13:静かなる再燃
夜の帳が街を包む頃、閉店間際のカフェ・アロームでは、最後の客が帰っていく所だ。
カラン、と鈴が鳴り、入れ違いにソーレン・ウルフがやってきた。
カウンターの奥、ミラが小さく息をのんだ。
「……来てくれたんですね」
その声には、驚きと、どこかほっとしたような響きがあった。
「警察が君のアパート近くにもパトロールを配置した」
ソーレンは落ち着いた口調で言う。「今日は、家に帰れる」
それは報告とも、優しさともつかない、不思議な温度の声だった。
「ありがとうございます……」
ミラは小さく頭を下げる。
「家まで送る」
彼は当然のようにそう告げた。
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街路灯が、湿った石畳をかすかに照らしていた。
ふたり並んで歩く道は、昼よりも静かで、心なしかやわらかかった。
「……今日は、昼間より穏やかですね」
ミラの呟きに、ソーレンがふと眉をひそめる。
「ミス・アマリ、じゃなかった……ミラ」
「じゃあ、私も“ウルフさん”って……」
くすりと笑ったミラに、ソーレンは短く息を呑んだあと、
「……ああ、ミラ」
と、少しぎこちなく応えた。
名を呼ぶということ。それは、距離を詰める小さな契約のようなものだった。
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ミラのアパートに辿り着くと、彼女がポケットから鍵を取り出す。
「じゃあ、ここで……」
「開けろ。俺が先に入る」
前に出るソーレンに、ミラはわずかに戸惑いながらも従った。
ドアが開き、ソーレンはすっと中に足を踏み入れる。
わずかに身を沈め、部屋の空気を嗅ぎ、静かに目を走らせた。
窓の施錠、足跡、家具の移動――異常はない。
ただ、生活の気配も、匂いも、ほとんどない部屋だった。
「窓、ロックよし。足跡なし……問題ない」
低く呟くその声に、ミラが困ったように眉を下げる。
「まるで、任務みたいですね」
「任務だ」
即答するソーレンの背中は、どこか寂しさを湛えていた。
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玄関の前で、ふたりは向かい合う。
「今日は……本当にありがとうございました」
「俺の仕事だ」
ミラがドアノブに手をかけたそのとき、背後から声が届く。
「ちゃんと鍵をかけろ。二重に」
ミラはふと笑みを浮かべる。
「……はい。おやすみなさい、ウルフさん」
「おやすみ、ミラ」
静かに閉じた扉の向こうで、鍵の落ちる音が響いた。
けれど、それよりも長くミラの耳に残ったのは、
彼の、低く、どこまでも優しい声だった。
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港湾沿いの暗がり。
古びた橋の下に、煙草の火がちろりと灯る。
イーライ・シェパードは、いつものように黙って煙を吐き、
その一本をソーレンに差し出した。
「レイブンバンクが動き出した。襲撃事件、手口が派手だったろ」
ソーレンは煙草を取らず、ただ前を見つめた。
「……ああ。ホークとルークもいたな」
イーライはわずかに眉を上げる。
「それだけじゃねぇ。……クロウが動いてる可能性がある」
その名が出た瞬間、ソーレンの表情が変わった。
無意識に握った拳に、筋が浮かぶ。
「彼女は、大丈夫か?」
「……俺が守る」
金色の目が、夜のなかでギラリと光った。
風が吹き、波が鈍く打ち寄せる音が響いていた。
その先にある闇が、ふたたび輪郭を帯びてきていた。