第二章)錆びた鉄くず② 平穏な日常
朝の慌ただしさも過ぎ、忙しいという程でもなく適度に人が入れ替わり続ける。
ヴィオラもサイホン管の中でコーヒーが湧き上がる様子を見守りつつ、得意のサンドイッチを作っている。
特製のドレッシングは、キャロの根、二オンの実にギアリクの種。
新鮮なナッツオイルとビネガー、それといくつかの香草を独自の配合で合わせた自信作である。
今でこそ料理全般は得意とするところだが、生憎と味覚どころか口すらないので、普通の食事は採れない身だ。
ここに居着いた当初は、御主人様責任ということでフェルムにご協力してもらった。
そのせいか、未だにドレッシングを使ったサンドイッチを出すと嫌な顔をするのだが、不可抗力だろう。
うん、今日のランチはドレッシングをたっぷりかけたキャベンの葉を使ったサンドイッチにしよう。
「フェェルムゥ。てめぇ、またやりやがったな」
そんな中で、その横柄さを隠すことも無く声を荒らげる人物が、店へと入ってきた。
「あ? なんの事だか」
「とぼけんじゃねぇ! 朝から37区の抗争の報告がひっきりなしに来やがる」
「大人しくしてろって、あれほど言ったじゃねーかよぉ」
ギャーギャーと騒いでいるのは、この付近を縄張りとしている“顔役”の二人組、ファッツとリーボック。
この店の常連の中では、一番面倒な相手だ。
“顔役”とは、先日潰したジーベックギャングと同じ、下層地域を支配している連中だ。
一般的な王国でいう代官に相当する役職で、上層の貴族達に代わり、下層をエリアごとに取りまとめている。
代官と違うのは、彼らの権力が表の世界ではなく、裏の世界で裏付けされたものだということだ。
ルースタニア帝国の支配層は、言うまでもなく皇帝をはじめとする貴族の連中だ。
一般的な王国と同様、彼らは市民からの税金で優雅な暮らしをしているのだが、そんな彼らからすれば、上層下の下層などに関わりたくもない。
そこで、平民の相手は平民に任せようと選ばれたのが、現在の顔役という訳だ。
顔役は、税金に相当する売上額を貴族へと上納し、それ以上の金額を下層の住人から搾取する。
その分、下層でのトラブルや資金の融資などは顔役が解決するという訳だ。
「あのな。なにも暴れんなって言ってるんじゃねぇ。先に言っとけって、何度も言ってるだろ」
「おかげでジーベックの後釜を狙う連中で裏じゃ大騒動だぜ」
ジーベックが潰れたその空白地帯を狙い、周囲の顔役、そして新たに顔役に上ろうとする新勢力で縄張り争いが激化しているらしい。
そのいざこざがこの二人のところにも来ているのだろうが、そんなこと、一メイドである自分には、関係ない。
全く関係がないはずなので、黙って御主人様が絡まれているのを見守ることにした。
「知らねぇって言ってるだろ、このタコ。それにてめえんとこだってどうせ縄張り争いにくい込んで儲けてんだろうが」
「当たり前だ。だからやるなら先に教えとけって言ってるんだよ」
案の定、イザコザだけではなく、きっちり利益も確保しているようだ。
この二人組。
大柄で単細胞、凶暴なファッツと、小柄で陰湿、凶悪なリーボックだが、二人共にこれで頭の巡りも早い。
誰彼構わずに暴れ回っているように見えるファッツも、最後には自分たちに利益が回るように計算して短気なフリをしている。
逆に普段は金勘定に勤しむリーボックこそ、ふとしたことで逆上すると手に負えないという、なかなかの凸凹コンビだが、顔役としては優秀だ。
けして無理をせずに小銭を稼ぎ、支配地域では尊大に振る舞う。
それでいて、この店の怒りを買わない程度の悪徳を重ねるという見事な小物ぶりを発揮している。
だからこそ、この下層で上手くやっていけているとも言えるのだ。
「いいか。俺たちはてめぇのケツ拭いに忙しい。しばらくは絶対に揉め事を起こすな」
「絶対に、だぞ」
「へいへい」
まあ半分以上は聞き流しているフェルムの空返事に、盛大なため息を吐いて、二人は店を出行った。
せっかく二人の分のコーヒーを入れていたのだが、どうしたものか。
「けっ、店に来たら酒の一杯でも飲んでいきやがれ」
──カランカラン
フェルムがそう悪態をつくと同時に入口のベルが鳴る。
ちょうどいいことにコーヒーの消費先、もとい、面倒な客がもう一組来たようだ。
この店の常連のうち、面倒な相手の二番目のお出ましだ。
