第三章)深き海の人喰い鮫① 厄介な客
今日は実にいい日である。
昨晩はアズリアちゃんとこの場では言えないことをして楽しめた。
朝も酒が残ることなくスッキリと目が覚めた。
この辺りは、滅多に雨も降らないが、それでも雲ひとつ見当たらないような晴れは、俺のような男でも清々しく感じる。
朝のトレーニングを済ませた後の、シャワーのなんと爽快なことか。
たまたまだと言うが、ヴィオラも眠気覚ましに飲むいつものコーヒーではなく、冷えたオレンジジュースを用意してくれている。
これほどまでに素晴らしいスタートをきれる朝など、一年に何度あることか。
そして、大体の場合、こういう朝を過ごした後には、厄介な問題が舞い込むものなのだ。
「ちわぁーっす。メルダバル配送でぇーっす」
朝から頭に響く大声で飛び込んできたのは、〈配送屋〉のディレル。
見た目には14、5歳程だろうか、ただの無邪気なだけの少年に見える。
「いらっしゃいませ」
「ヴィオラちゃん、おはよー。アイスココアちょーだいな」
「かしこまりました」
ただし、この街で無邪気な少年なんてものは、基本存在しない。
例外として、リーオみたいに真っ当に生きてるやつもいるが、あいつも本来、俺が関わらなければジーベックに食い潰されていたくちだ。
あぁ、それと少年、ではなかったか。
ただし、こいつの場合は、本当に注意が必要な奴だ。
「おう。朝から無駄に元気だな、ディレル」
「それは無いぜ、アニキぃ。こういうちょっとした挨拶だって、営業の一環なんだぜ?」
俺の事をアニキと呼んでしたってくるあたり、本当に年相応の少年のようにも思える。
だが、基本的に人付き合いの悪い俺にすらそう思わせるのだと言う事実が、よりいっそうこいつの危険度を上げる。
「そういやアニキ。例の37区のゴタゴタ、やっぱりベルモンド一家が新しい顔役になるってことで片付いたらしいぜ。あそこの若いのが、アニキの事探してるってさ」
「あぁ? こっちには用事はねぇって」
これである。
37区と言えば、例のリーオの所のイザコザだ。
多少周りの顔役から縄張りを食われただろうが、上手くジーベックギャングの後釜に座れたということだろう。
本来、この手の情報はもう少し遅れて入ってくるものだが、こいつの情報網は恐ろしい。
〈メルダバル配送〉
四年前の事件以来、顔を見せるようになった配送屋だ。
あまり大規模でやっている訳では無いのに、仕入れてくる品物は状態のいいものが多い、かなり使える業者だ。
だが、その裏の顔は帝都屈指の“情報屋”なのだ。
こいつがうちに来るようになったのも、例の事件のすぐ後。
あの時は、上層の軍はもちろん、警邏隊だって嗅ぎつけなかったはずなのにだ。
元々は、客の欲しいものを探って、品物について情報を集めてとしているうちに情報屋もするようになった、などと言っているが、はたしてどこまで本当のことやら。
その証拠に、本当にその品物が欲しいと思った時には、こっちから連絡しなくてもその品物を持ってくる。
こっちの情報もすっかり握られているということだ。
それに、配送の仕事だけでも、このディレルだけじゃ捌ききれないはずなのだが、それでも俺たちの前には、この少年しか姿を見せたことがない。
本人は、メルダバル配送の下っ端と言っているが、もしかしたらそれも偽りの姿なのでは、と疑っている。
いずれにしろ、表の顔で付き合っているうちは、便利なやつだ。
下手に勘ぐって、敵に回すよりは余程いい。
「いやぁ、朝イチでアニキんとこに来るとこれがあるからなぁ。役得役得」
そう言って食べているのは、ヴィオラ特製のサンドイッチだ。
常連に好評なので、朝の時間帯だけ、ドリンクに軽食をセットでつけている。
今日のメニューは、ゆで卵を潰してマヨネーズと塩と胡椒で味付けしたタマゴサンドだ。
……キャベンスライスがないなら俺も食うか。
「ヴィオラ、俺にもそれくれ。アイスコーヒーと一緒な」
「はい、御主人様」
「いいよなぁ、料理上手の自動人形。アニキ、ヴィオラちゃんちょうだいよ」
「バカ言うな。こいつが居なきゃこの店できねーだろ。俺が他人にサンドイッチなんか作ると思うか? それに、自動人形料理なんて普通に作れるだろ」
このガキ、なんてこと言いやがる。
せっかくヴィオラに料理を仕込んで美味い飯が食えるようになったのに、今更手放すかよ。
そうしたら、ディレルの奴が生意気に指を振りながら訳知り顔でのたまいやがる。
