出会ったばかりの頃はまだマイロも幼く、取り繕うのも下手だったから。

 出会ったのが今であれば、ルーイに気取られない自信はある。ディラック男爵のように。

 

 マイロと男爵はよく似ている。かつてチェルシーに言ったことは事実だ。

 愛する女のためなら、なんでもできる男。人を傷つけることも、誰かを騙すことも厭わない非情な人間。


(俺と男爵の違いは、罪を犯すことを愛する女が許すか許さないかだな)

 

 たったひとつの違い。だが、大きな違いだ。

 それが違うだけで、男爵は夫人を失い、マイロは今もチェルシーの傍にいるのだから。


 男爵夫人は男爵の恐ろしさを含めて愛した。彼がどんな罪を犯そうが、深く心を痛めながらも彼を許した。

 だから、男爵はそれに甘えきって凶行を止められず、夫人は罪悪感に耐えきれずに心身を病み、儚くなった。


 けれど、チェルシーはマイロが誰かを傷つけることは許さないだろう。マイロをひどく叱り、場合によっては二度と会わない選択肢をとるかもしれない。

 だから、マイロは一線を超えない。これまでもこれからも、決して道は違えない。 


 まだショックを受けている様子のチェルシーを見ながら、先ほどの少女の会話をふと思い出す。


(いい加減、きっちりけじめをつけないとな)


 両思いであることは気づいていたが、想いを伝えるタイミングを図っているうちに今のままの関係を続けてしまった。

 マイロは軽く深呼吸すると、口を開いた。

 

「責任じゃない。ただ、お前が好きだからだ」

「……え」

 

 チェルシーの目が、こぼれ落ちんばかりに見開かれる。

 これほど驚いた顔を見るのは初めてだ。

 

「それは……」

「人間としてや友達としてじゃなくて、異性としてだ。……じゃなきゃ、夫婦になろうだなんて提案しない。俺は昔からお前が好きだよ」

 

 チェルシーの顔が赤くなる。みるみるうちに目から涙がこぼれ、マイロに抱きついた。

 

「ほんとよね……? 夢じゃないわよね!?」

「お前、今はっきり俺の言葉聞いてただろ。その耳は節穴か?」

「だって……」

「お前みたいな、そそっかしくてドジで考えなしの危なっかしいやつなんて、俺以外に手に負えないだろ」

 

 歯に衣着せぬマイロの言葉に、チェルシーは心から嬉しそうな笑みを返した。

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