王子は自らを否定する
第二章はここまでです。
夕闇が迫る中、目を白黒させる馬小屋番の青年から黒馬をひったくると、比較的裕福なエリアへ馬を走らせる。シェーナが目を覚ます前に戻ってこなくては、と思いながら。
しかし、ちょっと遅かったらしい。
目的を達して戻ってきたところ、ジュシェたちが玄関のあたりでしゃがみこみながら何かを探していた。
「どうした?」
「カナスさま。それが、シェーナさまが大切なペンダントを失くしてしまったらしく・・・」
「カナスさまはご覧になっていませんか?シェーナさまがいつも身につけていらっしゃる、緑色の石のペンダントなのですが」
「・・・知ってる」
やはり、と思いつつ、ため息をつくと、双子が競ってカナスに迫った。
「知っているんですか?」
「どこにあるんですか?」
彼は店主が包んでくれた箱を差し出した。
「鎖が切れていたから、代わりの鎖を買ってきただけだ。驚かせて悪かった」
「だから、カナスさまはいなかったのですね」
「珍しく、カナスさまも良いことをなさいますね」
「珍しくって何だ」
「「・・・・・・。カナスさまは、シェーナさまにとても心を配ってくださってお優しいですね」」
おべっかばかりか、沈黙までが二人仲良くそろっている姉妹に、カナスはもうため息をつくしかない。
「起きてるならこれ、渡しておけ」
「カナスさまが自分で渡すといいです」
「仲直りできます、きっと」
さらに、差し出した箱を拒絶されて逃げられ、ますますため息をつく羽目になった。
カナスは多少ためらいながらも、こんこんとシェーナの部屋のドアをノックした。
するとシェーナが飛び出してくる。
「ジュシェ、ニーシェ、ありましたかっ!?」
その必死の様子にカナスが驚くと同時に、シェーナのほうも相手がカナスだったことに驚いたようだった。慌てて飛びずさろうとして、こてんと尻餅をついた。
「・・・何をやってる」
カナスは手を差し伸べようとしたが、怖がらせるだけかと思い、それを思いとどまった。シェーナは一人で立ち上がる。
「ご、ごめんなさい・・・!あの、ま、間違えて・・・あの・・・あの・・・いま、大切なものを・・・さ、さがしているので今は・・・」
「ああ。これだろ」
「・・・え?」
失礼します、と逃げかけたシェーナが、カナスの差し出したものにぴたりと足を止めた。
「勝手に持ち出して悪かった。俺の服に引っかかって鎖が切れたみたくてな、落ちていたんだ」
「・・・鎖が・・・?」
「付け替えておいた。この石だって、細工と同じ色のほうが映えるだろ」
差し出したペンダントには、少し太めの鎖がつけられていた。
閉店間際に駆け込んできたカナスに、呼ばれればいつでもはせ参じるのに、と店主はひどく恐縮して、それからとりどりの銀鎖を見せてくれた。その中で、シェーナの華奢な首に似合いそうで、それでいていつも身につけていても容易に切れないものを選んだ。
ほら、とカナスは受け取ろうとしないシェーナの手の中に、ペンダントを置いた。しゃらり、と上質な銀が滑らかな音を立てる。
それを見つめたシェーナは、だが、何故か顔を歪め、突然泣き出してしまった。
「っなんだ?」
「・・・・鎖・・・」
「鎖?」
「ど、どこですか・・・?私の・・・金の鎖・・・」
シェーナはくずれおちるようにそこに座り込み、顔を覆った。
「切れ・・・ちゃった・・・って、な、なくなっちゃった、ん、ですか・・・?」
「お前・・・」
初めてカナスは自分の勘違いに気がついた。シェーナが大切なもの、と言ったのは、この石ではなく、鎖のほうだったのだと。
「あれは、私の・・・宝物なんです・・・、し、知りませんか?切れていても・・・いい、から・・・」
泣きながら尋ねてくるシェーナに、ひどく苦いものがこみ上げた。
「・・・・半分なら」
「ありますかっ?」
「いや・・・その、明日、返してもらってくる」
「え・・・ど、どういう・・・?」
またしても瞳を曇らせるシェーナに、カナスは正直に説明した。
宝石商の店に行くまでは確かにポケットに入れていたのだが、銀の鎖を買ったときにふと思い出して、彼に処分を頼んでしまったのだ。もう使い物にならないし、価値もみられないような古びた金鎖だったから。
本当はシェーナが飾りとも似つかわしくない鎖をつけているのが業腹で、目の届かないところにやってしまいたかったのだが、それは言わなかった。
「・・・ひ・・・どい・・・です・・・」
シェーナの表情が、非難するものになっても。ちゃんと確かめなかった自分が悪いと知っているから。
「・・・すまん、お前が何を大切にしているのか、分かってなかった。ちゃんと、朝一番に取り戻してくる」
「捨てられていたら・・・っ!す・・・捨てられているに、決まってます!カナス様だって、汚いと思ったんですから・・・そんな、毎日、綺麗なものに、かこまれて・・・る、そんな、人に、す・・・捨てられないわけが・・・っ」
たぶんそうだろうと、カナスも思う。これ以上の気休めは言えなくて、彼はすっかり黙り込んだ。
その代わり、シェーナが泣きながら詰ってくる。
「あれは・・・、古くて、汚い、かもしれない・・・けど・・・っ!でも、大切な・・・もの、だったんです。私には・・・すごく、大切な・・・ぅ・・・」
「シェーナ」
カナスが膝をつくと、彼女の怒りの色がはっきりと見えた。
「どうして・・・どうしてですか?私には、あれだけが大切だったのに・・・。カナス様は何でも、持っているかも、しれないから・・・わからないかも、しれないけど・・・あんな汚いもの、って、そうやって・・・思うかもしれないけど、あれは、すごく大切な・・・たった一つだけ、お父様以外の人から貰ったものだったのに・・・!」
「・・・・・・・貰った?誰に?」
あんなペンダントにも似合わないものを貰って、それを宝物とするほど大切にしていた?