「ちっちっち。甘いぜぇ、アニキ。料理の出来る自動人形は確かにそこらにもいるけど、これだけ美味い料理作る自動人形なんかそうはいないぜ? それこそ、10区の連中が雇ってる料理専門の自動人形でも引けを取らねぇって」
ほう、やっぱりヴィオラの腕はそれほどのものか。
もっとも、そういう料理専門の奴らとは、求められる料理の質も違うだろうが、それでも確かにヴィオラの料理は美味い。
そのうえ、小さな店とはいえ、一人で回しきるほど手も早いのだ。
「だったら尚更お前にやれるかアホ」
「ちぇーっ」
まったく、舐めたこと言うガキだ。
深いため息をついてから、タマゴサンドを頬張った。
「さて、仕事の時間だ。今日は何持ってきやがった?」
「品は相変わらずだよ。上のガラクタ一式。そっからなにかを見つけるかは、アニキ次第」
いつも通りの口上。
上層からの不法投棄を一切合切集めてきた廃棄物。
そこからパーツ抜きするなり修理するなりして使えるものに仕上げるのが、廃部品工房の腕の見せどころというわけだ。
現状、〈錆びた鉄くず〉は、喫茶店をメインに営業している。
白じいや警邏の二人組など、常連客も居着いた。
もっともそっちはヴィオラの担当だ。
俺は、近くの住人が持ち込んでくる、生活魔道具の修理依頼の担当だ。
こっちは一応、役場に届出を出している正規の修理店扱いだ。
そういうわけで、廃棄品を再利用する廃部品工房としては、昔ほど仕事を受けていない。
それでも、昔からあるゴミ山の処理や、単純に魔道具いじりが趣味ということもあって、こうしてディレルから定期的に廃棄品を買い取っているのだ。
「まっそりゃそうだ。オーケー。廃棄品は裏に、買取品もいつも通りだ。いい値をつけてくれよ?」
「任せとけよ。アニキんとこでぼったくりやしないって」
そう言うなり、ディレルは魔動人形に指示を出して荷物を動かしていく。
相変わらず見事なものだ。
自動人形と違い、自らで考え行動することが出来ない、純粋な道具であるのが魔動人形だ。
術式によっては、ある程度高度な判断もさせられるが、魔動人形を上手く使うなら、その仕事は単純なものであればある程よい。
同じ魔核を使っても、複雑な仕事と単純な作業では、力に回せる魔力量が違うのだ。
例えば、単純に物を運ぶ仕事と、仕分けをしながら運ぶという仕事では、明らかに後者の方が効率が悪く、一度に動かせる物の重量も前者の方が遥かに大きいのだ。
そういった、機能と目的とのバランスを考えて、上手く魔動人形を運用するのには、ある程度の経験と勘が必要となる。
その点で、ディレルの魔動人形操作は実に巧みなものだった。
「えぇっと、買い取りの方は、と。増幅器と畜光灯、圧縮機。お、アニキ、これもいいの?」
「おう。持ち主に似合わねぇ業物だったわ」
「ダンビラソードねえ。波紋も綺麗だし、いい値が付きそうだ」
あの後、持ち帰ってから分解して整備してみたが、なかなかの代物だった。
名前も忘れたが、あのチンピラが持つには少々立派すぎる。
どうせどこかの事務所か工房で、借金のカタに奪ってきたものだろう。
あの手のカタナは、正直専門外だが、きっちりと歪みも直して研ぎまでしたのだ。
いい値が付いてくれなくては困る。
「えーっと、じゃあ配送の料金差し引いてこんなもんかな。これ明細」
「ん。……おいおい、うちの増幅器ならクラス2+の容量があるぜ。この査定は厳しいだろ」
「そりゃわかるけど、どこまで行っても違法修理品だしね」
当然、馴染みの業者といってもこれくらいの交渉はする。
なんでも任せておいては、食い物にされるだけなのが下層だからだ。
「うーん、じゃあそっちは上げられないけど、ダンビラソードの方をこれくらいでどう?」
「うーむ、まあこれなら。だが逆に聞くがいいのか? これじゃほとんど儲けなしみたいなもんだろ」
値上げを要求しておいてなんだが、別に不利益を被ってもらうつもりは無い。
というより、こいつのとこでそんな真似をしたら、次からの取引が怖くて仕方がない。
「さすがアニキ。目利きもいいじゃん。実際そんなもんだね。……実はさ、ちょうどこの手のもんに目が利く相手がこっちに来ててさ。状態もいいし、上手くいけば高く売れるかなって」
「ほぅ。マサムネには、愛好家も多いって聞くが、いるところにはいるもんだな。来てるって言ったが、お前のとこの客か?」
こいつも客の情報を出すなんて真似はしないだろうと思っての雑談のつもりだった。
だが、ディレルも少しの間考え込むと、ニヤリと笑いやがった。
「へへ。多分、近いうちにアニキの前に現れると思うよ。ま、そん時にはよろしく言っとくよ」