「ゴミくず共。そこでリーボ達を見かけたぞ。今度こそ悪だくみじゃないよな?」
「ゴミくずじゃなくて鉄くずだって言ってんだろ野良犬野郎」
大槌の意匠が入った黒色のレザージャケットの二人組がドカリとカウンターに座る。
入ってくるなりフェルムと一触即発になっているのは、警邏隊のルーガ。
毛深い肌と尖った耳を持つ黒狼族の獣人だ。
魔物である狼魔人と違い、狼そのものという顔つきでは無いが、耳や鼻の辺りに獣の痕跡が見えるのが獣人族の特徴である。
「やめなさい、ルーガ。フェルムも、騒がせてごめんなさいね。ヴィオラ、いつものもらえるかしら。蒸留酒多めでね」
「かしこまりました」
「ドネ、あんただけならいつでも歓迎だが、野良犬を連れてくるなら首輪はしっかりしてくれよ」
鼻息荒い同僚を止めたのは、同じく警邏隊のドネ。
色黒の肌に長い手指、豊かな白銀の長髪をあごひげのように前に出して、胸元で結ぶ風習はいかにも岩窟人なのだが、スラリとした長身の持ち主だ。
彼女は亜種族である峡谷人。
風精人と同様、風の属性加護が強く、しなやかな体つきをしている。
そして、岩窟人と同様に大の酒好きでもある。
二人が所属する警邏隊とは、実質的な無法地帯である下層での治安維持組織である。
関わることすら汚らわしいとする下層に、帝国軍が派遣されることはほとんどない。
だが、だからといって完全に野放しとしてしまうのは、あまりにも危険ではある。
そこで生まれたのが、外敵に対する巡回警備を主任務とする警邏隊だ。
この場合、外敵とは帝都外部からの盗賊や魔物などではなく、上層外部、すなわち下層の住人のことを指す。
警邏隊は、帝国軍とは全く異なる指揮系統を持っており、扱いとしては皇帝直轄軍と言っていい。
これによってかなり自由な行動権を持っているのだが、同時に一部では権力の暴走により顔役ですら手を出せない暴徒と化している地域もあると聞く。
戦闘力重視の人員構成のため、その多くは、ルーガやドネのような亜人族や元冒険者といった、荒っぽいメンツが部隊の多数を占めている。
「ルーガさん、どうぞ」
「大体がだなぁ、てめぇが……。あ、どうも。てめぇが暴れなきゃ俺達だってこんなとこに来やしねぇんだよ。ジーベックの一件、本来ならてめぇを檻にぶち込むところだ」
こんなところ、などと言いながら、はちみつ入り特性のローストビーフサンドを美味そうに頬張るルーガ。
本来の巡回ルートでなくても、二日に一度は顔を出すのだが、よくもそんなことを言えるものだ。
ちなみに彼に出しているコーヒーは、氷とシロップ入り。
犬舌、……いや猫舌かつ甘党のルーガはいつもこれだ。
「ほらほら、出来もしないこと言わないの。いつも通り証拠が出ない仕事ぶりは流石よねぇ。おかげで私達もここのコーヒーを飲んでいられるんだもの」
穏やかそうに微笑みながら毒を吐いてくれる。
ガサツな熱血漢タイプのルーガと違い、ドネは笑顔で背後から刺すタイプだ。
そう言ってドネが飲んでいるのは、北方風コーヒーだ。
この辺りでは珍しいが、冷たくしたコーヒーを蒸留酒で割って飲む飲み方だ。
以前、ランチと一緒に強い火酒を飲んでいたドネに勧めて以来、彼女のお気に入りだ。
“鉄牙”のドネとルーガ。
西部地区の警邏隊の中でも飛び抜けて戦闘力が高く、歴代でも高順位となる逮捕率を誇るが、同時に歴代でも高順位で犯人を病院送りにする問題児の二人組である。
二人とも、何も正義心に溢れて警邏隊などやっているタイプでは無い。
むしろ、合法的に暴れられるから管理側に付いている、というタイプだ。
無法地帯にして無法こそが法というこの下層では、正しいことを言うだけの人間は、長生きできない。
その意味ではこの二人も、立派な下層の住人なのだ。
「ジーベックのところは大所帯だったからね。少しの間は私達もバタバタするわ。だから、大人しくしていてね、フェルム。まああの二人も、同じ要件でここに顔を出したんでしょうけど」
「あいよ。まあ、クタクタになるまで夜も付き合ってくれるってなら、ちったぁ大人しくしてるぜ?」
本人は大いに真面目なつもりなのだろうが、眼輪筋の緩みがとてつもなく酷い。
女に弱い。
疫病神と恐れられる御主人様の、数多い弱点のひとつだ。
額に手をやりため息をついたその時、ちょっとした事件が起こったのだ。




