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中編


 ラモーナは早速次の日に何かを仕掛けたらしい。まるで私が指示するのを待っていたような速さだ。付き合いの長いラモーナの事、そろそろ私が動きそうだと準備をしていたのかもしれない。


 どのような事をするのかは(あらかじ)め教えられている。だが具体的には教えてくれなかった。しかし、ラモーナも娘がいる身なのでそこまで大事(おおごと)にはならないだろう。

 

 私の目的は化粧品を盗むのをやめさせる事。勿論、買収された侍女の解雇もする。当然だろう、主人のものを横流しするなど許されぬ事だ。


 さて、結果はいつ頃出る事になるのか。私は近い未来訪れる出来事に胸をはずませた。



「まんまと取っていきましたよ」


 そう報告を受けたのは、その日の夜だった。いつも通り、肌の手入れをしてくれていたラモーナは満面の笑みを浮かべていた。

 あまりの早さに驚いたが、減り方を考えるとやはり毎日盗んでいたのだろう。もしかしたらその日使う分を少量づつ取っていたのかもしれない。だとしたら本当に愚かだ。


 ラモーナの手には昨日と同じ化粧水が握られている。そして全く同じ瓶がドレッサーにも一つ。違いは容量だ。ドレッサーのものはラモーナが持つものと違い、ほぼ新品と同様に入っている。


「大胆不敵よねぇ」


「笑っちゃうくらい早かったですよ。ヘレネが朝食をとりに下へ降りて直ぐでしたもの」


「早すぎるわね」


 新品のものは光に翳せば僅かに減っている事がよく分かった。


「一体何を入れてあるの?」


 そう、ラモーナが考えた事は単純に化粧水の中身を変える事。変えられていると知っている私が見ても、見た目の違いは分からない。光に翳して見ても二つは何の変わりも無いように見える。


「内緒です」


「薬品とかは入れてないでしょうね」


 もし皮膚が爛れるような事があれば、流石に可哀想である。


「薬品なんて入れてませんよ。まあ、肌は少し荒れるかもしれませんが」


「本当に?」


「ええ」


 そう言ってラモーナは私の耳元に顔を近付かせた。そして何を入れたのか囁くように教えてくれた。


「まあ……そんなものを」

 

 私は「ほう」と息を吐き、その物について考える。ラモーナの言う物であれば確かにそこまで害はないだろう。肌質によっては酷くなるかもしれないが、治らないものではない。

 さて、事は上手く進むか。私は自身の頬に手を置き、口端を上げた。




 状況の変化が現れたのは中身を変えてから一週間経った頃だ。

 毎日のように庭へ出ていた愛人が別邸に引き篭もるようになった。


「どうしたのかしらね」


 侍女達と雑談をしている時に、それとなく愛人の事を口にした。自分で話しておきながら何ともわざとらしいと感じたが、私以外で違和感を覚えているのはラモーナくらいだろう。侍女頭となっているラモーナは部下の前では表情一崩さない。しかしその崩れない表情の下は満面の笑みに違いない。

 侍女達は私が愛人の事を聞くのを待っていたのか、嬉々として口を開いた。紙のように軽い口は次々と現状を話し始める。その中には化粧品を横流ししている侍女の姿もあった。


「どうやら肌に吹き出物が出てしまったようで」


「それもひとつじゃないみたいですよ」


「お化粧でも隠せないくらい赤いおできみたいで」


 どうやら肌が荒れ、その結果、引き篭もっているらしい。そしてそんな顔を夫に見せたくないが故に夫も遠ざけているのだとか。

 そういえば昨日から夫の姿を本邸で見掛ける気がする。食事の場にも居たような、居なかったような。何分(なにぶん)フロリアンとしか話をしていなかったので視覚からの記憶は曖昧だ。思い出そうとしても夫の姿はぼやけている。


 しかし本邸に来たとて、彼の居場所はない。何故なら彼の荷物は愛人が別邸に来てからそちらに移っているからだ。何をやるにも物がないだろう。彼の部屋にはベッドもない。もうこちらには戻らないと言っていたから処分した。

 そんな事を言って別邸で蜜月を過ごしていた癖に、何故そうも簡単に本邸に足を踏み入れるのか。拒否をされても「気にしない」と踏み込めば良いものを。


 夫が本邸にいる事が目障りだとは思わないが、面倒だとは思う。


(それにしても)


 私は夫から意識を移し、目の前で楽しそうに愛人の悪口を言っている侍女の一人を見た。侍女、ベティは愛人から金銭を受け取り、私の化粧品を横流ししている人物である。主人の前であるのに、他の侍女達よりも下品な事をいう姿は実に醜い。

 愛人から金銭を貰っている立場だというのに、よくもまあそんなに陰口が叩けるものだ。自分が何をしているのか自覚がないのだろうか。

 この反応を見るに、やはりこちらにバレているとは微塵も思っていないのだろう。


(やっぱり解雇しかないわね)


 解雇は簡単に出来る。しかし今すぐには解雇をしない。ベティを解雇するのはもう少し状況が動いてからだ。




 本邸で見掛ける夫は実に暇そうだった。だからだろう、仕事を手伝いたそうに私やフロリアンの事を見てきた。

 私はまだ直接言われていないが、どうやらフロリアンは言われたらしい。子供が出来るのだから自分でも出来る筈だと余計な言葉と共に。

 当然、フロリアンはその申し出を一蹴した。

 

 夫は何事にもおいて平凡だが、頭に限って言えば平凡以下である。勉強をしてもそれが自分の知識にならない。当然応用力もない。だから婿の立場で愛人を別邸に囲えるのだろう。


