聖女、告白する
リュートは、さすがにステイシーの様子がおかしいと気づいたようだ。
最初は喜色を浮かべていたその顔が次第に凍り付き、「もしや」とこわごわ言った。
「……君は、ひょっとして」
「あ、あの……陛下、実は私――」
「……そうか、気づいていたんだな。……俺は実は、身長三十八トルには半トルほど足りないことに……」
違う、そうではない、と全力で突っ込みたかった。
だがステイシーが何か言うより早くリュートはうなだれ、「すまない」と落ち込んでしまった。
「嬉々として身長を測ったのだが、何度測っても三十八トルには届かなかった……」
「さ、さようですか……?」
「ああ。……やはり三十八トル以下の男なら、お断りだろうか……?」
顔を上げたリュートは精悍な美貌もどこへやら、捨てられた子犬のようにしゅんとしょげきっていた。
……本当のところ、どうしても結婚を回避したいのならここで、「はい、身長が足りないのでだめです」と鬼畜な返答をすることもできた。……だが。
「……陛下。私は……謝らなければなりません」
「な、何をだ? まさか、身長は三十九トルないと……」
「身長の話はもういいですので。……私はそもそも、父に命じられて結婚するのを避けたかったのです」
ここまで心の内を明かしてくれたリュートをだますのが心苦しく、ステイシーは緊張しつつも事情を打ち明けた。
ゆっくり語るステイシーを、リュートは驚きの目で見ていた。だが驚いているのは彼だけで、彼の背後に立つ騎士サミュエルと官僚は、「でしょうね」みたいな顔でうなずいていた。
「……そうか。ステイシー嬢は結婚を回避するため、あえて無茶苦茶な条件を突きつけたのだな……」
「はい。ですから、まさかあの条件全て……ああ、いえ、ほぼ全てに該当する方がいらっしゃり、しかも求婚してくるなんてつゆほども思っていなかったのです」
身長に関することを口にするとリュートが悲しそうな顔をしたので、もう触れないことにした。
リュートもさすがに落ち込んだようだが、はた、と顔を上げた。
「うん? ということは、君が結婚を遠慮するのは聖女として教会でお勤めをしたいからであり、俺のことが嫌いだからというわけではないのだな?」
「当然です! 陛下はやはり格好――あ、いえ、素敵な方ですもの!」
「よしっ!」
「ただ」
「……ただ?」
なぜかガッツポーズを決めたリュートに、ステイシーは苦笑を向けた。
「私はやはり、自分に王妃が務まるとは思えません。私は……自分のことだけで精一杯で、国民のためになることなんてできないのですから」
「そうなのか? だが君は実際に去年、俺たちと一緒に魔竜討伐をしたではないか」
「はい、しました。……そういうのも全ては、私自身のためなのです」
ステイシーは、父を嫌悪していた。
母と暮らしていた頃、「私にはお父さんはいないの?」と尋ねたことがある。母は悲しそうに微笑み、「あなたのお父様は、いないの」と言っていた。
使用人たちに聞いて分かったのだが、母は好きで伯爵に抱かれたわけではないそうだ。
母は下級貴族の生まれだがしとやかで美しく、女好きな伯爵の毒牙に掛かってしまった。妊娠が分かったときには絶望したが、「伯爵家の子を殺すつもりか」と権力をちらつかされ脅され……だというのに伯爵はいざ自分が結婚する段階になったら、邪魔な母を田舎に追いやった。
そうして母の死後、ステイシーを無理矢理引き取ったくせに「不細工」と吐き捨てた。
だからステイシーは、養母によって入れられた教会で必死に修行した。
賢くて優秀な神官になったら、権力を手に入れる。
そうして――あの、かつて母や自分を権力で押さえつけてきた父を、権力をもって踏み潰してやるのだ。
聖女まで上り詰めると、世界が変わって見えた。