カナスの表情がすっと変化した。先ほどまでの申し訳なさが消え、焦燥に駆られる。
「知らない男の人だけど・・・!でも、あの人だけは、私を助けてくれて・・・。お母様の形見の、この、ペンダントを、拾ってくれて・・・、ばらばらに、なってしまった鎖の代わりに、ご自分が、つけていたあの金鎖を、くれました。初めて、優しくしてくれた人で・・・すごく嬉しかったんです」
その男はただ一時の代わりに、鎖をつけてくれたのだという。けれど、シェーナにとっては唯一の温かな思い出で、付け替えることもせずにずっと肌身離さず持っていた。持っていればもう一度会えるのではないかと、そんな夢みたいなことを考えて。
とはいえ、かなり幼い頃の話で、背の高い大人の人という以外は顔もろくに覚えていないのではあるが。ただ、金の鎖は高価だからもしかしたら気がついてくれるかもしれないと勝手に思っていた。
「なのに・・・、も、もう・・・わからないです・・・もう・・・」
シェーナはどん、とカナスの肩を叩いた。ひどい、ひどい、と詰りながら。
心の中を温めていた大切な思い出を踏みにじられたのだから、当然のことだった。
だが。
「どうせ、フィルカを出てしまったら分かるわけがない」
「・・・っ・・・」
口から出てきたのは、自分でも信じられないくらい非情な言葉だった。シェーナの表情がさらに絶望に歪む。それでも、まだ、止まらなかった。
「それに、身につけていたとしても、そんな小さなものに目をやる奴なんていない。お前が顔すら覚えていないんじゃ、誰に見せていいかすらわからないじゃないか。見せたとしても、10年以上も前の話を、覚えている奴などそうそういないというのに」
ぱたぱたとシェーナの頬を伝う涙の量が多くなった。声をなくしてしまったかのように、呆然と泣いている。たぶん、嗚咽をこぼせないほどに、傷ついたのだろう。
けれど、カナスは謝らなかった。
ぎゅっと唇をかみ締めて、シェーナを置いて足早に立ち去る。・・・つまりは、逃げたのだ。
「・・・っくそ・・・!」
カナスは、自分の部屋に引き取ってから、がんっと壁を殴りつけた。
「・・・・何を・・・やっているんだ、俺は・・・」
そのまま壁を背にずるずるとしゃがみこむ。顔を手で覆った。
「ちっとも、駄目じゃねえか・・・っ」
シェーナが大切にしていたものを捨てただけではなく、その思い出まで踏みにじって。
最低すぎる。
本当は、シェーナが喜んでくれることを期待していたのかもしれない。そうしたらまた、心を開いてくれるかもしれないと、期待していたのかもしれない。
だけど、それが裏切られて・・・ましてや、シェーナがずっと他の誰かを待っていたのだと知って、激情が止まらなかった。
あの純真無垢な少女の胸にずっと秘められていた人間がいることが、許せなかったのだ。
(・・・俺は、やっぱり駄目だ。あいつを愛しいと思う資格など、欠片もない)
近づけば近づくだけ、壊してしまいそうだった。他のものを見ないように、閉じ込めて・・・。
カナスはぎゅっと目をつぶった。闇の中に荒くれた意識を陥れるために。
そしてゆっくりと瞳を開く。そこに、感情は何もない。
(今は、俺のやるべきことだけを考えろ。やっと、来たんだ。やっと、ここまで。シェーナは、今の俺に必要ない。考えるな)
また、心を凍てつかせる。
大きな目的をはたすための、ただの、道具になりきる―――・・・。
第二章はカナス側の内面を掘り下げてきましたが、次回からは話が大きく動きます。
もうしばらくお付き合いいただけたら嬉しいです。