聖女、国王の境遇を知る
……リュート曰く。
彼が即位した三年前から、それまでとは比べものにならない量の縁談が舞い込んでくるようになった。ただの脳筋王弟だった頃はリュートに見向きもしなかった貴族たちも、こぞって自分の娘を王妃に推してきたという。
リュートとしても、いつかは妃を迎えなければならないと思っていた。だから彼は最初の頃は、わりと乗り気で令嬢たちとの見合いに臨んだ。
……だが、それらのどれもよろしい結果にはならなかった。
「とにかく、会話が成り立たないんだ」
紅茶で口を潤してから、リュートはどこか寂しそうに言った。
「私が何か話題を振っても、令嬢たちは微笑んで黙るだけ。せっかくだから相手のことを知りたいと思い、好きな菓子や花、趣味などについて尋ねても、『陛下に申し上げられるほどのものはございません』と言われるばかりで」
「そうなのですか……」
(……ああ……そういえば、貴族の令嬢は慎ましく遠慮がちであるのが美徳とされているのだっけ)
貴族の夫婦において、お互いの実家の階級が同じくらいであればまだいいが、多くの場合は妻の方が夫よりも少し身分が低い。
そんな場合でも夫をいつでも立てられるよう、令嬢たちは「夫の言うことには逆らわない。自分の意見よりも、夫の意見を重要視しろ」と教わるそうだ。
ステイシーからすると、好物すら言えないなんてあほらしいとしか思えないのだが、事実妻に立てられることを喜びとする男性は多い。
だから令嬢たちは見合いの席で何か自分に関する話題を振られても、「あなたのような尊い方にわたくしごときが意見するなんて、滅相もない」という態度でいて――そんな慎ましい令嬢のことを気に入る男性もそれなりにいるそうだ。
だが、リュートは世間の男性貴族とはいろいろな意味で違った。
人生のほとんどを騎士団で送ってきたリュートは、男だろうと女だろうと気軽に言葉を交わせる相手を好んでいた。
「それに、私が騎士団で見かける夫婦は……妻が夫の背中を叩いたり、夫婦が大口を開けて笑い合ったりということを当たり前にしていた。だから私も、結婚するなら……ああやって妻と二人で明るく笑っていられるような関係でありたいと思っていたんだ」
(なるほど……だとしたら、令嬢たちと話が合わないのも当然ね……)
リュートの気持ちもよく分かったため、ステイシーは小さくうなずいた。
「それで、お見合いはうまくいかなかったと……? あの、それなら陛下はご令嬢たちに、ご自分のお気持ちを話されていたのですか?」
「ああ、このままでは誤解が解けないと思い、二年ほど前からは『あなたの意見を聞きたい』『私は妃と何でも話せる間柄であることを望んでいる』と伝えている。だが……それでも皆、とんでもないことだと遠慮するばかり。終いには私に意地悪をされたと思い込んだらしく、泣き出してしまう令嬢もいた。……後でその父親に、『縁談を断るにしても、他に言い方があったでしょう』と叱られてしまった。そういうつもりではないと言ったのだがな……」
「一度染みついた考えを翻すのは、難しいことなのですね……」
リュートが何も言わず令嬢たちに無茶ぶりをしているのならともかく、彼はきちんと自分の気持ちを言って……それでも受け入れられなかったのなら、もうご縁がなかったと諦めるしかないのだろう。勘違いもされているようだが。
と、そこまでは落ち込んだ雰囲気だったリュートが顔を上げた。
「だが……一年前、私は君に出会った」
「……」
「覚えているか? 遠征の初めの頃に、川辺に座って会話をしたのが始まりだったのだが……」
「もちろん……覚えております」
あの出来事は、それまではリュートに対して「頭の足りない王」という失礼な先入観を持っていたステイシーが考えを改めることになったきっかけなのだから。
「あのとき、君は私のことを格好いいと言ってくれたな」
「……あ、あー……そう、ですね。すみません、もっと他に言葉はあったのに……」
「いや、俺は……嬉しかったんだ。君の、偽りのない正直な気持ちを聞くことができて……聞かせてくれて」
そう言うリュートは、本当に嬉しそうに頬を緩めている。一年前も、彼は国王としての仮面を脱いだときだけ自分のことを「俺」と呼んでいた気がする。
「しかも君は、俺の質問に全て素直に答えてくれた。……本当に、初めてだったんだ。好きなものや嫌いなものなどについて話せて、意見を交換して、面白い話題だったら声を上げて笑う。……国王になってからは同性とでさえ腹を抱えて笑うことはほとんどなくなったというのに……君は、まっすぐ俺にぶつかってきてくれた」
嬉しかったんだ、とリュートはかみしめるように言う。
「だから、君を妃に迎えたかった。君となら、俺はずっと笑っていられる。国王として被っている仮面も、君の前なら外して素顔で笑うことができる。……君なら、そういう場所と時間を作ってくれる、と思ったんだ」
(す、すごく直球だわ……)
ここまでストレートに言われると、さしものステイシーも照れてくる。
さりげなく髪で頬を隠しながら、ステイシーは口を開いた。
「え、ええと……そのように言っていただけて、光栄です。しかしその時点での私は神官で……誰とも結婚することはできなかったのですが」
「ああ、だからショックだった。女神の娘である神官ですら結婚は不可能なのに、聖女とまでなると教会は決して君を手放したりしない。……俺の初恋は、ここで終わった。こうなれば君のことは諦め、物わかりのよさそうな令嬢を妃に迎えようか……と思っていた」
「は、初恋だったのですね……」
「あ、ああ、まあな。まあ、これまでにももしかしたら恋の欠片のようなものを感じたことはあったかもしれないが、はっきりと『この女性とお付き合いしたい』と思ったのは君が初めてだ、うん」
少し目線をそらして自分にも言い聞かせているかのようにリュートは言ってから、ステイシーの目を見つめてきた。
「……だが、君の方から夫を募集しているという話を聞いた。そうして要項を見て……その、正直なところ、ステイシー・リートベルフ嬢は俺と結婚したがっているのかと思った」
「ええっ!? それは……」
ないです、と言いかけて、ステイシーははたと動きを止めた。
彼女が出した募集要項。あそこに書かれているうち半分は本当の希望で、残り半分は悪ノリだった。深く考えたわけではない。
だが……今思えば、条件のうちほとんどはリュートに合致しているではないか。
(も、もしかして私、無意識のうちに陛下を思い浮かべながら募集要項を作らせていた……!?)
ぼっ、と顔が熱くなったステイシーを見て、リュートは少し調子づいたように身を乗り出してきた。
「や、やはりそうなのか? ああ、いや、そうでなくてもいい。だが……聖女である君本人が還俗して結婚することを望むのなら、俺がためらう必要はない。そのためすぐにレンガブロックを大量に発注して片手で粉砕できるよう、練習してきた」
「……」
リュートは自信満々に言うが……一方のステイシーの背中には、冷や汗が伝っていた。
(い、言いにくい……! 「実は結婚する気はほとんどなくて、求婚者を追い払うために無茶ぶり募集要項を書いたのです」って、今さら言いにくい……!)
どうやらリュートは我こそは条件に合致する男だと意気込んで準備をしたようだが、ステイシーの方は国王が釣れることももちろん考えておらず、むしろこれで教会に戻り悠々自適聖女生活を送れると喜んでいたのに。