第一章)貧民街の何でも屋⑥ 俺の名は
ジーベックギャングのアジト……、もとい、元アジトへとたどり着くと、そこは大災害の現場と化していた。
崩れる屋敷、倒れる人々、ちぎれた義足と、たくさんのうめき声。
阿鼻叫喚という言葉があるが、正しくこのことかと肌と目で実感した。
逃げ惑っているのはギャングの手下達だけでは無い。
屋敷に勤める女中たち、近所の住人も火が回らないように駆け回り、それ以外にも野次馬が集まってきている。
そんな中、ジーベックの屋敷のすぐ横、倉庫に隠れた地下室から、何人か飛び出してくる。
「お母さん!」
「リーオ!」
その一団の中にリーオの母親もいた。
どうやらその地下室はギャングに捕まった人たちを入れる牢屋だったらしい。
逃げ出してきた人達はみな、酷い怪我の跡こそないが、髪はボロボロに痛み、明らかな虐待の跡も見られた。
「あら、レモネードのお客様。お連れ様は見つかったようですね」
そうして渦巻く炎の中から最後に出てきたのは、あの喫茶店のメイド、魔導人形のヴィオラだった。
魔動人形とはいえ、命令通りにしか動けない従属個体ではなく、どう見ても独立した意志と魂を持つ独立個体だ。
だからこそ、この穏やかな雰囲気を持つ彼女とこの惨状とがどうしても結びつかない。
だが、よく見れば確かにおかしいのだ。
どう見ても二、三世代は旧式の魔導人形、それも戦闘に向くとはとても思えない給仕仕様だ。
しかし、これほどの騒動の中にあって、汚れ一つないその姿が、彼女の異常性を物語っている。
あの男の言う通り、やはり彼女がやったのだ。
「あ、あの、ありがとうございます」
彼女がどういう存在であれ、とにかく助けられた。
疑似人格持ちの独立個体といえど、主のあるはずの彼女が、放っておけというあの男の命令を反して助けてくれたのだ。
それは尋常のことではないはずだ。
「あの、……大丈夫なんですか? 御主人様の意向を無視して」
人族、亜人族はもとより、魔動人形にも“人権”が認められるようになった昨今といえど、主の命令に逆らう道具に価値は無い。
普通なら廃棄か再起動というところだ。
だがヴィオラは、きょとんとしたのか一瞬動きを止め、そして、動かぬはずの顔で確かに笑った。
「ふふ、大丈夫ですよ。ご心配をおかけしました。ですが、ええ、なんの問題もありません。あの御主人様は、穀潰しで下品で無意味に悪ぶる口の利き方もなってないクソヤローですが、あれでも根っからのお人好しなんですよ。この事も御主人様からの指示ですから」
「……は?」
耳を疑った。
いや、目があるだけの仮面のヴィオラを見て、笑ったと勘違いするあたり、やはり自分がおかしいのだろう。
喫茶店では手酷く追い出され、つい先程にも相手にされず、ガキだのなんだのと非情の塊のようなあの粗野な男がお人好し?
それはいったい、なんの冗談だろう。
「御主人様曰く、弱者の味方ではなく権力者の敵、ということらしいですが、結局あなたのように困ってる人を見過ごせないんですよ、あの人は」
似合わない。
都合、まだ二度しか顔を見ていないが、全くもって似合わない。
あの、いかにも下層のゴロツキそのままという風体で、実はいい人だったなんて、そんなの許せない。
許せるわけが無い。
おかげで礼のひとつも言えなかったでは無いか!
「まあ、あんまり吹聴すると、それこそ御主人様の意に逆らってしまいますけどね。さて、そろそろ私もガラクタ売りとしてお宝を拾ってきますので、貴方たちは面倒に巻き込まれないうちに逃げ出してくださいね」
そう言って機械仕掛けのメイドは、瓦礫と煙の中へと消えていった。
それから数週間後。
「いらっしゃいませ。……あら?」
「こんにちは」
リーオは、再び〈錆びた鉄くず〉に来ていた。
「ご注文は? レモネードでいいかしら」
「はい、それでお願いします。今日は、店の再開のご挨拶と、少ないですが先日のお礼に」
懐から布袋を取り出して、ヴィオラへと手渡す。
店はルンダルに吹き飛ばされてめちゃくちゃになったが、幸いにも重要な道具や皮のほとんどは無事だった。
本当は店も移動したいところだが、下層ではそういかない。
どこも人と仕事は満席で、新しい店など入る余地は無い。
身を隠すならともかく、仕事をして生活するならその場所で生きていく他ないのだ。
幸いにして蓄えはそれなりにある。
この店へのお礼も、何とか半年分の稼ぎほどには集めることが出来た。
だが、ヴィオラはそれを受け取らず、ただレモネードをテーブルへと置いた。
「これは受け取れません。私たちはあなたからお仕事を受けた訳ではありませんから。あれはなるべくしてなった。そういうことです」
それでも、助けてもらったのは事実なのだ。
