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19:刃と残り香

 紙袋に入った朝食用のパンを手に、二人は並んで歩いていた。目指すのは、いつものカフェ・アローム。


 すれ違う人の数もまばらな朝の通りで、ミラはふと足を止めた。


 ――いる。いや、“いない”のだ。気配がなさすぎる。だからこそ逆に、いる。


 気配の「なさ」が、逆に嗅覚を刺激する。風に溶け込むには不自然なほど希薄な空気。その隙間に紛れた、わずかな金属の匂い。そして昨夜の夢に似た冷たい残り香――スターリングのもの。


「ウルフさん……」


 声にする代わりに、ミラはソーレンに駆け寄り、そっと腕に触れた。


 「後ろ……二人。あの女と、ピジョン。来てる」


 ソーレンの目が細められ、わずかに顎を動かして周囲を確認する。彼女の言葉を信じ、動きが変わったのが分かった。




 その瞬間だった。


 通りの向こうにいた通行人の影から、一瞬だけ光がきらめく――


 パン、と短く乾いた音。ピジョンだ。存在感を限界まで希薄化し、小型の銃口を隠しながら、周囲の雑踏に紛れていたのだ。


 ミラの警告がなければ、確かに見落としていただろう。だがソーレンはすでに反応していた。


 「伏せろ!」


 ミラの肩をつかんで引き寄せ、花屋の軒下に飛び込む。銃弾が木柱に食い込み、破片がぱらぱらと舞った。

通行人の悲鳴があがり周囲はたちまちパニック状態になる。


 それと同時に、スターリングが動いた。


 「邪魔よ、どきなさいッ!」


 ピジョンの銃声に合わせるように、ソーレンの死角、斜め後方から斬りかかる。手には軍用ナイフ。精度もタイミングも鋭い――だが。


 「甘い」


 ソーレンは軸足を後ろにずらし、ナイフをぎりぎりで躱す。そして腕を絡め取るように動いて、逆にスターリングの動きを封じる。彼女は以前の戦いで彼に敗れていた。癖も、タイミングも、既に読まれている。


 「ッ、この……!」


 怒声とともにもう一振り、だがソーレンの肩を掠めただけで、すぐに制止された。



---





 一方、ピジョンは明らかに動揺していた。ハンドガンを持った手が震え、撃てば撃つほど周囲の視線が集まる。

 存在感を消す術を持つ彼にとって、その視線は刃より鋭い。


 「ば、ばか……なんでこっち見るんだよ……ッ!」


 再装填しようとした瞬間――


 「やめろ、やめろ、俺は……!」


 その叫びを遮るように、ソーレンの蹴りが炸裂する。

 銃を弾き飛ばされ、同時に鳩のようにふわりと浮いて、地面に転がった。


 「ぐっ……!」


 そのまま頭を強打し、ピジョンは意識を失った。力なく伸びた指が、銃へも逃げ道へも届くことはなかった。



---



 その瞬間を、スターリングは逃さなかった。

 「ピジョンを助ける」などという意図はない。だが、やつが倒されたその“隙”は、使える。


 「ッらぁぁあッ!!」


 ナイフを逆手に持ち直し、捨て身で突進。ソーレンの懐に斬り込む。

 かすかにソーレンの腕を裂く。だが――それ以上は許されなかった。


 「二度目はない」


 ソーレンの左腕が素早くスターリングの手首を捉え、捻ってから、足を絡めてバランスを崩す。

 ナイフが地面に跳ね、スターリングの体が地面に背中から崩れ落ちた。だが、彼女は歯を食いしばり体勢を戻そうとするが、その動きすら封じられる。


「……ッ……!」


 彼女は憤怒と敗北の混じった叫びを上げたが、それ以上暴れることもできなかった。



---



 その時だった。


「ソーレン!」


 裏通りから複数の足音。イーライが、数人の私服警官を引き連れて駆けつけてきた。


 「間に合ってよかったな」


 「少し遅かったな」


 そんな言葉を交わしながら、ソーレンはスターリングを引き渡そうとする。だが、ふと動きを止める。


 ――ミラ。


 ソーレンはゆっくりと振り返り、花屋の軒下に残っていた彼女へと歩み寄った。戦闘の混乱で埃が舞い、床には花瓶の破片と血の跡、そして踏み潰された花弁が散らばっている。

だが、彼女の視線はしっかりとこちらを捉えていた。


 「怪我は?」


 短く、だが低く落ち着いた声。その目には、戦闘の緊張とは別の色が宿っている。


 ミラは驚いたように目を見開き、少し遅れて微かにうなずいた。


 「……平気。ウルフさんこそ、腕……」


 「かすり傷だ」


 そのやり取りを、少し離れたところで見ていたイーライが、ふと眉を上げた。


 「……へぇ?」


 「なんすか、その顔」と隣にいた部下が小声で聞くと、イーライは目を細めてにやりと笑った。


 「ソーレンが“怪我は?”なんて言うとはな。誰か録音してないのか」


 「ウソだろ?あの人、撃たれても“問題ない”しか言わないのに……」


 二人の囁き声が聞こえたのか、ソーレンがちらりと鋭い目線を向ける。


 「……聞こえてるぞ」


 「やべっ」


 だがミラだけは、彼の表情の奥に浮かぶ、わずかな安堵と動揺の色を見逃さなかった。


 いつもと違う。けれどそれは――悪くない。


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