第三章)深き海の人喰い鮫④ 人喰い鮫のスイレイ
「参ります」
「っしゃ、来いや!」
声だけで気合いを入れて何とか気持ちを奮い起こす。
息苦しさと重い体の動きはこの際忘れよう。
人喰い鮫の“深海”は、心を折ってくる。
殺気、威圧、または格とでも言おうか。
ともかく、この世界では、少しでも心がくじければ一歩も動けなくなるだろう。
鮫が一息に間合いを詰める。
“銀”で向かい撃つが、僅かな動きだけでそれをかわされてしまう。
やはりこの長いスカートが厄介だ。
足元どころか、膝の屈伸もそのゆったりとした裾に隠れて、動きの起こりが全く読めない。
それどころか、気勢と体は前に出ているのに、実際には足だけで後ろへ下がるなんて芸当まで可能にする。
ただでさえ神経をすり減らして何とか反応しているというのに、そんなフェイントまで混ぜられては敵わない。
──ヒュオッ、ヒュン
この女のどこにこれほどの力があるというのか。
いくら細身の刀といえど、その本質は鉄の塊だ。
自身の身長ほどもある鉄の棒を、これほど自在に扱えるものなのか。
長く重い武器は、その分だけ取り回しは遅くなる。
だが、それを補ってなおあまりある、広大な攻撃範囲と、剣速と身のこなし。
空断とは、またよく言ったもので、まさしく空間が断ち割られるようだ。
「くっそ」
──キュキュキュキュキュン
弾倉装填式速射魔法銃“銀”。
銘の通り輝くシルバーの銃身を持つシャープな銃で、術式弾ではなく、銃把内の弾倉に込められた魔力を撃ち出す銃だ。
“鐡”のように魔力弾に属性を付与することも出来ず、単発の威力は鉛弾の銃とさほど変わらない。
だが、この銃の真価は、その命中精度と速射性能にある。
そのどちらもが使い手に由来する能力ではあるが、逆に言えば、使い手の能力を100パーセント反映できる銃だといえる。
つまりは、俺の力次第だ。
ちなみに俺の実力は、
──キキキンッ
「むぅ、くっ!」
僅かに女の顔色が強ばる。
長大な得物に交換したのが裏目に出たな。
俺の最高連射速度は秒間三発。
そして、その三発を全て誤差1mm以下の精度でぶち込むことが出来る。
それを捌く奴も凄まじいが、さすがに全く同じ場所に同時着弾されては、衝撃全てを受け流すことも出来ないだろう。
──ヒュオッ
「ちぃぃっ」
だがそれも僅かなもの。
連射される魔弾を確実に捌き、水中を舞う魚のような身のこなしで射線をかわし、長大な刃で空を斬ってくる。
さすがに、一方的に攻めていた先程とは違い、見切れないほどの連撃は放てないようだ。
だが、その一撃の重さは、それこそ先程までの攻撃の比ではない。
完全に間合いを外した場所でなければ、頑強な“鐡”でも受けることは出来ないだろう。
ここに来て戦況は一進一退。
こちらが手数で押せば、女が切り返す。
いや、まだやつの方が優勢だ。
“銀”の射撃で牽制し、“鐡”で大きく隙を作る。
咄嗟に物陰に隠れ、僅かな時間で弾を換装する。
「やれやれ。〈厄災〉相手なんざ聞いてねぇって」
身を隠しながら思わず愚痴る。
一応気配も消しているが、奴からもこちらからも、お互いの位置は丸わかりだ。
ただ、お互いの姿が見えていないので、迂闊に動いた方が、反撃の隙を与えてしまうというだけの話だ。
一応俺も〈西の“厄病神”〉などと呼ばれてはいるが、どちらかと言えば、ヴィオラの暴走で被害が大きくなり、周りからの危険視された故の通り名だと思っている。
だが、話に聞く限り他の〈厄災〉、
