第一章)貧民街の何でも屋④ 西の厄災《厄病神》
「何だぁ? てめぇ」
振りかぶったマサムネを構えたまま、ルンダルがぐるんと首だけで振り返る。
両腕を上段に振っているので、どうしたって振り向けないはずなのだが、どういう首になっているのか、まるで蛇が鎌首をもたげるようにヌロンと首を回し、舐め回すような目つきで睨みつける。
人を人とも思わぬ昏い瞳。
口の端を精一杯に引き下げ、歯ぎしりが聞こえんばかりに力を込めた歯をむき出しにし、悪鬼の形相で背後に現れた男を睨め回す。
だが、どれほど恐ろしげに威嚇しようと、それがただの見せかけなのだと分かってしまう。
なぜなら、両腕で振り上げ、今にも振り下ろさんと構えているマサムネがピクリとも動かないのだ。
後ろに立つ男は、その切っ先を親指と人差し指で摘んでいるだけなのにも関わらず。
「言ってるだろうが。廃品回収屋だよ。ここにあんだろ? ナマクラ担いだ粗大ゴミがよぉ」
男は、あの喫茶店で見た時と同じ、いかにもやる気のなさそうにして答える。
丸メガネにうろんな瞳。
ぼさぼさの黒髪、よれよれの白いTシャツ。
作業用の分厚いブーツにボロボロのカーゴパンツ。
店での姿と違うのは、屋外だからなのか、よれよれのトレンチコートを羽織っているくらいだ。
ルンダルの腕が微妙に上下しているのは、掴まれたマサムネを振りほどこうとしているのだろう。
だが、動かない。
男の方はと言えば、特に力を込めている様子もなく、空いた片手でズレた丸メガネを戻し、煙草をくわえ直しているほどだ。
「ぎぃっ……、キェェェェッ!」
ついに、ルンダルがバネ仕掛けのおもちゃのように飛び跳ね間合いを取る。
その右脚からは、大量の蒸気が吹き出し、大きくクレーターの様に窪んだ大地がその威力を物語る。
あの恐ろしい魔導義肢を逃げるためだけに使ったらしい。
だがそれは、そうまでしなければ、あの場所から逃れえなかった事実を示す。
切っ先をつまんでいるようにしか見えなかったあの指先に、どれほどの力が込められていたのだろうか。
「なんだよ熱っちぃなぁ。あー、重量貨物用運搬機辺りから改造した跳ね兎か。まあチンピラ御用達ってやつだが、腕の悪い技師に当たったな。俺ならもう三割増で出力を出せるぜ?」
「て、て前ぇ。俺をジーベックさんの使いと知ってやってるんだろうな?」
そうだ。
例えルンダルに勝てたとしても、それはこの町を支配するジーベックギャングと敵対することを意味する。
この男がどうして助けてくれたのかは分からないが、関係の無い人を巻き込むわけにはいかない。
「こ、こいつは、ジーベックギャングです。もう逃げてください!」
助けてくれたこの男を巻き込むわけにはいかない。
例えこの場をやり過ごそうと、ギャングの恐ろしさはその組織力だ。
一度狙われれば、この一帯の悪党全てが敵に回る。
ジーベックの名を知れば、男も引いてくれるだろう。
それとも全て知っていて割って入ってくれたのか。
だが、男の返答はいくつか予想していた反応のどれとも違うものだった。
「うるせぇ! ガキは引っ込んでやがれ!」
「えぇっ!?」
なんなんだ?
この男は助けに来てくれたわけじゃないのか?
男は心底面倒くさそうに溜息をつき、ルンダルへと視線を戻した。
「で、なんだっけ? ジーベック? 知らねえよ、こんな貧民街の片隅根城にしてる程度の小物なんかよぉ。ったく、こそこそと小銭稼ぎでもしてりゃぁいいものを、いらん欲かいて地雷踏むなんざ、アホの所業だぜ。」
「んなぁ!?」
酷い言い草である。
さすがのルンダルも言葉が出ない。
それはそうだ。
ジーベックギャングと言えば、この辺りでは知らぬもののない大物だ。
暴力、資金、悪辣さ。
その全てでこの周辺を仕切っている顔役なのだ。
そのジーベックを小物と言い切るとは。
「それよりて前ぇこそ知らねぇか? 下層西区でおいたすると、怖ぇ厄病神が化けて出てくる噂をよぉ」
「西区の……。ま、まさか、あの“厄病神”か!」
リーオは知っている。
元よりその噂を頼りにあの店へ辿り着いたのだ。
金次第で下層では見ることもないような品を集めてくる部品工房。
だが、それに合わせて、もうひとつ別の噂も付いてくる。
曰く、〈西の“厄病神”〉。
いくつもの組織を潰し、上層の貴族すら恐れず、果ては、帝国軍とすら渡り合ったとも噂される。
下層の庶民を相手に暴利を貪るような組織にとって、かの店の存在は邪魔でしかない。
しかし、関わった組織はそのことごとくが破滅に追いやられているという。
