第一章)貧民街の何でも屋③ リーオの反抗
一口に革細工職人といっても、その仕事は多岐に渡る。
素人が勘違いするのは、うちは革細工の工房であり、革職人では無い。
細工物を作るのが仕事で、皮を使える状態に、革の状態にするのは、専門の革職人だ。
まず、冒険者なり狩人なりが捕ってきた獣を解体するのは解体職人。
そして剥がされた皮を薬剤で鞣し、加工可能な革を作るのが革職人。
そしてその革を切ったり縫ったりするのが革細工職人だ。
もっと言えば、うちは鞄や財布を作る小物職人で、本来、盾やら鎧やらは武具職人の範疇だ。
だから、革の提供があるならともかく、虹岩蜥蜴の鎧を一から用意して作るだなんて、無茶な話だった。
そもそも、死してなお魔力を宿し、鋼鉄よりも硬い魔獣の革は、切れる刃物があるだけでは、加工することは難しい。
まず解体では、固い皮や筋肉を切り裂くナイフや肉の筋を見切る技術が必須となる。
広く大きく切る場所、細かく丁寧に切り分ける場所。
骨ごと一気に断ち切る場所、薄い膜のみ剥がしていく場所。
その全てに適した刃物、適した技法で捌いていくのは、並大抵の腕と知識では務まらない。
皮を鞣す工程はもっと複雑だ。
皮を煮て皮下の脂肪を削り取り、魔力を抜くための薬液に漬け込み、皮の厚さを均一にするために延ばし、工房秘伝の鞣し薬に漬け込み、水洗いして薬を落とし、抜けた脂を戻し、最後に乾燥させる。
そうしてできた革がようやく細工職人の元へ届くのだ。
デザインを決め、用途にあった素材を選ぶ。
同じ革でも元の部位によって性質も違えば、同じ部位でも個体によって特徴も出てくる。
さらに微妙な色合いまで考えれば、同じ素材などひとつとしてない。
革を切り出すナイフ、針穴を穿つ鋲、縫い合わせる為の針。
並の獣の革を扱うのでさえ、固い鋼の道具が必要となる。
皮目を見て、それらを扱うには長年の経験とセンスが必要となる。
そしてもうひとつ。
高位の魔物革を扱う時に重要な道具がある。
既に魔力を取り戻し、鋼に優る強靭さをもつ革に対し、並の刃物では敵わないのは言うに及ばないが、それ以上に環境も重要となる。
具体的には、通常の十倍以上もの魔力濃度。
そうすると、ただ固いだけの革が生きていた時のようなしなやかさを取り戻す。
逆にその環境下でないと、魔物革は上手く加工できない。
特別に魔術師を雇っているような大店なら、魔術儀式でどうにかするのだろうが、普通は精霊圧縮機を用意する。
前回扱った革盾は、この用意がなかったので、細かな細工をすることを諦めたのだ。
革をとにかく細く切り出し、編み込むことで雑な仕上がりを何とか隠した。
そして、硬い木の盾に編んだ革を貼り合わせて、膠をうち、プレス機で固定させてなんとか拵えた。
だが、鎧のような大物となれば、どうしても圧縮機が必要となるのだ。
幸いにも、加工に使う道具については、家宝としてきた道具がある。
圧縮機だって、フローライト級のものなら用意がある。
せめて相手が虹岩蜥蜴でなければ、なんとかなったのかもしれない。
だが、どう頑張ったところで、手持ちの道具では、思ったような仕上がりにはならないのだ。
「どうしても、必要なんだ」
改めて口にしたところで、何も状況は変わらない。
それでも、口にせずにはいられなかった。
最悪、素材となる革は、本末転倒ではあるが、ルンダルに借金でもすれば、大店の革工房なら在庫があるかもしれない。
やはりどう考えても圧縮機がネックとなる。
手持ちのものでは全く効果がなかったのも前回で確認済みだ。
だが、ラピス級以上となれば、そもそもがこの下層では見たこともない。
やはり、上層へのコネが必要なのだ。
「ちくしょう。どうしたらいいって言うんだよ……」
約束の日。
分かりきっていたことだが、虹岩蜥蜴の鎧はおろか、その革も、その革を加工するための圧縮機さえ用意できなかった。
本音を言えば今すぐにでも逃げ出したい。
あのルンダルの異形の脚。
吹き飛んだ店。
それが自分自身に襲い掛かると思うと、恐怖だけで胃の中の物が溢れてくる。
だがこの下層で生きていくのに、生計を立てるあてもなく他の土地へ移るなんて自殺行為にも等しい。
それに、母親まで人質にされているのだ。
そもそもが逃げるという選択肢すらありえない。
だったらせめて戦って死んでやる。
虹岩蜥蜴には劣るかもしれないが、店にあった魔物革の鎧を三重に着込んだ。
ありったけの魔物革を束ねた盾と、魔物革を裁断するためのナイフで作った手槍。
用意できたのはそれだけだ。
「よぉ、リーオ。用意は……出来たって感じじゃあねぇなぁ」
ルンダルがいつものスーツでやってきた。