〈北の“人喰い鮫”〉
〈東の“巨影法師”〉
〈南の“炎帝”〉
の三人は、完全にヤバめの武闘派だと聞いている。
それがまさか、こんなところでかち合うとは思ってもいなかった。
「おや、もう種切れですか? あまりに早いと、女性に嫌われますわ」
突如真上から声が聞こえる。
どうやらこの鮫は、ダンスもお得意らしい。
僅かな壁の凹凸を足場に、くるりと身を翻しながら宙を舞う。
長い袖とハカマがふわりと回転し、空を天蓋のように覆っていく。
しかし、それに見とれてしまえば、一巻の終わりだ。
静かに、そして凶悪に人喰い鮫の牙が迫りよっている。
「うるせぇ! こっちはまだ余裕だってぇの!」
すかさず前転して目の前の牙をかわし、三発撃ち込む。
野郎、あの長物を振り回すパワーだけじゃなく、スピードも瞬発力も化け物じみてやがる。
広い場所では瞬間移動のように、小道に入れば空から降ってくるように空を駆ける。
こっちはコソコソと地面を這い回ってるって言うのに、自力が違いすぎる。
隠れた木箱ごと、ぶった斬られる。
間一髪でかわし、“銀”でちまちまと反撃する。
どうにもこのパターンから逃れられない。
いい加減に疲れてきた。
なんだってこんな奴が、ベルモンドみたいな小さなマフィアに雇われているんだ。
格も金もとてもじゃないが釣り合わないぞ。
「ちぃっ、こんな腕していて、なんであんなチンケな小物に雇われてやがる。てめぇならもっといい雇い主も見つかるだろう」
「小物、ですか。本気であの方をそう呼べるなら大したものですけど、こんなところにいる貴方には、戯言にしか聞こえませんね」
戯言と来たかよ。
ん、待てよ?
なにか話がおかしくないか?
「それにしても、つまらない任務と飽いていたところでしたが、まさかベルモンドの如き小物に、貴方のような方が仕えているとは僥倖でしたね」
「ちょっと待てスタァァーップ!」
いや、ちょっと待て。
今、聞き捨てならないセリフが聞こえたぞ。
銃を握ったまま両手を開いて女に突き出す。
完全に足を止めて戦闘の気配を解いた俺に、女も困惑する。
「……はい?」
「いやちょっと待て。お前、俺の事をベルモンドの一味だとでもおもってるのか?」
今更の事すぎて頭が痛くなってきたのだが、ひょっとしたら俺たちはものすごく馬鹿な勘違いがあるのかもしれない。
「はて……? ベルモンドの屋敷にいるのです。違うのですか?」
つい先程までの凶悪な笑みが消え、女は全く分からぬと首を傾げた。
見た目の美しさもあり、歳以上に幼げに見えるその様子に思わずイラッとする。
「バッカてめぇ、この周りの惨状見て、どうしたら俺がベルモンドの手下に見えるんだよ。どう見ても俺は奴らの敵。ベルモンドとやり合ってる側だと、なんで分からねぇんだよ」
俺の言葉に女が改めて周りを見渡す。
そうしてしばらく考えると、
「……あら、勘違いでしたか。ごめんあそばせ」
などと抜かしやがった。
「ごめんで済むか、このくそ女ぁ!」
「で、〈鮫〉よぉ。あんた北区が住処のはずだろ? そのあんたがこんなところで何してるんだよ」
まったくだ。
おかげで、〈北の厄災〉がベルモンドに付いたのかと焦ったじゃねーか。
「あら? 私、〈鮫〉だと名乗りましたか?」
「馬鹿言うなよ。あんなLLB振り回して今更だろ」
「なるほど。これは迂闊でしたね」
いや、てめぇは迂闊じゃなくてモノホンの天然だろ。
「私はさるお方、まぁ言ってしまいましょうか、北区を治める上層の貴族からの依頼でベルモンドを潰しに来ました。どうやらそちら側でもいざこざがあったらしく」