 いつも通り仕事をしていると急にノックも無しに執務室の扉が開いた。何度言っても覚えないマナーには覚えがある。私は瞼を閉じ、細く息を吐く。ゆっくり顔を上げれば思った通り夫がいた。満面の笑みを浮かべている夫はこちらの都合など全く考えていないようだ。自分が来た事がさも褒美のような顔をしている。


「ヘレネ。疲れただろう、お茶にしないか」


 夫の背後にワゴンを押したラモーナが見えた。急に用意させた事が容易に想像が出来、苦笑が漏れそうになった。

 時計を見ればまだ10時、疲れるには早い時間だ。本当に夫は空気が読めない。

 お疲れ様の意を込めて私は夫越しにラモーナへ微笑んだ。すると何を勘違いしたのか夫が嬉しそうに笑う。訂正するのも億劫である。そのまま笑みを夫へとシフトした。


「そうしましょうか」


 休憩などしなくても良いのだが、ラモーナのお茶が無駄になるのは可哀想である。私は机に広げていた書類を片付け、来客用のソファーに腰掛けた。本来、そこは私の定位置ではない。しかし定位置の横に夫が座っていた為、敢えて反対側に腰掛けた。

 夫は一瞬不満そうな顔を見せたが、直ぐにその表情を隠す。


「君はいつも忙しそうだ。少しは手伝える事ないかい?」


 これでも暇な方なのだが、と思ったが私の仕事内容を理解していない夫には違いなど分からないのだろう。温かいカップに入れられた紅茶を口に含み、ごくりと嚥下した。ラモーナの入れる紅茶は他の人が淹れるよりも数段香り豊かである。鼻に抜ける華やかな香りが心地良かった。


「そうでしょうか。もう慣れたので忙しい感覚もないですわね」


 敢えて手伝いの事には言及せず、真正面の夫を見た。年齢より幼く見えるのは見た目のせいだけでは無いのかもしれない。30を半ばも過ぎているのにカップに息を吹きかけている姿を見てそう思った。猫舌なので仕方がないとは分かっているが、どうも妙な違和感がある。


「最近はあちらには行きませんの?」


 見るに耐えず、お茶請けを口へと運ぶ。ふわりと溶けるメレンゲは私の好物である。急に用意を頼まれたと思われるのに此処まで考えてくれるラモーナには頭が下がる。

 夫は私の質問に戸惑い、両手で持っていたカップをソーサーに戻す。カチャリと不快な音が鳴った。

 

「行っているよ。でも追い返されてしまうからね」


「あら、喧嘩でも?」


「いや、肌が荒れてしまったらしい。だから今は会えないと言われてしまった」


 よく馬鹿正直に言うものだ。呆れを通り越し、感心してしまう。実際上がってしまった口角をティーカップで隠した。

 私が返事をしないからか会話が止まる。感情を整え、夫を見れば平凡な瞳と目が合う。そして何を勘違いしたか、夫の手が頬へと伸びて来た。


「君の肌はいつも綺麗だな」


 間近に見えた夫の丸い爪は綺麗に整えられていた。私は触れられる前にやんわりとその手を叩く。


「ラモーナのお陰ですわ」


 笑みを浮かべ、そう言えば夫は瞠目した瞳を不服そうに細める。宙に浮いた手を乱暴に戻すとティーカップに口を付けた。まだ彼的には熱かったのか、大袈裟な反応を見せる。

 その反応を私は口端を上げ、でも視線だけは冷ややかにして見ていた。夫はまたもカップを音を出し、ソーサーに戻すとソファーの背にもたれる。

 

「そういう事で暫く此方にいるよ」


「わかりました」


 私は端に控えるラモーナを見た。


「肌荒れのお薬を手配してあげて」

 

 ラモーナは綺麗に腰を曲げる。告げられる言葉は「承知しました」のみ。

 夫は満足そうに私を見ていた。何も知らないという事は何と幸せな事だろう。



 暫くすると愛人の肌荒れが良くなったのか、夫が本邸にいる時間が少なくなった。毎日のように執務室に来る夫は煩わしかったので、大変良い事である。だが、侍女達の話によるとまだ完全には治っていないとか。それはそうだろう、元凶を使い続けているのだから。

 

 そんなある日の事、私はラモーナ共に執務室にいた。本格的な社交シーズン前にドレスやアクセサリーの準備をどうするかと話していたのだ。変に歴史があり、資産がある我が侯爵家はいつも注目を浴びる。それは良い意味でも、悪い意味でもだ。

 悪目立ちするのは避けたいが、質素過ぎても資金繰りを失敗したのでは?と勘繰られる。先代である父が偉大だったが故の苦しみである。


「マダムオーリオのドレスショップを押さえて、あと装飾品はグランを呼んで」


「ティンカ商会は呼ばなくても?」


「あそこは代替わりしてから駄目ね。こちらを下に見てるわ。その内道端の石でも売ってきそうだからもう呼ばなくて良いわ」


 そんな話をしていると何やら廊下が騒がしい事に気が付いた。話を止め、ラモーナが扉を開ける。すると勢い良く人が転がり込んで来た。

 入室して来たのは見覚えのある桃色の髪、ふわりとウェーブをがかった髪はとても柔らかそうだ。そして何より大きな緑色の瞳を潤ませている姿は白く細い体と相まって庇護欲を誘う。

 女は夫とよく庭を散歩している愛人である。まだ幼いと思うのは息子と同い年だと知っているからだろうか。

 散歩中、執務室にいる私と目が合うと勝ち誇った笑みを浮かべる姿も大変子供のようだと思っていた。今、目の前で何やら怒っている彼女を見てもただの子供の癇癪のように思え、微笑ましく思ってしまう。


 愛人は微笑む私に、更に顔を赤くすると大きな声を出した。


「奥様のせいです!」


 どうやら時が来たようだ。ラモーナの口角が僅かに上がった。




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