07:誰かの気配
閉店後の空気は、少し冷たい。
ミラ・アマリは肩に手提げ鞄をかけ、人気のない裏通りを歩いていた。夜の旧市街。石畳は湿って黒く、街灯もまばらで心細いほどだった。
週末の夜にしては、やけに静かだった。
遠くから猫の鳴き声が、ひとつ。
(……この道、やっぱりちょっと暗いな。でも、早く帰れるし)
慣れた道のはずだった。けれど、ある瞬間、足が止まった。
胸の奥で、ざわりと何かが動く。鼻先に触れる、微かで不確かな“匂い”。
振り返る。だが通りには誰もいない。ただ、風が植え込みを揺らしただけだった。
「……気のせい?」
小さく呟き、歩みを再開する。だが数歩進んだところで、再びぴたりと立ち止まった。
――やはり、人の匂いがする。近くに、誰かがいる。
(……気配だけじゃない。これは)
視線は前を向いたまま、背後を意識する。
もう一度振り返るのは恐ろしく、彼女は肩をすくめるように歩調を早めた。
何者かが近くにいるのは間違いない。けれど、その姿は見えない。
意図も、目的も、わからない。
それでも立ち止まるわけにはいかなかった。
ミラは路地の終わりまで進み、次の角を、躊躇なく曲がっていった。
その背に、夜風が追いついてくる。
旧市街を一望できるビルの屋上。
夜の風がソーレン・ウルフの頬をなでる。
彼の視線は、下の通りへと注がれていた。
狙っていたのは――レイブンバンクの構成員「モズ」。今夜この近辺に現れるという情報を得ての張り込みだった。
だが、その視界に映ったのは思わぬ人物だった。
(……ミス・アマリ?)
思わず目を細める。
ミラ・アマリが、なぜこんな時間にこんな場所を――。
しかもよりによって、レイブンバンクの出没エリアで。
不審者の類ではなさそうだが、彼女が巻き込まれていないとは言い切れない。
ソーレンの眼差しは、自然と彼女の動きを追っていた。
そのときだった。
通りの先、濃い闇の中で、何かが動いた。
黒い影――モズ。
滑るような足取りで、わずかな距離を移動し、暗がりへと姿を消す。
一瞬だったが、ソーレンにはわかった。
(最悪だ……彼女とモズが、鉢合わせしかけている!)
旧市街の路地は入り組みが激しく、少し目を離せば姿を見失う。
「クソッ……なんでこんな道を……!」
苛立ちと焦燥が混じった吐息を漏らし、ソーレンは屋上の縁へと身を乗り出す。
それから一瞬の迷いもなく、闇のなかへ身を投じた。




