神官、遠征に行く
ステイシー・リートベルフは、物心ついた頃からクライフ王国の田舎にある小さな屋敷で母と一緒に暮らしていた。
大自然の真ん中に建つ屋敷は小さくて古びているが、温かみがあった。老年の従者やメイドたちは孫のようにステイシーを可愛がり、繊細で儚い印象の母はいつも優しくステイシーを抱きしめてくれた。
派手なドレスや豪華な食事はなかったけれど、大好きな母と優しい使用人、そしておおらかで気さくな近くの村人たちに囲まれて、ステイシーはのびのびと育った。女児の中でも魔法の才能が高かったこともあり、「将来は神官様になる!」と母に言っていたのをよく覚えている。
だがステイシーが十二歳のときに、母は病に倒れて帰らぬ人となった。
母の墓の前で泣く日々を過ごしていたステイシーだがある日、リートベルフ伯爵の使いだという一行が屋敷を訪れた。ステイシーはリートベルフ伯爵と母の間に生まれた娘で、母の死を聞いた伯爵がステイシーを娘として迎え入れると言ったそうだ。
大好きな人たちから無理矢理引き離されたステイシーは、王都にある伯爵邸に連れて行かれた。そして、知らない夫婦――リートベルト伯爵夫妻に引き合わされた。
だが父を名乗る伯爵はステイシーの顔を見るなり、「こんな不細工は要らん!」と一蹴した。
使用人や村人から可愛い可愛いと言われて育ったステイシーは、ひどいショックを受けた。ステイシーは、母の美貌を一切受け継いでいなかったのだ。
その後、伯爵はステイシーに見向きもしなくなった。代わりにステイシーの部屋に来たのは、養母である伯爵夫人。
彼女は、自分の夫をたぶらかしたステイシーの母を心底嫌っていた。
そしてその娘であるステイシーにも蔑視を向けてきたが――彼女はステイシーをにらみつつも、衣食住の手配をした。腹違いのきょうだいたちよりずっと貧相だが、それでも養母のおかげでステイシーは生きていくことができた。
やがて養母が「高い魔力があるのだから、教会で働け」と言って、ステイシーは伯爵家を追い出された。星女神教会は複雑な身の上のステイシーを温かく迎え入れ、神官として生きるすべを教えてくれた。
ステイシーは自分でも、図太くてずうずうしい面倒な性格だと思っている。そんな彼女が教会で勉強して神官として魔物退治を行ったりしたのも全て、「自分の我が儘を貫き通すため」だった。
力がなかったら、人の言いなりになるだけ。
だが力が、権力が、名声があれば、ステイシーは周りの命令に逆らってでも生きていける。
だからステイシーは生まれ持った魔力で神官として上り詰め、自分の思うままに生きることにした。危険な魔物討伐作戦にも自ら出向き、光の魔法で魔物を倒して癒やしの魔法で負傷者を癒やしていく。
全ては、自分のためだ。
そして結果として星女神の教えである「弱き者を救う」ことにもなっているのだから、誰にも文句を言われる筋合いはない。
――そうして教会内でも名の知れるようになった、去年。
星女神教会の神官から国王による魔竜討伐作戦への同行者を選出するように、というお達しがあった。
現在のクライフ王国を治めるのは、リュート・アダム・ランメルス王。
彼は元々第二王子で、先代国王である彼の兄は名君と皆から慕われていた。だが兄王は今から三年前に起きた落馬事故により下半身が自由に動かなくなったため、若くして王位を退いたのだった。
リュートは幼い頃から騎士団で生活しており、王族ではあるが根っからの武官気質だった。
そんな彼は戴冠した後も積極的に魔物退治に出向いていたのだが、今回の魔竜はかなり強力な個体で、最強の騎士と称えられるリュートでさえ無事に帰れるか分からないと言われていた。
そうして、星女神教会の大司教は魔竜討伐作戦への同行者の代表として、ステイシーを指名した。ステイシーの能力は並外れていたし、少々のことでは動じない性格もまた、過酷な旅の同行者として適任だと判断されたのだった。
ステイシーはもちろん、喜んで任務を拝命した。そうしてサポート役の若い神官たちを連れて、国王の旅に付き従うことになった。
当時のステイシーにとって、国王リュートは「王としてはちょっと頼りない人」という印象だった。
