聖女、夫を募集する
ステイシー・リートベルフは、うんざりしていた。
「可愛いステイシー。おまえももう二十歳で、リートベルフ伯爵家の令嬢なのだから、そろそろ結婚を考えてみてはどうだ」
「……はぁ」
ステイシーは、正面のソファで不気味なほどにこやかに語ってくる男をじろっとにらみつけてやる。
ひょろっとした体は貧弱だが、目だけはぎらぎら光っている。金と権力が大好きだということを全身で表しているようなこの男が、自分の実の父なんて……ステイシーは、信じたくなかった。
(……白々しい。私が偉くなったからって、手のひらを返して)
猫なで声の父親を冷たくにらんだステイシーは、ソファの上でふんぞり返って足を組んだ。淑女にあるまじき姿勢ではあるが、人生の半分以上を田舎で、残りを教会の神官として過ごしたステイシーには、淑女であろうという気持ちは一切なかった。
「……随分な手のひら返しですね。下働きだった母に手を付けて妊娠させたくせに、自分の結婚の邪魔になるからと身重の母を田舎に追いやる。生まれた私の顔を一度も見に来ず、母の死後に引き取ったかと思ったら醜女扱いして追い出したくせに……よくもまあ、そんなことが言えますね」
積年の恨みをつらつらと吐き出すと、父の顔色が変わった。
だが目の前にいる生意気な娘が今や、教会でも屈指の実力を持つ「聖女」だと思い出したようで、怒りの表情を瞬時に引っ込めて笑顔を貼り付けた。
「それについては、申し訳なかったと思っている。だからこそ、おまえに幸せな結婚をしてもらいたくてな……」
「あほらし」
「な、何だと?」
「ああ、すみません、本音が漏れました」
別にうっかりでも何でもなく、わざと言ってやったのだが。
父親といえど伯爵家当主であるこの男に、ここまで偉そうな物言いをできるのは……ひとえに、ステイシーの「聖女」という身分のおかげだ。
「……で? 一度は追い出した娘が神官として手柄を立てたから、自分の駒にするべく今になってごまをすり、結婚を勧めているということでしょうか?」
「い、いや、そういうわけでは……」
「私は聞き苦しい言葉を聞きに来たわけではありません。……私は星女神教会で働くのが大好きなので、結婚するつもりはありません」
「だがな、ステイシー。是非ともおまえを妻にと、既に数多くの貴族が縁談を持ちかけてきていてな……」
(……なるほど。ここ最近、教会にまで手紙が届くようになっているとは思っていたけれど……)
どうせ父がステイシー本人に意思確認する前に勝手に、「うちの娘をもらってくれる人はいないか」と言って回ったのだろう。
目の前で汗をかきつつニコニコする父を魔法でぶっ飛ばしたいのが本音だが、生まれ持った才能である魔法を世のため人のために使うことを女神に誓った身であるため、私用ができないのが非常に残念だ。
(それに……きっと貴族の中には、親とかに命じられて渋々縁談を持ちかけてきた人もいるわよね……)
少し癖のある黒に近い灰色の髪に赤茶色の目を持つステイシーは、儚い美人だった母にはあまり似ていなかった。だが魔法の才能には恵まれており、星女神教会の神官になってからは魔法の能力を伸ばし、実力で信頼を勝ち取り実績を重ねてきた。
だがどうやらこのクライフ王国では、しとやかでおとなしくあまり自己主張をしない女性が好まれているそうだ。ステイシーのようにがさつで偉そうな女を進んで娶りたがる者なんて、そうそういないはずだ。
(だとしたら、貴族の方にとっても都合が悪くないようにこの話をぶっ潰したいところね……)
ただ潰すだけならこの父を張り倒すだけでいいが、それだけでは他の貴族たちは諦めないだろう。いくらステイシーの性格がアレでも、伯爵家の娘で聖女の称号まで得た女となれば価値はいくらでもある。
(自由になりたくて、頑張ったのにね……)
やれやれ、と肩を落としたステイシーは、顔を上げた。
「……まあ、いいでしょう。貴公子たちからもお声が掛かっているのなら、無下にもできませんし」
「おお、では!」
「しかし。夫となる男性の条件は私が決めますね」
調子づいた父を制して続けると、とたんに相手の顔色が変わった。
「なっ……そ、それは困る!」
「なぜですか? むしろ……私の希望を無視してあなたの都合のいい男のもとに嫁がせて困るのはあなたですよ? 女神の娘である神官が還俗して結婚することの意味……信仰心の薄いあなたでも、分かっているでしょう?」
クライフ王国で信仰されている星女神教では、愛と豊穣を司る星女神を奉っている。
星女神は、かつて男性に力で支配されていた女性たちに神秘の力――魔力を与えた。「この力で、弱き者たちを守りなさい」と命じたため、女性は差はあれど皆魔力を持って生まれる。
