30:影の出現
薄闇の倉庫から出ると、夜風が頬を撫でた。
ソーレンは警戒しつつ傷と裂けた上着を確認する。
ミラもまた、一度深く息をつき、周囲を見回す。
「……大丈夫? 切られたところやっぱり大怪我よ⋯⋯」
ミラが声をかける。
彼女の口調に、先ほどまでの刺々しさはない。
緊張の糸が少しだけ緩んだ証だ。
「かすっただけさ。ホークに比べれば、俺は運がいい」
ソーレンはそう言って笑みを浮かべるが、その声に張りはなかった。
満身創痍だった。敵は3人。だが、それぞれが確実に“殺しに来ていた”。
そんな中――
ミラの足が、ふと止まる。
鼻先がピクリと動き、顔つきが変わった。
「……っ」
「どうした?」
問いかけるより先に、ソーレンはミラを庇うように前に出る。
「……匂いがする」
「匂い?」
「煙草でも香水でもない。……革が焦げたみたいな、獣の匂い」
ミラの目が、闇を見据えるように細まる。
声には震えがなかったが、彼女の手が無意識にソーレンの背を掴む。
それは――彼女の“記憶”に刻まれた匂い。
ソーレンも、感覚で悟る。
視界の外。倉庫街の奥――光と影の狭間に、“何か”がいる。
次の瞬間、風が揺れた。
誰も歩いてこなかったはずの通路に、満月が一つの影を落とす。
静かに、だが確実に――その中から、“何か”が姿を現す。
黒髪。黒い瞳。黒いモッズコートに、ブーツの音さえ殺すような歩み。
その男は、まるで夜そのものだった。
「……クロウ」
ミラが、押し殺した声で呟く。
その瞬間、ソーレンの指がハンドガンに触れる。
クロウは何も言わない。ただ、ソーレンを見つめる。
その黒い眼は深く、冷たく、夜の底を覗くようだった。