先代国王である兄・アロイシウスは頭の回転が速い切れ者だったが、帝王学をほとんど受けていないリュートは深く考えるのが苦手で、頭より体を動かす方が得意。そのため会議などでも兄のようにズバズバ意見を言うことはなく、「大臣はどのように思う?」と周りの者たちに頼りきりになっていた。
愛想はよくて騎士団では慕われていたようだが、一部の貴族たちからは「頭の足りない王」と馬鹿にされているとか。
だから、国王は図体は大きいのに全く頼りにならない、爽やかな脳筋、のような印象を持っていたのだが――旅をして、分かった。
まず、リュートは間違いなく「爽やかな脳筋」だった。
「そちらが、星女神教会の神官たちだな」
挨拶に向かったステイシーたちを迎えたのは、がっしりとした体を持つ青年だった。
少しふわっとした癖のある赤茶色の髪は毛先が肩に掛かるほどの長さで、深い青色の目には優しい光を湛えている。声は低く、かといって聞く人を威圧させるような凄みはない。
お辞儀をするステイシーたちにも手を差し伸べてきたので驚いたが、おずおず手を差し出すと嬉しそうに握手をしてくれた。ステイシーの手がすっぽり包まれるほど大きな手だが、握る力はひどく優しかった。
「魔竜討伐作戦に同行してくれること、感謝する。君たちの魔力で私たちを助けてもらうが……君たち全員が無事に教会へ戻れるよう、配慮する」
まさか、こんなことまで言ってくれるとは思わなかった。ステイシーが皆を代表して礼を言うと、「騎士として当然のことだ」と微笑まれた。
そうして、魔竜の巣までの道中を共にしながら……ステイシーは、気づいた。
リュートは決して「頭の足りない王」ではないのだと。
確かに、自分一人で物事を決定するのは苦手そうだった。だからこそ彼は周りにいる者たちを頼り、頼った後には必ず礼を言う。だからか、キャンプでも彼の周りにはいつも彼を慕う騎士や使用人たちが集まっていた。
リュートに興味を持ったステイシーは、彼の親衛隊から話を聞いて……理解した。
(陛下は、ご自分が政治を苦手とすることを分かってらっしゃる。だからこそ素直に人を頼るし……しかも、的確に人の本質を見抜いている)
リュートはすぐに他人に頼るが、その「頼る相手」の人選が見事らしい。「この件については、誰から話を聞くべきなのか」を瞬時に見極め、その人に教えを請う。
もし腹黒いことを考える者がいても、「それはどういうことなのか」「今の発言は、おかしくないか」とナチュラルに突っ込むため、国王を傀儡にしようとした者も真正面から撃破されてしまうそうだ。
深く考えているわけではなく、ある種の野生の勘みたいなものらしいが――それもまた彼の才能だろう。それに素直で思いやりのある性格だからこそ、大臣や官僚たちも未熟な王に手を貸したくなるし、そんな王に魔の手を伸ばそうとする者がいても全力で守ろうとするのだという。
(先入観はよくないわ……反省しないと)
キャンプで水汲みを手伝っているとき、川辺に座り込んでいたステイシーは己の考えを改めた。これからは、噂ではなくて自分の目でリュートの人となりを見ていきたい。
「……おや、君は神官殿か」
「えっ?」
低い声がしたので振り返ると、簡素な服姿の国王が。首から掛けたタオルで汗を拭いているので、部下たちと手合わせでもしていたのかもしれない。
ちょうどいいタイミングだとステイシーが汲んだ水でタオルを冷やして渡すと、「ありがとう、気が利くな」と笑顔で礼を言ってくれた。
(……うーん、近くで見ると……やっぱり美形だわ)
これまでは遠くから見るだけだったが、「足を洗ってもいいか」と言った彼がステイシーの隣に腰掛けて川下側の水に足を浸したので、その顔をまじまじと見ることができた。
ステイシーは純潔を求められる神官だが、星女神は恋愛自体を禁じているわけではない。だから教会でも神官同士で恋の話をしたし、ステイシーも見目麗しい男性などを見るのは好きだった。
筋肉質な体に、男らしくも甘い顔立ち。
社交界に出れば、令嬢たちの恋心を一身に集めてしまいそうだ。
(でも、国王陛下に婚約者がいるという話は聞かないわね……?)
先代国王には王妃がいたが、リュートは二十二歳でありながら妃はおろか、婚約者の影すらない。この美貌で微笑めば、婚約者の一人や二人簡単に作れそうだが。