16.求婚
ゾフィーはルドルフを追い詰めて殺してしまったと呵責の念に苛まれていた。あの訃報を聞いてから、ろくに眠れもしないし、食欲もわかない。まだあの最悪の知らせから1週間だが、痩せてきて目の下に隈ができ、唇や肌がかさかさになった。侍女達に半ば無理やり食べさせられるのだが、大半を吐いてしまっていた。
新しく婚約者候補となったルドルフの従弟ラルフが会いに来ると聞いてゾフィーは断ってと言ったが、父マティアスに断る選択肢はないと叱られた。
ラルフが来る日、ゾフィーはコルセットを締めずゆったりとした若草色のドレスを着て侍女に髪をハーフアップにしてもらい、久しぶりに化粧をしてもらった。化粧しても顔に現れた不健康さは隠せなかったが、それでもゾフィーの元来の美しさはラルフを魅了するのに十分だった。
ゾフィーとラルフがお互いに自己紹介をした後、最初は気まずい沈黙の時間が続いた。それを破ったのは、ラルフだった。
「あ、あの、ご気分があまりすぐれないところに押しかけて申し訳ありません。で、でも結婚式までの前にどうしてもお会いしたくて……」
「まだ結婚すると決まったわけではありませんよね。ノスティツ様は初婚でいらっしゃるんだから、私みたいな身重の女となんて結婚なさらないほうがいいでしょう?」
「いえ、私はロプコヴィッツ嬢が承知してくださるなら、結婚してそのお腹の中の子供も一緒に育てたいです」
「同情から結婚してくださる気なら結構です。それとも私との結婚がコーブルク公爵家の養子になる条件だからですの?」
「公爵家の後継ぎになるかどうかは、実のところ、私にはそんなに重要ではありません。私は高給取りじゃないけど王宮官吏の仕事で生活できているし、ろくでもないけど一応家族はいるから別に結婚できなくてもいいと思っていました。それよりもこれから生まれる赤ちゃんがお母さんと一緒に過ごせるほうが大事だと思ったんです」
「それって同情ですよね?」
ラルフは一瞬言葉に詰まった。ゾフィーの写真を見て一目ぼれして実際に話してみて好感を持てたのは確かだが、正直なラルフには同情している面がないとは言えない。
「……正直に言えば、確かにそうかもしれません。でもこのままでは貴女は修道院に送られ、赤ちゃんは公爵家に引き取られて生き別れになってしまいます。私との結婚が嫌なら、別に白い結婚にしてもいいですから、子供と一緒にコーブルク公爵家で生きていきませんか? 貴女が希望すれば子供はこの子1人でもいいです。私の求婚が偽善かどうかという建前よりも子供のほうが大事でしょう?」
「偽善は結構です。お帰りください」
ラルフはゾフィーにけんもほろろに拒絶され、意気消沈した。
――言い方が悪かったのか? それともやっぱり僕のやることは所詮は偽善で歓迎されないことなのか?
ラルフは心の中で自問したが、上っ面の嘘で塗り固めた口説き文句は言いたくなかった。
それから毎日、ラルフは仕事帰りにゾフィーを説得しに来たが、ゾフィーの態度は変わらないように思えた。
「私と結婚しろと言われたから結婚するのですよね? それなら別の女性でもよかったのでは?」
「きっかけは確かに私に持ち込まれた縁談話です。でも貴女の写真を見せられて実際に会って話してみて、えーと、その、あの、け……結婚し、したいって思いました……」
ラルフは頬を染めながら、ようやく最後まで言い切ったが、ゾフィーは冷静だった。
「そう思い込もうとしているのではなく?」
「そんなことはありません。それに貴女となら家族を持つのってよさそうだなと初めて思えました。それまでは人格破綻した両親のせいで没落した家であくせく1人働いているから、結婚して家族を持つことに夢を持てないし、相手もいなかったから、一生独身だと思ってました。でも結婚できるかもしれない相手が現れて、しかもこ、こんなにう、美しくて……」
ラルフは最後まで言葉が出せず、耳まで真っ赤になった。
「で、でも!私にはっ……そ、そんな普通の家族の幸せを持つ資格がないんですっ!」
ゾフィーは、出会って間もないラルフに無様な姿を見せるつもりは本当はなかったのに、何を言っているのかわからないほど号泣してしまった。
「……だ、だって、わ、私が!……ルディ兄様を……こ、殺した……ような、もので、すから!……う、うぅっー……うぅっー……うぇっ……ひっく……ひっく……」
「……貴女のせいではありませんよ。さあ、これで涙を拭いて」
ラルフはゾフィーの隣に座り直してハンカチを渡し、ゾフィーが泣き止むのをじっと待った。
「必死に探せば他に方法もあっただろうにあの結末を選んだのはルドルフ自身です。貴女が責任を感じる必要はありません。貴女が責任を感じるなら、お腹の中の子供にです。どうか身体を大事にして子供に健康に生まれる権利を与えてあげてください。その子はルドルフが生きた証であると同時に、私達の家族の絆にもなるんです」
「……え?……わ、私、まだ結婚を承諾していません」
「あっ、失礼しました」
ラルフはあせって立ち上がり、片膝を床につけた。
「ゾフィー・フォン・ロプコヴィッツ嬢、どうか私と結婚してくださいませんか?」
そう言って小さなダイヤが立て爪でついたシンプルな金の指輪をジャケットのポケットから取り出した。
「指輪をはめてもよろしいですか?」
「そ、その、あの、気持ちがまだ追い付かなくて……指輪はまた返事をする時でもいいでしょうか?」
ゾフィーははっきりと承諾はしなかったが、ラルフと結婚すれば悪いようにはならないだろうと思い始めていた。それに初めてきちんと受けたプロポーズは悪い気がしなかった。それどころか、胸がなんだかむずむずしたのだった。
「わかりました。がっつきすぎでしたね。せめて名前で呼ぶことをお許し願えますか? 私のことは是非『ラルフ』とお呼びください」
「ええ、ラルフ様、私のことは『ゾフィー』とお呼びください」
「ありがとう、ゾフィー。よく食べてよく眠って体調に気を付けてください。また来ます」
ラルフが帰った後、どこで見聞きしていたのか、マティアスがゾフィーの元にすぐにやって来た。
「どうしてすぐにプロポーズを受けなかった? どっちにしてもお前にはラルフと結婚するしか子供と一緒にいられる可能性はないんだぞ? でもまぁ、もうお前がどう返事しようが結婚式は来月だ。準備も進めている」
プロポーズをはっきりと承諾しなかったことを両親に詰られたり、指輪が安物だと不平を言われたりすると、少しずつ上向いていたゾフィーの気持ちはまた沈んでいくような感覚に陥った。でも、公爵家のお金でなくて自己資金でゾフィーのために指輪を買いたかったから豪華な指輪は買えなかったと申し訳なさそうに謝るラルフを思い出すと、ゾフィーにはこの指輪が彼の誠意の証のように思えた。
その後、ラルフは少しでも時間があるとゾフィーに会いにまめに侯爵家にやって来て、毎回プロポーズして指輪を渡そうとした。それでもゾフィーはまだ指輪を受け取れるほどまだ決意しきれなかった。
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