麻薬王・ハルパダ、奴隷商・ドルロネ、悪徳貴族・シャルネルラ。
どれもその名を下層に響かせていた大物だったが、ある日突然その姿が消えた。
広大な下層、その西地区のどこかにあるという廃品工房に関わったせいだと聞くが、どれも大袈裟な噂に過ぎないと思っていた。
思っていたのだが、まさか、彼がそうなのか。
「おぉ、よしよし。中身の少なそうなお頭の割にはよくできたじゃねーか。で、どうすんだよ」
明らかに格が違う。
あれほど恐ろしかったルンダルが、もはやイタズラがバレた子供にしか見えない。
顔を真っ青にして、あぶら汗を流し、どうにかこの場を切り抜けられないか、目だけがキョロキョロと辺りをさまよっている。
だがルンダルも、かのジーベックギャングの端くれ。
飲まれてばかりでは無い。
「ま、待てよ。いくら厄病神といえど、それは無法に過ぎるだろ。下層には下層のルールがあるのは、あんただって知ってるはずだ。これは俺たちの組の問題だ」
だが男は、へっと薄く笑い、
「いくら縄張りの店でも、無理を押し付けて潰す法は下層にもねぇよ。それにな、俺みたいな無法者は、無法だからクソ喰らえって言うんだぜ?」
そして、つまらなさそうに小指で耳をほじりながらあくびをする。
彼にとっては、この程度のいさかいも、この程度の戦闘も、本当にありふれたつまらない出来事なのだろう。
「それによ、やり口が汚ぇんだわ。お宅の狙いはこいつんとこの皮鎧なんかじゃねぇ。この近くの縄張りが、隣のベルモンド一家に飲まれてってんだろ? で、ここで例の革盾作ったのもベルモンドだ。つまりはくだらねえメンツの張り合いの為に、できもしねえ依頼をぶち上げてこの店を見せしめにしようって話じゃねぇか」
男の言葉に耳を疑った。
それじゃあ、万が一にも虹岩蜥蜴の鎧を用立てたとしても、難癖をつけて叩き潰されただろう。
そんな、たかがメンツなんかのためにうちを潰そうとしたっていうのか。
「くそがっ! だったらどうしたよぉ。疫病神だかしらねぇが、俺の脚で潰れやがれぇ!」
もはや逃れられないと見たのか、ルンダルがヤケの攻撃に出る。
跳ね兎がルンダルの気迫に応え、両脚から魔力蒸気を吹き出す。
ルンダルの跳ね兎は、両脚に取り付けられていたのだ。
跳ね兎の機能は、“蹴り飛ばす”のたった一つだ。
重量貨物を運ぶ力を、一瞬の瞬発力に変え、尋常のものではない脚力を産む。
地を蹴れば爆発的な瞬発力に、敵を蹴れば圧倒的な破壊力になるというわけだ。
ルンダルは、その驚異的な脚力で真横に跳んだ。
「ひゅあっはぁ。ぶっ潰れろぉ!」
常人であれば、目で追うことすら困難な速度。
さらに男の死角に入るように地を蹴り撹乱する。
そして最大出力、最大速度で跳躍すると同時に、マサムネを振りかぶる。
全てが欺瞞。
散々に蹴り飛ばすと宣言しておいての斬撃。
単純だが、だからこそ最大の火力となる。
跳ね兎のパワーとスピード。
そしてマサムネの切れ味。
その全てを最大限に発揮し、なおかつ相手の虚を衝いた攻撃だ。
リーオは、少し離れた場所から全てを見ていた。
ルンダルは、リーオからすれば絶望的な力を持つ相手とはいえ、それでもジーベックギャングの戦闘員の中では、下から数えた方が早いと聞く。
だから、ここまでは見えたのだ。
突貫するルンダル。
迫る切っ先。
ほんのひと瞬き程の時間なのだろうが、そこまでは見えた。
「はぁ。本当につまんねぇ奴」
その男は、そう呟いた。
次の瞬間。
目の前の状況は全く変わっていた。
男の姿はほとんど変わっていないように見える。
ただ足元の地面が、まるで巨大なドリルで圧搾したか、鉄球でもぶつけたように、大きく螺旋状に沈みこんでいる。
だが、ルンダルの姿がどこにもない。
動画のコマ送りでもしたかのように、どこにも見当たらないのだ。
「……え?」
──ゴシャァッ
リーオが間抜けな声を出したのと、その背後で凄まじい音がしたのはほぼ同時だった。
あわてて後ろを振り向けば、落ちてきたのは、首も腕も身体も、とにかくまともな部分がない程にへし曲がり、正しく廃棄物になったルンダルだった。
何があったのかは分からないが、何が起きたのかは分かった。
あの恐ろしい速度で突撃したルンダルを、あのクレーターができるほどの何かではじき飛ばしたのだ。
〈厄病神〉と呼ばれる男は、緩やかに煙草を手に取り、ぷかぁっと煙を吐いたのだった。
クラス5の素材例
・白の〈古鋼石〉
・青の〈月銀鉱〉
・金の〈神錫鉱〉
・銀の〈冷熱鉱〉