29:鷹狩り
金属製の階段を登る音が、煉瓦の壁に吸収されて消えてゆく。
灯りの届かぬ高所。梁の影に、静かに一つの視線が潜む。
ホークはそこにいた。
暗闇に溶けるように身を伏せ、息を潜める。視線だけを研ぎ澄ませ、通路を進む二人を捉える。
(……来い、もっと近くに)
彼の目は、スコープを凌駕する“異能”だった。
物陰、銃口、眼球の動きさえ視える。
彼はずっと“監視する側”だった。
秘密も、戦慄も、敗北も──常に見下ろす側だった。
だが――
「そこにいるのね」
ミラの声が、鋭く空気を切る。
ホークの全身が硬直した。
彼女の目は彼を見ていない。
なのに――“こちら”を正確に指していた。
(……バカな……なぜだ……なぜ、俺がここにいると分かった?)
彼は動けない。
動けば音が出る。視認される。狙撃のリスクが跳ね上がる。
けれど、それ以上に、脳裏に渦巻いていたのは――
“俺が見られている”という異様な感覚だった。
背後から、眼ではなく、“何か”が自分を追ってくる。
嗅覚? 感情? 意識? そんな曖昧なものに負けるはずがない……
なのに、心臓は音を立てて暴れだす。
「あなた、ずっと覗く側だったんでしょう?」
ミラの声が響く。
「見られる怖さ、初めて知った?」
ぐらり、とホークの内側が揺らぐ。
(俺が……俺が覗かれてる……? そんなバカな……)
今までの勝利は、全てこの“目”で得た。
スコープなど不要。物陰の獲物を狙い撃つのが自分の矜持。
それが、いまや無力に感じられる。
(気配すら見せず、音も立てず……俺を暴く?)
膝に、力が入らなくなる。
喉が渇く。汗が、耳の後ろを伝う。
足元がぐらりと揺れたような錯覚。
次の瞬間――
「今だ!」
ソーレンの声と同時に、影の中から閃光が走る。
彼のハンドガンから発射された一発が、ホークの肩を撃ち抜いた。
「ぐ、ああああっ!!」
梁の上でバランスを崩し、ホークの身体が転がる。
鉄骨に片腕で必死にしがみつくが、負傷した肩が支えにならない。
「ちょ、ちょっと待て……っ、まだ……まだ俺は……!」
彼は喋りながら、手のひらを滑らせた。
油と血と汗で湿った手のひらが、鉄に爪を立てても支えきれない。
「うわあああああっ!!」
ホークの身体が落ちた――
鉄骨から落下し、下階の木箱や廃材の山へと叩きつけられる。
――ドガンッ!
乾いた鈍音。
埃が舞い上がり、しばしの静寂。
やがて、微かな呻き声が上階まで届く。
「……ぅ……っ、ああ……」
ソーレンがミラと共に、手すり越しに下を覗く。
「生きてるな。意識はあるか……いや、ほとんど飛んでるか」
ミラは冷静に鼻をひくつかせて頷く。
「……案外、軽傷ね。もっと痛い目見せてやればよかったかしら。」
ソーレンは小さく息を吐き、ハンドガンを静かにホルスターへ戻した。
残るのは、埃の匂いと沈黙だけだった。




