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31:鴉の爪

――夜。静まり返る倉庫街。

街灯はほとんど機能しておらず、月明かりだけが辺りを照らしていた。

煉瓦作りの古びた倉庫が無言で並び立ち、風に煽られた埃と乾いた葉が足元を這うように通り過ぎる。

クロウは漆黒のモッズコートの裾を揺らし、足を止めた。

ソーレンとクロウ――二人の男が、数メートルの距離を挟んで睨み合う。



「……クロウ⋯⋯!!」


ミラが、押し殺すような声で名を呼ぶ。

その声音は怒りとも恐怖ともつかぬ震えを含んでいた。


だが、黒い影の男は何も応えない。

クロウはただ、無表情のまま彼女を一瞥し、次にゆっくりと視線をソーレンへと向ける。


「……あんたが“ウルフ”か。部下が報告してきた。随分としぶとい男だってな」


低く、感情のない声。それは「警戒」と「処理対象としての認識」を示す、冷徹な評価だった。



ミラの手が震えている。ソーレンの背中越しに、クロウを睨む。


「……あなたは、11年前、私の家族を――」


「そうか?」


クロウがミラを見る。その目には、罪悪感どころか、記憶すらなかった。


「事故か任務の一環か……覚えてないな。残された側ってのは、いつも感傷にすがる」


「っ……!」


ミラが一歩前に出ようとした瞬間――


「下がれ、ミラ」


ソーレンが低く言い、ミラを隠すように一歩前に出る。

ハンドガンを肩のホルスターから抜き、銃口をクロウに向け睨み返す。


「光栄だな。クロウ。ようやく会えた」


「初対面だが、どうやら俺にご執心らしい。……知り合いか?」


ソーレンの拳がわずかに震える。鋭い金色の瞳が夜の闇を裂いた。


「……今まで消してきた刑事の顔なんて、覚えてないか……!?」


クロウは小さく鼻で笑い、肩をすくめる。


「さあな。いちいち名前も顔も記録してたら、夜が明けちまう」


「……俺のバディは、お前のせいで現場を離れた。もう歩くのもやっとだ」


「さぁな、すまんがさっぱり覚えてねぇな」


脳を焼くような怒りにソーレンの喉から狼の唸りのような声が漏れた。


「……だがまぁ、あんたが倒れてくれれば、あの女を始末するのも楽になる」



(……俺がここで倒れたら、ミラは……)


ソーレンは目を細め、わずかに身を落とす。闘志がにじみ出るように、闇の中でその体が静かに燃え上がった。

熱くなりすぎてはいけない。怒りで沸騰した頭ではこの男を倒せない。



「……ソーレン・ウルフ。仕事を邪魔されるのは好きじゃねぇんだ」


「邪魔? そりゃ悪かったな。だが今回は――潰してやるよ」


クロウの手が静かに動いた。

黒い手袋に包まれた拳が、空気を切る。


次の瞬間、ソーレンの弾が発射された――が、


クロウの姿は、もうそこにはなかった。


「ッ!」


ソーレンの体が弾けるように後ろへ跳ぶ。

コンテナの影――そこに、音もなくクロウが回り込んでいた。


憎悪や怒りといった感情を感じさせない純粋な殺意が、鋭く殴りつけてくる。


ソーレンはわずかに身をずらし、間一髪でかわす。

だがクロウの拳が横のコンテナに衝撃波を走らせ、鉄板が凹む。


「おいおい……随分な“あいさつ”だな……ッ!」


ソーレンは銃を投げ捨て、身構える。

構えは重心低く、熟練の格闘術そのもの。


クロウの動きはただ相手を殺す事を目的とした機械のようだった。無駄がない。容赦もない。

しかし、ソーレンの直感と鍛え上げた反応速度は、そう易々とは崩れない。


拳と拳、足と足が夜に火花を散らす。


足元の砂利が飛び散り、ブーツが擦れる音と同時に、

ソーレンの肘打ちがクロウの顔面をかすめる――が、ギリギリで躱される。


「……思ったより、やるな」


クロウが、僅かに口角を上げた。


「だが――終わらせる」


その瞬間、彼の気配が変わった。

それは、今までの探り合いとは違う、“殺しに来る”構え。


ソーレンもまた、鋭く息を吐く。

構えを変え、短剣を引き抜いた。


ミラが倉庫の柱の影で、息を呑む。

ふたりの殺気が、夜の空気を裂いた。その場の温度が一瞬で凍る。“殺すか、殺されるか”だけの世界が、静かに幕を開けた――。

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