その中でも特に魔力の高い者は「女神の娘」と呼ばれて、神官として国を支える使命を授かっている。そんな神官たちは女神に倣い、その職に就く限り独身と純潔を貫く必要があった。
だが星女神は妊娠や出産も重んじているので、我が娘たちが愛のある結婚や子を産み育てることを望むのならば、還俗することができる。どうしても男性優位になりがちな世間だからか、星女神教は女性にとても優しかった。
……そう、星女神は女性――それも自分の娘である神官たちには非常に甘い。自分の手元から離れて結婚や子育てに臨む娘たちを蔑ろにする者には、容赦しない。
特に己の実力をもって聖女の地位にまで上り詰めたステイシーが嫁ぎ先で不幸な目に遭おうものなら、星女神教会はきっと夫一族を――そしてそんな縁談を組ませた父を罰するだろう。そうなればたとえ王族だとしても、教会に物申すことはできない。
さしもの父も教会からの報復は怖いようで、はっとした様子でうなずいた。
「あ、ああ、そうだな。もちろん、ステイシーの希望を全て取り入れよう! おまえが望む貴公子は、どんな者なのだ?」
(……よし、言質は取ったわ)
ステイシーはにやりと笑うのを隠そうともせず、冷や汗をかく父を見つめた。
『星女神教会の聖女・ステイシーは、以下の条件全てに合致する男性を夫として希望する。
・とろとろに甘やかしてくれること
・とびっきり優しいこと
・誠実で、浮気を絶対にしないこと
・ステイシーが家事を一切しないのを許可すること
・身長は三十八トル以上であること
・猫が好きなこと
・金持ち(少なくとも年収二十万クルル以上)であること
・筋肉質で、片手でレンガブロックを粉砕できること』
(うん、完璧だわ!)
ステイシーは、会心の笑みを浮かべていた。
先日、ステイシーは父にせっつかれて夫の募集要項を作成した。これを読んだ父は絶望していたが、「嫌なら結構です」と笑顔で要項を奪い返そうとしたら、慌てて首を横に振っていた。
夫の条件に挙げたものは、ステイシーの個人的な趣味が大半だ。
まず、優しくて甘やかしてくれる人がいい。世界で誰よりもステイシーのことを想ってくれて、浮気もよそ見もせずに一途に愛してほしい。
また、ステイシーは恒温動物なら何でも好きで、特に猫はずっと飼いたいと思っていた。だから、猫のいる屋敷で一緒に暮らしたい。
それから、父のようにひょろひょろガリガリの男よりがっしりした体を持つ人がいい。騎士などだと体格もいいし、しっかり稼げるだろう。
……ここまでがステイシーの個人的な趣味で、残りはおまけだ。
ステイシーはここで無茶苦茶な条件を出すことによって、求婚者を全てあちら側から撤回させるつもりだった。
クライフ王国の成人男性の平均身長はだいたい三十五トルなので、三十八トルは超大柄だ。ステイシーは三十三トルくらいなので、見上げるほどの身長差になる。
そしていくら高給取りの騎士でも、年収二十万クルルまでいく者はそうそういない。特にステイシーと同じくらいの年齢の者なら、高くても十万クルルくらいだ。
さらに、片手でレンガブロックを破壊する者は相当だ。
だから、これらの条件一つ一つなら「当てはまる者もいる」くらいだが、全てをクリアする者はそうそう……否、まずいない。
いないと分かっているからこそこの条件を出したし、普通の者ならこんな無茶な条件を見れば「この女はヤバい」と思って求婚を取り下げてくれる。
これなら求婚者たちは仕方なく求婚を取り下げるし、ステイシーは我が儘な変人扱いされるだけなので痛くもかゆくもない。そして父には「条件に合う人は現れなかったですね」と嬉しそ――ではなくて悲しそうな顔で言い、星女神教会に戻るのだ。
我ながら完璧な作戦だ。
そしてステイシーの思惑通り、父が泣く泣くあの条件を提示してからは求婚の手紙はぱったりと途絶えたようだ。
(これならすぐに、教会に戻れそうね!)
今は伯爵邸にとどめさせられているが、さっさとこんな場所をおさらばして教会に戻りたい。聖女として、やるべきことはたくさんあるのだ。
……と、思っていたのだが。
「ステイシー。おまえに求婚者だ」
なぜかやつれた顔の父に言われて、爪をやすりで磨いていたステイシーはしかめ面をしてみせた。
(あんな無茶ぶりの条件に合う人なんて、いるはずがない。ということは……条件に合わなくてもいいから結婚を、とか言う物好きがいたのね)
「それはそれは。……で? そんな奇特な方は、どこのどなたでしょうか?」
「……いかだ」
「何と?」
「国王陛下だ……」
父の、思ってもいなかった言葉にステイシーは、
「……ぇぅい?」
やすりを取り落とし、変な声を上げてしまったのだった。
だいたいの単位について
一トル≒五センチ
一クルル≒百円