8.幸せな気持ちから悲劇へ*
R15です。人が亡くなる場面があります。苦手な方はブラウザバックをお願いします。
翌日、アンネはいつも奉仕する側だったのに、身体を磨かれて身支度される側になり、戸惑っていた。
ディートリヒシュタイン家のカントリーハウスにはなぜかアンネにぴったりと合うドレスが数着用意されており、その中から彼女の赤毛に映えてルドルフの瞳の色に近い深緑色のドレスを選び、用意されていたルビーのネックレスとイヤリングをつけた。
ルドルフはアンネの着飾った姿に感動し、綺麗だと連発した。アンネの癖が強くて赤い剛毛は爆発しやすくてまとまりにくい。ちんまりとした目鼻立ちで少し日に焼けた顔には化粧でもかくしきれないそばかすが広がっていて、正直に言えばアンネの容姿は美しいとは言えなかった。
アンネはいくら着飾ったところで貴族の女性には到底見えなかった。それどころか、艶のある金髪や海のような青い目、雪のように白い肌を持つルドルフの婚約者ゾフィーのほうが公平な目でみれば美しかったし、金髪碧眼の貴公子然としたルドルフにお似合いに見えた。
だが、ルドルフはアンネの優しい心根に惹かれていたから、恋は盲目とはよく言ったもので、アンネが最高に美しく見えた。そうでなくともアンネには人の良さが表情に出た愛嬌があり、周囲の人をその人柄で魅了していた。
ルドルフとアンネがその日、劇場で見た『真実の愛』の劇は、王国中に小説としても流布していた。冷静に考えれば、真実を脚色して美化した劇と小説で王家のスキャンダルをもみ消そうとしていると気が付くものだろう。だが劇の内容は2人にとって二の次だった。こんなに着飾って劇場に来たことはアンネにはなかったし、ルドルフにもアンネにとっても2人きりでのデートが何よりも大切だったからだ。
もっともアンネは、豪華な劇場で着飾った紳士淑女の中で決まりの悪い思いをしていた。アンネは自分がどう見ても良家の子女には見えないことが分かっていたので、貴公子のルドルフの隣は嬉しくとも、人々の好奇な目線を感じてルドルフに申し訳なく思った。だがデートで高揚しているルドルフは、そんな視線に全く気付いている様子はなかった。
劇を見終わって劇場の隣の高級ホテルにチェックインしてすぐに、ルドルフは夕食を部屋に運ばせた。食べ終わった後、2人は客室のリビングルームでまったりとソファーに座ってくつろいでいた。
「ルドルフ様、今日は本当に最高の日でした。いいえ、今日だけでなく、この旅行自体がもう夢のようです。これを胸に次の勤め先で頑張れます」
「そんな悲しいことは言わないで」
「でもこれが最後って約束ですから……」
「だからだよ。旅行中はそのことは言わないで。でないと君の口をふさいでしまうよ」
そう言ってルドルフはアンネにやさしく口づけ、キスを徐々に深く強くしていった。
「アンネ、最後の思い出に君と一つになりたい。いいかな?」
「……はい」
アンネは一瞬ルドルフの婚約者のことを思い出し、罪の意識を感じて迷ったが、ゾフィーがルドルフと寝た以上、自分にもルドルフが恋人だった証が欲しいと思った。それに平民では、純潔はそれほど重要視されておらず、婚前交渉はタブーとされていない。
アンネは、顔は地味だったが、異性を魅了する蠱惑的な体形をしていた。すぐに2人は初めて愛を交わすことに高揚して朝までお互いの身体を貪った。何度も何度も愛を確かめ合って最後には疲労困憊して泥のように眠り込んだが、2人は幸せな気分だった。
昼近くになって目が覚めたとき、アンネの喉はからからで、水差しに手を伸ばした。すると、いつの間にか起きていたルドルフが水差しの水をコップに注いで渡してくれた。アンネがその水を飲み込んだ途端、猛烈に喉が焼けるように痛み、吐き気が襲った。口の中から出てきたのは胃の中身と血で、彼女が最期にやっと振り絞って出した言葉は『どうして』だった。
「僕は君以外と結婚しない。だから一緒に逝こう。来世で一緒になれるよ」
狂気の光を瞳に宿したルドルフが水差しの水をあおると、彼もむせて口から血を流した。彼は最後の力を振り絞ってアンネを抱きしめた。
翌日、外出の様子もないのに食事の注文が前々日の夜からないことをいぶかったホテルの従業員があられもない姿で抱き合いながら2人が亡くなっているのを見つけた。コーブルク公爵家はホテルに金を払って口止めをしたが、裏切った従業員が新聞記者から金をもらって詳細を伝えたため、ゴシップが国中に流れた。
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この話に出てくる『真実の愛』の話(前話にも出てきた、マクシミリアンとユリアの話)は、『公爵令嬢はダメンズ王子をあきらめられない』(https://ncode.syosetu.com/n2513ia/)のことです。