引き出しの奥の手紙
時間帯的にこんばんはですが、ここはいつもどおりの挨拶を。こんにちは。葵枝燕です。投稿自体、随分とひさしぶりな気がいたします。
もうすぐ終わる今月七月の別名は、文月(“ふづき”でも“ふみづき”でも、もしくはそれ以外でも、お好きな読み方でどうぞ)ですね。“文”——つまりは、手紙。というわけで今回は、手紙が出てくるお話です。
実体験が元になっているのですが、それは後書きにて。
まずは、本編を読んでいただけたら嬉しいです。
ノートをさがして、引き出しをあさっていたそのとき。懐かしいモノが出てきた。「ブレーメンの音楽隊」のゆるめなイラストが描かれた封筒だ。見憶えはある——が、なぜこんなところにあるのかわからなかった。
裏返すと、今よりも拙い字でこんな宛名書きがされていた。
〈これ書いたときより成長したであろう村上えりの様〉
“村上えりの”——それは間違いなく、二十七年付き合ってきた私の名前だった。その下には、やはり今より拙い字で、十一年前の日付と共に私の名が書かれていた。
なるほど、どうやらこれは過去の自分からの手紙らしい。いつか、未来の私がこれを再び見つけて読むことを願い、認めたのだろう。
しっかりと閉じている封は、糊付けされていなかったようで、簡単に開いた。中に入っていたのは、封筒とセットになっていたのだろう二つ折りにされた便箋が一枚。それは、〈この手紙書いてる今より成長したであろう自分へ〉という書き出しから始まる、短くもギッシリと書かれた手紙だった。
ちょうど中学を卒業し、高校一年生になったばかりの“私”は、自分のことを「えり」と言っていた。そういえば、ずっとそんな一人称だった。それが「私」に変わったのは、その一人称を仲の良くないクラスメイトに笑われたことがきっかけだった。この手紙を書いた過去の“私”は、まだそんな目に遭う前だったのだろう。
高校一年生の“私”は、女子の制服や体育着の特徴、女子はブレザーなのに男子が学ランなのがおかしい、毎日暗いニュースばっかりだ——と、当時のことを伝えてくる。冬服のジャケットが襟無しでダサいことに気付くのは、きっとまだ先なんだろうな——と思う。
友達ができず不安だったり、一番苦手な数学がなぜか応用クラスだったりと、不安だと“私”は言う。〈ま、がんばるよ。それしかないし〉と、少し投げやりな“私”に、それなりに友達はいたから大丈夫だよとこたえてみる。仕方なく入ったような高校だったけれど、あの三年間はいいもんだったと、今なら思えるからだ。もちろん、悪いコトだってあったけれど。
そして手紙は、こうしめくくられていた。
〈最後に、ひとつだけ。
絶対に、“夢”あきらめないで!〉
はて、このころの“私”が抱いていた“夢”とは、何だったのだろうか? きっと、このころから憧れていた、作家になりたい、だろうか。具体的に書かれていないから、今の私にはわからなかった。
でも、私は、十一年前の“私”に、こう言わずにはいられなかった。
——きみの言う“夢”はわからないけど。自分なりに、カタチにしたよ。今も、自分なりのモノをさがし続けてるよ。それから、一応は元気でいるよ。多分ね。
便箋を二つ折りにして、封筒へと戻す。そうして、また元の場所——引き出しの奥へとすべりこませた。
またいつか、未来の自分がふれることを想像しながら。
『引き出しの奥の手紙』、ご高覧、ありがとうございました!
以下、設定など列記します。長くなると思うので、面倒な方はスルーしてくださいませ。
今回の語り手であるえりのさんは、二十七歳の女性です。引き出しの奥から、過去の自分からの手紙を見つけ、それを読み進めながら、当時のことを思い返したり、過去の自分に心の中で話しかけたりしています。ちなみに、初期は「えり」さんでした。私の本名がひらがなだと3文字なので、一字付け足した次第です。あとは、個人的に読みづらいので、本当は漢字の名前にしたかったのですが……ひらがなのままにしました。あと、二十七歳なのは、私が今年でその年齢になるからです。
そして、このお話は、私の実体験です。二〇二二年二月二日、姉に頼まれて、使っていない大学ノートの買い置きをあさっていたときに、「ブレーメンの音楽隊」の絵が描かれた封筒を見つけたのです。見てみるとそれは、高校生になったばかりの自分が書いた、未来の自分への手紙でした。それを読みながら感じたことを、小説のカタチに落とし込んでみたのが、今回のお話です。さすがに自分の本名を書くわけにはいかない(身バレしたくないですから)ので、えりのさんに私の代役をしていただきました。また、ヤマカッコで囲われている部分は、私の手紙からほぼそのまま引用しています。
本音を言えば、七月二十三日——文月のふみの日に投稿したかったんです。この日ほど、手紙に相応しい日はありませんから。しかし、完全に忘れてしまっていて、せめて文月におさめようと決めて、今回投稿することにしました。
というわけで。以上、設定などでした。
成長しているかはわかりませんし、まだまだ未熟というか頼りない私ですから、こんな私を見たら過去の“私”はガッカリしてしまうかも——と感じるのが、正直なところです。でも、あの手紙に、あの日確かに励まされた気がしたのです。それを、手紙を書いた“私”に伝えられたらなと思います。
あらためまして。ご高覧、ありがとうございました!