権力を振るって偉そうな顔をする者を、とことん叩き潰す。許しを請う者をせせら笑い、「聖女の裁きに逆らうつもり?」とねじ伏せる。
尊敬されるのは、気持ちがいい。
頼られるのは、嬉しい。
偉そうな連中をひねり潰すのは……身が震えるほど楽しい。
「私は星女神様の娘でありながら、権力によって他人を制圧することを楽しみとしています。そんな女が王妃になんてなれば、内乱勃発は確実。……あなたの治世を汚すだけです」
ステイシーは微笑みを絶やすことなく、言い切った。こうして自分の暗い面を吐き出すのは、これが初めてだった。
教会の神官たちはステイシーのことを「聖女様」と慕ってくれるし、年配の神官や大司教たちも「星女神様の寵愛を得た、素晴らしい聖女」とステイシーを褒め称える。
だが、そんなステイシーの中身は真っ黒なのだ。死後、きっと自分は星女神様のおわす天上ではなくて、星女神に逆らった者たちの流刑地である地獄へ落ちるだろう。
(……清廉潔白な騎士として育たれた陛下からすると、醜くて汚い存在に思われるわよね……)
そう思いながらステイシーは顔を上げて――リュートがまっすぐこちらを見ていたため、少しのけぞってしまった。
「あ、あの、陛下……?」
「君は、美しいな」
「…………はい?」
「ああ、いや、困らせるつもりはなかった。だが……今、自分の気持ちを吐露していたときの君の顔はとても美しくて、思わず見惚れてしまった。すまない」
「え、い、いいえ……?」
まさかそんなことを言われるとは思っていなくてひっくり返った相づちを打つと、リュートはがっしりとした足を組んで座り直した。
「ああ、それで、君の語った内容についてだが……別に、悪いことではないと思うが」
「…………嘘でしょう?」
「嘘ではない。……なんだ、思い詰めたような顔をするからどんなものを抱えているのかと思ったら、君は十分素晴らしい女性ではないか」
うんうんとうなずきながら言われるものだから、ついステイシーはぎゅっと唇をかんでうつむいてしまった。
「……私のどこが素晴らしいのですか。権力で弱者を踏み潰す、聖女でありながら魔女のような悪徳女ですよ!」
「ふむ? では尋ねるが……君は今権力を得ており、それで父君を見返したのだな?」
「ええ、そうです。あの無茶苦茶な募集要項で父を困らせるのが、すっごく楽しかったです」
「それには、かつて君の母君や幼い頃の自分が伯爵によって虐げられていたという背景があるのだな?」
「……まあ、そうですね」
リュートの質問に慎重に答えていると、彼は次々に言葉を重ねた。
「そういえば……君は先日、コニング子爵を摘発したな。彼は確か、教会にも積極的に寄附していた敬虔な信者だったと思うのだが」
「その金の出所が真っ黒で、しかも領民の少女たちを奴隷として売り飛ばしていたと分かったので、踏み潰しました」
「なるほど。つまり君は、権力のある偉そうな者が嫌いなのだな」
「嫌いですね。父みたいなので」
「では、実際偉くて権力のある俺のことは、嫌いか?」
「えっ? いえ、ですから、嫌いなわけないですよ……」
「では、ムーレンハウト卿は? 彼は外務卿で、相当な権力者だが」
「え、ええと……その方にしても陛下にしても、何も悪いことはしていないでしょう? だったら――あっ」
はっとしたステイシーが目を瞬かせると、向かいでリュートがにっこりと笑った。
「うむ、やはり君は素晴らしい聖女だ。……君は実力をもって手に入れた権力で、悪しき心を持つ者たちを成敗しているのだからな」
リュートに言われて、ステイシーは何も答えられなくなった。
ステイシーは、権力で人を制圧するのが好きだ。だが――弱い者や咎のない者を攻撃したりはしない。
彼女がねじ伏せるのは、父しかりコニング子爵しかり、弱者をいたぶるような権力者だけだった。