本当ならば、この程度の金額で住むようなものでは無いのだが、せめてこれくらいは貰ってもらわないと、立つ瀬がない。
食い下がって、ヴィオラへ袋を手渡そうとしたその時、
──カランカラン
「あー、だりぃ。ヴィオラ、水くれ。ガチガチに冷てえ奴。……あ? なんだこないだのガキか」
相変わらずの悪態で、御主人様という男が店に入ってきた。
ボサボサの黒髪にズレた丸メガネ。
どこからどう見ても、いかにもなチンピラにしか見えない。
見えないのだが、どうやらこの男が助けてくれた恩人らしい。
「あ、あの。この間は……」
「あー、うっせうっせ。つーか喋んな。こっちは二日酔いでガンガンしてんだよ」
取り付く間もない。
しっしっと手で追い払い、水をガっと一息に飲む。
生き返るーとか言っているが、そのまま死ねばいいのにと思う。
例え恩人だろうと、やはり合わなさすぎる。
むー、と唸っていると、ヴィオラが手招きして席へと呼ぶ。
「あれはお礼なんて言われるの嫌で照れ隠ししてるんですよ」
そうヴィオラは言うが、御主人様補正とでもいうか、あれが照れ隠しに見えるとは、ヴィオラも相当な変わり者なのだろう。
というか、どうもお礼を言うのは諦めるしか無さそうだ。
そう思って、レモネードに口をつける。
子供の飲み物と思わないでもないが、相変わらずここのレモネードは美味しい。
甘さだけでなく、程よく酸味と苦味が立っている。
一口飲めば甘く、二口飲めば苦味が口の中の甘味を忘れさせ、三口飲めば酸味がさわやかに感じられる。
そんな味だ。
そして、飲み終わったらやる気が出てきた。
「ヴィオラさん。お金をお渡しするのは諦めます。でも、せめてこれくらいは貰ってください。普段使いにしてください」
そう言ってヴィオラに渡したのは、魔物革のバッグだ。
いかにも皮という感じではなく、染色と金物細工を入れたショルダーバッグで、気休め程度のものだが空間拡張の術式も組まれている力作だ。
落ち着きある色合いに華やかな細工。
これならば物腰柔らかなヴィオラにも似合うだろう。
「ふふ、そういうことなら。ありがとうございます。大事にしますね」
そしてもう一つ。
「あの、あなたにも。あなたには必要ないかもしれないけど、お礼です」
「あ?」
男に手渡したのは、同じく魔物革の篭手。
拳部分には重みのある硬質の素材を使い打撃力を高めてあるが、逆に腕部分は薄い板状の革を貼り付けただけだ。
だが、衝撃を吸収する厚く柔らかな皮と薄く硬い皮を貼り合わせ、軽い上に鉄の篭手なんかより余程硬くできているはずだ。
どうせ投げ捨てられるか無視されるだろうと思っていたが、意外にも篭手を手に取り、両腕へ嵌めてみせた。
おもむろに二、三度両手を握って開いてを繰り返すと、ニヤリと笑い、店の奥から何か大きな箱を持ってきた。
「フン、気が変わった。本当はくれてやるつもりもなかったんだけどな、この篭手の礼だ。あのダンビラ野郎とあと二、三人からかっぱらってきたジャンク品で作った精霊圧縮機だ。ラピス級とまではいかねぇが、虹岩蜥蜴程度ならこいつで捌けるはずだ」
「ええっ!?」
まさか、あれほど探し回っていた品物が、こんな形で手に入るとは。
というか、確かにあの跳ね兎の力は恐ろしいものがあったが、本来の用途は運送用の動力だ。
それをまさか、こんな風にして使えるだなんて。
「この篭手程度で礼だなんて足りねえにも程があるわ。このガラクタをくれてやるから、とっとと作り直してきやがれ」
そう言うなりカウンターへ戻り、残りの水を飲み干した。
今度はヴィオラに教えてもらわなくともわかる。
なんとも本当に素直じゃない。
というか、完全にやっていることが子供の照れ隠しの延長なのだ。
「はい! 必ず作ってお持ちします!」
「どうも、ありがとうございました」
会計を済まして店を出ようとする。
さすがに圧縮機は持って歩くには重すぎたので、着払いで運送屋を頼むことにした。
〈錆びたゴミクズ〉。
ここは噂とは少し違ったが、噂以上の店だった。
ふと、カウンターの方へ振り返り、男の方を見る。
「あ? まだなんかあんのかよ」
男が面倒くさそうに顔を向ける。
だが、大事な用がまたひとつ残っていたのだ。
「そういえば、あなたの名前、聞いてない」
そうだ。
恩人の名前くらいは聞いておきたい。
ここに来る前にも思っていたが、男のあまりの態度の悪さに頭に来て、ついつい忘れていたのだ。
「俺の名前は……」
男が言う。
「“鉄”だ」
「俺の名前は……」
デデンデンデデン!!
画面暗転して男の口元だけのアップ。
ギザ歯がニヤリと笑って
「“鉄”《フェルム》だ」
バーン!
→to be continued
とまぁこのシーンが描きたかっただけの導入部第一章でした。
次章からはフェルム達からの視点で本編が始まります