14:静けさに差す影
事件のあの日以来、ミラの生活には一つの変化があった。
毎朝、そして毎晩、ソーレンが彼女を迎えに来るのが日課になったのだ。彼は時間が許す限り、カフェでコーヒーを一杯だけ飲み、ミラと何気ない会話を交わしてから帰っていく。無骨な男にしては、ずいぶん律儀な送り迎えである。
だが、変化が日常に溶け込めば、それはやがて“慣れ”に変わる。
ソーレンもミラも、少しずつ警戒心を緩めていた。
「今夜は、外せない用事がある。迎えには行けそうにない」
夕方、カフェの裏口でソーレンが申し訳なさそうに言った。
ミラは首を振って微笑んだ。
「大丈夫よ。今は警官の巡回もあるし……少し歩けばタクシーも拾えるから」
ソーレンは数秒黙ったまま彼女を見つめ、低く言った。
「……気をつけて。何かあったらすぐに電話を」
その言葉が、妙に耳に残った。
数日前――
カフェには一人、印象に残らない客がいた。背は低く、どこか所在なさげにメニューを眺める姿は、ただの通りすがりのようにも見えた。ミラも特に気に留めなかった。
だが今夜。カフェを閉め、商店街を抜けて住宅街へと向かう道すがら、風に乗って鼻を掠めた匂いが、ふと記憶を呼び起こした。
(……この匂い。あのとき、カフェに来ていた……誰か)
ミラは足を止め、ゆっくりと辺りを見渡した。
視線では何も捉えられないが、鼻が告げている。確かに、誰かがいる――しかも、複数。
心拍が早まる。一番近い交番までまだ距離がある。
その遠く離れたビルの屋上。ホークは視線を離さずに、隣に立つルークとモズに呟いた。
「……妙に勘のいい女だな」
――その時、四つの影が路地の暗がりから音もなく現れた。
先頭を歩くのは、異様に厚い首と、拳ほどもある関節を持つ大柄な男――ガル。
その背後を、猫のような動きのスターリングが追い、さらに影のように静かな二人――ドードーとピジョンが続いた。
「……ミラ・アマリか」
ガルが嘲笑うかのように見下ろしてくる。
ミラはすぐに後ずさろうとしたが、背後の道はすでにふさがれていた。
静かな足取りながら、ピジョンは確実に彼女の退路を塞いでいた。
(囲まれてる……)
ミラはゆっくりと深く息を吸い、呼吸を整えた。
脳裏に浮かんだのは、あの低く落ち着いた声。
――気をつけて。何かあったらすぐに電話を。