「で、俺とかち合って何故かベルモンド同士で揉めてたがとりあえず消そうとした、と。いや、ほんとにバカじゃねーの?」
「失礼な。ベルモンドであろうとなかろうと、貴方ほどの腕なら斬ろうと思うのが普通でしょうに」
何やら可愛らしくプンプンと怒っていらっしゃるが、いや、ほんとに……、もう何も言うまい。
「はぁ。とりあえず、誤解は解けたということでこれで手打ちでいいな。俺としちゃ別にベルモンドを殺す所まではどうでもいい。後は上のやつらが勝手にやるだろ」
「まあそうですね。私も気が抜けてしまいましたし」
そう言ってお互いに得物を納めた。
それにしても、お互いに派手にやったものだ。
俺がそれまでに壊してきた屋敷の被害よりも、今の戦いに巻き込まれて壊れた物の方が多いくらいだ。
これはまたやりすぎだと、リーボック達にグチグチと言われるやつかもしれんな。
「やれやれ。とんだ骨折り損だわ。これだけ消耗して俺の儲けはなしとか、ほんとに勘弁して欲しいわ」
「あら? そちらはどなたかの依頼では無いので?」
「てめぇみたいな戦闘狂と一緒にすんな。こっちは純粋に巻き込まれたんだ。奴らに拉致られてな」
やれやれと軽口を叩くが、どうやらそのセリフは女の好みに合わなかったようだ。
「戦闘狂、とは酷い言い草ですね。こちらも仕事でやっていますのに。それとも、やはりここで決着までつけますか?」
そのセリフがもう戦闘狂のソレだと言うんだが。
「いやいや。儲けもないのに、おたくみたいなのとこれ以上やり合えるかよ。剣と銃じゃなくて、ベッドで決着つけるなら望むところだがな」
これ以上のトラブルはごめんだ。
そう思って出た軽口だったが、帰ってきた返答は思ったものと違っていた。
「ほほほ。面白いことを言いますね。床での事なら私に勝てると? 生憎とそちらの方も負けたことはありませんが」
カッチーン、だ。
なるほど、余程この女、どこまでも俺に喧嘩を売ってくるようだ。
「ふふふ、おもしれぇ。俺もいい加減、イライラしてきたところだ。こうなったらどっちが上か、とことんまでやってやろうじゃねぇか」
「うふふ。そんなに毛を逆立てて怖がらなくてもよろしいのですよ? せいぜい閨では可愛がって差し上げます」
「はっ、上等だ。刀使いがてめぇだけじゃないとこ、見せてやるわ」
──数日後。
「で、なんでてめぇがウチにいるんだよ」
「いえ、こちらのサンドイッチが絶品と伺ったもので」
「お褒め頂き、ありがとうございます。お客様」
いつも通り二日酔いの頭を押さえながら店に降りると、なぜだか〈北の“人喰い鮫”〉がカウンターに座っていた。
「なるほど、確かにこれは絶妙。ヴィオラさん、美味しいです」
「ありがとうございます」
さすがは百戦錬磨の鮫。
サンドイッチを頬張る姿も妙に艶かしい。
こいつは、刀さえ握ってなければ、実にいい女だ。
ちなみに、先日の延長戦の結果は、……いい勝負だったとだけ言っておく。
「ところでヴィオラさん、このお店では緑茶は、取り置きはないのかしら」
「申し訳ありません。興味はあるのですが、いい仕入先がなく」
「あら、それなら西区でも商いのある問屋を紹介します。また来た時には、貴方のお茶を飲みたいわ」
何やらうちのメイドと楽しげに話し込んでやがる。
「はぁ。おいスイレイ。うちのメイド口説いてんじゃねえ。それ飲んだら帰りやがれ」
「ふふ。文句は刀で聞きますわ」