なんだよ、いくつも予備があるなら用意しなくてよかったな。
「ルンダルさん。先日のスーツはご用意しました。今日のところは、これで勘弁してください」
うちは革細工の工房で、布のスーツは専門外だ。
それでも一応の用意はしておいた。
万が一、これで許してくれるならとの期待を込めて。
「ブァーカ。こいつは慰謝料だ。用意して当然のもので、なんでこっちが折れてやる必要があるんだよ」
まったく期待はしていなかったが、残念ながらこれで許してもらえるなどという奇跡は起こらなかった。
「俺は悲しいぜぇ、リーオ。お前ぇんとこの革細工は、カバンにしろ小物にしろ気に入ってたんだがよぉ。こーなっちまったら、仕方ねぇよなぁ」
そう言うルンダルの顔に悲しみの表情は全くない。
むしろ目を嬉々と光らせながら、手に持っていたダンビラソードを抜く。
線の細い体躯に長い手足。
マサムネを振りかぶるその姿は、圧倒的な捕食者そのものだ。
「俺は優しいからよぉ、ぶっ飛ばされてミンチになるか、コイツで三枚におろされるか、えらばしてやるよ」
まったく嬉しくない優しさだが、ルンダルも別に選ばせてやるつもりもないのだろう。
嬉しそうにマサムネを日に照らし、その輝きを楽しんでいる。
「タダで、やられるかぁー!」
盾の裏に隠し持っていたナイフを投げつける。
魔物の革は、その特性に合わせて何種類ものナイフを使い分ける必要がある。
これはそのひとつ。
火の魔石を組み込んだ〈燃える短剣〉だ。
「うひひひ。お前ぇのそーいうとこが大好きなんだよ、リーオ!」
マサムネを振るい、ダガーをことごとく打ち落とす。
素人の投げナイフなど、その道のプロがする投擲には遠く及ばない。
スピードも、威力も、正確さも。
下っ端とはいえ、荒事を専門とするルンダルに通じるわけもない。
だが、それで構わない。
ただの一瞬、その足を止めることさえ出来ればいい。
「うわぁぁぁっ!」
手元に隠してあったロープを強く引く。
ロープは 手元から柱を伝い、屋根上へと続いている。
──ガコォッ
天井を突き破り、屋根の上から大きな樽が降ってくる。
樽に用意した獣油。
人が二人程も入る大きさの木樽と満タンに入った油。
ぶつかればそれだけでタダでは済まない。
さらに、重量もさることながら、これが短剣の火に点けば……
「まぁ、素人さんにしては頑張ったよな」
「え?」
リーオは、全く動くことは出来なかった。
全く動けないまま、訳の分からない表情のまま、店の奥へと吹き飛んでいた。
「げほぉっ、がはっ」
「あっ? なんだ鎧を重ね着でもしてたのかよ。下手に堪えなきゃ、痛い思いせずに腸ぶちまけてるとこなんだがよぉ」
ルンダルは魔術師でも伝説的な戦士でもない。
所詮、下っ端のチンピラに過ぎなかった。
だからこそ、リーオにもその動きがはっきりと見えて、見えたそれが理解できなかった。
油樽は、間違いなくルンダルの上に落ちた。
意識の外からの必殺の罠。
だが、重さ数百kgはあるその樽をマサムネで両断。
当然、中から獣油が溢れるが、それが身体にかかるより早く、ルンダルの右脚が爆ぜた。
ルンダルの十八番、魔導義肢・跳ね兎だ。
〈跳ね兎〉で3m近くもの距離を爆ぜ跳び、短剣に引火するはずの獣油を吹き飛ばしながら、そのままリーオを蹴り飛ばしたのだ。
今、リーオが原型を留めていられるのは、ひとえに何重にも重ねた革鎧のおかげだ。
だがそれも、中身の衝撃までもは守ってくれなかった。
意識があって、息をしている。
リーオの状態はまさにそれだけだった。
──ザリッ
自分の荒い呼吸音に混じって耳障りな足音が近づく。
下卑た笑いに口の端がつり上がった醜い捕食者の顔。
それが、恍惚に潤んだ瞳で自らの得物を見つめている。
「ははぁー。さて、お楽しみのマナイタショータイムだ」
「……だ」
言葉を発するどころか、息をすることすら困難だ。
一息吸うだけで肺がヒビ割れ、息を吐けば喉が破れる。
それでも、叫ばずにはいられなかった。
「ウヒヒ、綺ぃ麗ぇに、三枚におろしたるぅあ!」
「……いやだ! 誰か助けて!」
「はぁ。……やっとガキらしい泣き言言いやがったかよ」
大きく振りかぶられたルンダルのマサムネは、そのまま振り下ろされることは無かった。
その背後から現れた手が、鈍く光るマサムネの刃を力強く握りしめていたからだ。
その声には覚えがある。
だが、なぜ彼がここにいるんだろう。
あれほど厳しく、自分を突き放した彼が、なぜこうして助けてくれているんだろう。
蹴られた腹の痛みとツンとした吐瀉物の刺激にむせながら、涙でにじむその目で彼を見つめていた。
「おぅ。粗大ゴミを回収しに来たぜ」
この世界の単位
長さ:km、m、cm
重さ:t、kg、g