聖女、国王と再会する
「久しぶりだな、ステイシー嬢」
「……お久しぶりでございます、陛下」
決められた日時に、国王リュートは伯爵邸を訪れた。国王の求婚ということでお付きや護衛も大量におり、父だけでなく伯爵夫人や異母きょうだいたちも対応に追われている。
父についてはざまぁみろと思うが、嫌いながらもステイシーに食事を与えてくれた伯爵夫人や、腫れ物に触れるような扱いではあるが意地悪などはしてこなかった異母きょうだいたちには、申し訳ないと感じた。
今日のために隅々まで掃除された応接間に通されたリュートは、ステイシーを見て微笑んだ。
魔竜討伐直後にステイシーは気を失ったしすぐに教会に戻ったため、国王とは情報共有を手紙で行うくらいで顔を合わせることはなかった。
約一年ぶりに見るリュートは、ますます精悍さを増していた。だが穏やかな笑顔は変わっておらず、緊張しながらもステイシーはなんとか微笑みを返すことができた。
伯爵夫人が急ぎステイシーのために作らせたドレスは、流行のデザインらしくスカートがふんわり膨らんでいる。丁寧な縫製ではあるのだが、田舎では簡素なワンピース、教会ではシンプルな修道服で過ごすことが多かったステイシーにとって、豪華なドレスは少し着心地が悪かった。
国王のお付きたちのほとんどは外で待機する中、親衛隊らしい若い騎士と官僚らしい中年男性が応接間まで付き従ってリュートの背後に立った。よく見ると騎士は四角い布包みを持っている。手土産か何かだろうか。
「国王陛下にお越しいただき、恐悦至極に存じます」
ステイシーが礼を述べると、リュートは大きな手を振った。
「いや、こちらこそ丁重なもてなしに感謝する。それから……いきなりあのような手紙を送ったにもかかわらず、こうして君と話す機会を与えてくれたことにも礼を言いたい」
「お気になさらないでください。それより、その……」
「ああ」
それまではどこか緊張の面持ちも残っていたリュートは、少し頬を緩めた。
「私は今日、ステイシー・リートベルフ嬢に求婚しに来た」
「……あの、陛下からそのように言っていただけて大変光栄なのですが……」
「君の言いたいことは、分かっている」
はっきりと言った後に、彼が背後にいた官僚から一枚の紙――父が作成した例の募集要項を受け取ったため、ステイシーはどきっとした。
(やっぱり、あの無理難題ばかりの募集要項のことよね……!)
半分はステイシーの異性のタイプなのだが、もう半分は悪ノリみたいなものだ。あれに乗っかる人がいるとは……しかもそれが国王陛下だなんて、思ってもいなかった。
「……その」
「私はこれでも、一国の王だ。年収は二十万クルルをゆうに超えるだろう」
「そ、そうですね……?」
「それから、私は高身長だ。妃として迎えたなら他に愛人など持たず、ただ一人だけを愛するつもりでいる。浮気など決してしないと、星女神に誓う」
「……はい」
「もちろん、妃に家事などを任せることはない。また私はこれでも猫が好きで、居城には猫を五匹飼っている」
「まあっ!」
思わず声を上げると、リュートは紙から顔を上げて微笑んだ。
「君なら大歓迎だから、いつでも猫たちに会いに来てくれ」
「え、あ、ええと……ありがとうございます」
「ああ。それから……サミュエル」
「はいはい、こちらに」
リュートに呼ばれて、親衛隊の騎士が持っていた包みを差し出した。てっきり手土産だろうと思っていたのだが、国王が外した布の中から出てきたのは――
「……陛下、それは?」
「見てのとおり、レンガブロックだ」
「レンガブロック」
「今からこれを、片手で粉砕する」
「粉砕」
同じ言葉を繰り返すことしかできないステイシーに力強くうなずきかけると、リュートは立ち上がって大きな右手でレンガブロックを掴んだ。
すかさず騎士と官僚が持ってきていたらしい大きな布を床に敷き、その中央にリュートが立った。
(……えっ? レンガブロックを……えええっ!?)
