聖女、受け入れる
「……そんなたいそうなものじゃありません。だって……ほら、無実の人を攻撃するのはただのいじめで、犯罪でしょう? でも相手が悪者なら、私は大義名分を盾にして好き勝手できますから。それだけです」
「そうだな。そうして結果として君は、聖女としての力を正しく行使してこのクライフ王国にいる悪者を懲らしめているというわけだ」
「で、ですからそんな、正義の味方扱いされるものではないのです! 正義の味方は……私利私欲のためではなくて、慈悲の心をもって人助けをするのですから!」
「だが、君の働きによって助かった者は、数多い。彼らからすると君は間違いなく、正義の味方だ。弱き者を助け、強大な悪をくじく。それも、君が努力して手に入れた力をもっての行いなのだから……胸を張ればよいと思う」
「……」
「……ステイシー嬢。俺は、足りない王なのだ」
目線を上げると、苦く笑うリュートの顔が。
「俺には、兄のような才能も人を率いる能力も国民の信頼を一身に集められるような魅力もない。ただ剣を振るい、兄の治世のために戦い続ける……それだけに価値のある王弟であればよいと思っていた。だから、兄が事故に遭ってから俺に王位が回ってきたとき……何度も、逃げようとした」
「そうなのですか……?」
「ああ、情けない話だろう? ……だが、助けてくれる者たちがいた。俺を励まし、教えを授け、導いてくれる者たちがいた。だから俺は、王でいられた」
ふう、と長い息を吐き出したリュートは、優しく微笑んだ。
「だから俺は、君がほしいんだ。逆境にもめげずに努力して信頼と権力を勝ち取り、得た力を正しく使おうとする君が、まぶしい。俺にはない力を持つ君に、側にいてほしいんだ」
「……それは……国王側近の聖女として、ではだめなのですか?」
「ああ、そこで話が戻る。側近でも十分だが、叶うことなら俺は君と一緒に笑って過ごしたい。それでいてかつ、お互いを励まし協力し合える関係でありたい。……君となら、そういう関係でいられると思っている」
リュートの、力強い言葉に。
ステイシーの胸の奥が、ぞわりと震えた。
母を失い、大好きな場所から連れ去られ、知らない場所で知らない人から暴言を吐かれ――何もできなかった、無力な自分。
教会に入ってからはがむしゃらに努力して、次第に皆に認められるようになったけれど……それでもどこか心の奥で、寂しい、と叫んでいた。
いくら悪をねじ伏せて多幸感に浸ろうと、輝かしい称号を得ようと、それらだけでは決して満たされなかった心の一部分に、リュートの言葉がしみこんでいく。
(私は……頼りにされたかった。求められたかった)
聖女としてだけでなくて……ありのままのステイシーという女を見つめ、受け入れてほしかったのだ。
「……私があなたのもとに嫁いだら、聖女ではなくなりますよね」
「そうだな。還俗しなければならないからな。君に無理は言えないから、本当に嫌ならそう断ってほしい」
「……もし王妃になったとしても私、わりと今まで通りに振る舞いますよ?」
「ああ、そうしてくれ。元聖女である王妃の活躍を、皆が期待するだろう」
「ダンスは踊れませんし、刺繍もできませんし、字もきれいじゃありませんよ」
「実は俺も、あまりそういうのは得意ではない。一緒に頑張ろう」
「……ふふ、一緒に刺繍もしてくれるのですか?」
「ああ、君と一緒なら、楽しそうだ。……針は数本折るだろうが」
リュートの言葉に、二人は顔を見合わせ――ふはっ、と同時に噴き出した。
やたら偉そうで敵対勢力をバサバサ切り捨てる王妃と、そんな妃の隣でちまちまと刺繍をする国王。
なるほど、その結婚生活はなかなか楽しいかもしれない。
「……クライフ王国の未来は、どうなりますかね」
「分からん。だが、多くの国民が笑って一生を過ごせるよう、尽力するつもりだ。もちろん、星女神教会とも協力し合い……子どもたちがクライフ王国に生まれてよかった、と思えるような国にしよう」
「……はい。どうか、協力させてください」
ステイシーが笑顔で言うと、リュートは目を丸くした。
(私は潔癖な聖女でも、慈愛に満ちた人格者でも何でもない。でも……私の持てる力で、あなたの思い描く国作りを助けることができる。あなたの夢を阻む者を蹴散らすことができる)
「……私のことをうんと甘やかして、優しくしてくれますか?」
聖女が尋ねると、
「……ああ。君が希望したとおりの夫であることを、約束しよう」
若き国王は、誓った。
クライフ王国第十八代国王・リュートは二十三歳の春に、婚約者を迎えた。
彼女は星女神教会の誇る聖女で、リートベルフ伯爵家の令嬢――だったが、彼女の方から父親に絶縁状をたたきつけた。
彼女は名門公爵家の後ろ盾を得て淑女教育を受け、婚約して一年半後の秋、聖女の身分を返上することで還俗して国王のもとに嫁いだ。
よく言えば正直、悪く言えばずけずけものを言う王妃に妬みの視線を向けたり、「王妃にふさわしくない」と言ったりする令嬢たちもいたそうだ。だが、「でも陛下は私みたいな女性がタイプらしいわよ? あなたたちもそう言われたのでしょう?」と聞かれると皆、顔を真っ赤にしてぷるぷる震えることしかできなかったようだ。
聖女ではなくなった後も王妃はまめに教会と連絡を取り合い、有事には自らが神官たちを率いて魔物の巣に向かった。派手な魔法で魔物をぶっ飛ばす王妃はとてもいい笑顔で、神官たちの中で王妃様ファンクラブ(非公式)ができたくらいだという。
また王妃は国王の政治にこそ口を出さなかったが、夫の足を掬おうとする輩や敵国のスパイやらをいち早く見つけ、完膚なきまでに叩き潰した。彼女の決め台詞は、「私の陛下に手を出すなんて、一億年早いわ」だった。
国王リュートは相変わらず国政を苦手としていたが、分け隔てなく誰にでも親しみを持って接し礼儀を尽くす国王を慕う者は多く、むしろ先代国王の時代よりも親衛隊の数は増え、官僚たちの団結力も強まったと言われている。
個性的な国王と王妃は、「爽やかな脳筋と猛牛聖女」と呼ばれることもあった。だが二人は多くの国民から敬愛され、またその間に生まれた王子王女たちも皆、国思いの素晴らしい王族に育った。
そんな二人は、どんなに忙しい時期でも二人きりで過ごす時間を設けていた。
親衛隊長のサミュエルや子どもたちでさえ立ち入ることが許されない部屋からは、二人の楽しそうな笑い声が聞こえていたという。