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04:午後の観測

店内に広がるコーヒーの香りが、微かに鼻を擽った。

ソーレン・ウルフは、ゆっくりと顔を上げ、窓の外へと視線を滑らせる。


曇りガラスの向こう、古びた時計台が午後三時を知らせていた。

人波は穏やかで、交番前にはいつも通り、通学帰りの子どもが二、三人。

その先には、歩道の縁石が陽光に鈍く光っている。


《カフェ・アローム》。

この席から見える景色は、街の脈動を測るには都合がよかった。


(散歩中の犬がよく通る道。子どもの帰宅は午後三時を境に増える。バイクの音が途切れるのは四時少し前……)


手帳のページを一枚めくり、数行を書き加える。

ペンの走る音と、店内に満ちる柔らかな空気。神経の糸が、ほんの少し緩んだ。


そんなとき、不意に声がかかった。


「お決まりでしたら、お伺いします」


視線を戻すと、そこにいたのはさきほどまで棚を整理していた店員の女性だった。

セミロングの髪に、柔らかい色のエプロン。名札には「アマリ」とある。


(……この店に似合う、落ち着いた声だ)


「おすすめは?」


問いかけに、彼女はわずかに瞬きしてから、静かに微笑んだ。


「――おすすめは、“アローム・ブレンド”です。少しスパイスが効いています」


「では、それを」


言葉を交わす間、彼女の目は逸れなかった。まっすぐ、迷いのない視線。

その目の奥で何かがきらりと光った気がして、ソーレンは一瞬、言葉を探した自分に気づく。


やがて、カップがテーブルに置かれ、淡く立ちのぼる香りが空気を変える。


「……ありがとう、ミス・アマリ」


礼を言いながら、自然と彼女の動きに目が向いた。

接客の所作は淀みなく、声の出し方も通っている。

客商売に慣れているのだろう。だが、それ以上に――


(妙に耳に残る声だ)


カップを持ち上げ、一口。


熱と香りが舌を包む。深みのある苦味と、わずかな甘み。

その奥に、スパイスと……何か温かいものが潜んでいた。


(……何だ、この感じは)


懐かしさではない。だが、脳の奥をくすぐるような印象が、ふと立ち上る。

それは香りのせいか、あるいはこの場所そのもののせいか。


「……いい香りだ」


悪くないな、声には出さず、そう思った。

彼の中で「この店」は、観察対象からわずかに外れた。

ごく自然にまた来るかもしれない場所に変更されたのだ。


ただ――

そう思いながらも、彼の記憶に残っていたのは、カップの香りではなく。


……アマリ。

あの視線の真っ直ぐさだった。


それが、後にどれほど彼の中で大きくなるのか、今はまだ知らないままに。

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