「あ、あの! そこまでなさらずとも……!」
「案ずることはない、ステイシー嬢。何度も練習した」
「そうではなくて! あれはその、ノリというか……」
「……ふン!」
思わず立ち上がったステイシーの必死の訴えもむなしく、レンガブロックを掴んでいたリュートの手がぐうっと握られ、豪奢な正装の腕の部分が盛り上がり――
――バキィッ!
亀裂が走ったかと思いきやレンガブロックはあっという間に握りつぶされ、欠片となったレンガがぱらぱらと布の上に落ちていった。
唖然とするステイシーをよそに騎士と官僚はせっせと掃除を始め、リュートは満足げに右手を握ったり開いたりした。
「うん、練習の成果がしっかり出たようだな」
「……あ、あああの! お怪我はないのですか!? すぐに治療します!」
「はは、これしきのことで君の魔力を使うことはない」
ほら、とリュートは笑顔で手のひらを見せてきた。白手袋には砂と化したレンガの破片が付いているが、彼本体は問題なさそうだ。
(……よ、よかった! あんなふざけた募集要項が原因で国王陛下の右手が使い物にならなくなっていたら……!)
思わずふらっとしてしまったが、「おっと」とすぐに飛んできたリュートがステイシーの腰を抱き寄せて支えてくれた。
……先ほどは一瞬でレンガブロックを砕き、一年前の遠征時には大剣を手に魔竜の首を落としたその手だが、ステイシーの腰を支える手つきは――初対面で握手したときと同じ、優しさにあふれていた。
「すまない、淑女には刺激が強すぎたか……」
「い、いいえ! 私が言い出したことですし……あ、あの、ありがとうございます。もう立てます」
「そうか? それならよかった」
リュートは安心したように微笑み、ステイシーがソファに座れるようにエスコートしてくれた。
「……ということで、私は君が出した条件全てに合致している」
「……そ、そのようですね。しかし、その……陛下はなぜ、私に求婚なさったのですか?」
あの悪ノリ募集要項に合致するという奇跡が起きたのは一旦置いておくとして、ステイシーにはリュートの気持ちがまだ分からなかった。
「私は伯爵の娘とはいえ非嫡出子で、淑女教育もまともに受けておりません。あなたと結婚するということはつまり、このクライフ王国の妃となるということ。私は、自分に王妃の仕事が務まるとは思えません」
「そうか?」
「そうですよ。私みたいながさつで私利私欲にまみれた女が王妃になんてなったら、陛下まで悪く言われてしまいます」
ステイシーとしてはもっともなことを言ったつもりだが、リュートはゆっくりと首をひねった。
「どうやら君は、自分のことをやや過小評価しているようだが……」
そこで一旦言葉を切ってから、リュートは再び口を開いた。
「……ステイシー嬢。あなたは、王妃の一番の仕事は何だと思う?」
「国王陛下と子作りをして、優秀な跡継ぎを産むことですね」
「んっ……! そ、そうか。まあ、それもあるな」
ステイシーとしては百点満点の解答だと思って自信を持っていたのだが、明らかに動揺したリュートの顔を見る限り、彼の望んだ答えではなかったようだ。
「ええと……では、社交界を牛耳ることですか?」
「ああ、まあ、それも大切なことではある」
リュートは一応ステイシーの解答は認めてくれたが、まだ正解を探り当てられていないようだった。
(えええ……子作りでも社交でもないとしたら……?)
答えが分からずステイシーが悩んでいると、リュートは一つ咳払いをしてから座り直した。
「……いざとなれば、世継ぎも社交界も他の者に任せられる。だが……私が妃に望みたいのは、そういうことではないのだ」
「……それは、何ですか?」
「……夢見がちかもしれないが、私は妃とは何でも話せる間柄でありたいのだ」
リュートは、どこか緊張を孕んだ声でそう言った。
「私はこれまで、何人もの妃候補の女性たちと会ってきた。多くは国内の有力貴族の娘で、外国の王女と顔を合わせたこともある」
(……やっぱり、候補はたくさんいるのね)
ステイシーとしては納得だが、そう語るリュートの表情は明るいとは言えない。
「兄から王位を継いだ以上、私は妃を迎える必要がある。だが……私は人生の半分ほどを騎士団で過ごしてきたため、どうにも社交界の常識などに疎い。そのためだろうが、なかなか女性たちと打ち解けられなかった」