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王子は雛鳥の反抗に焦る

第二章はカナス目線の話が続きます。

カナスが屋敷に戻ってきたとき、珍しく、遅い足で出迎えに駆けてくる少女の姿がなかった。

そういえば街中が実質勝利に沸き立っているというのに、この屋敷は心なしか沈んだ空気を漂わせている。

どうしたのだと尋ねれば、やはりシェーナは寝込んでいるということだった。

(まったく・・・また、無茶をしたのか?懲りない奴だな)

少女の満面の笑みの迎えがないのをもの寂しく思ったことをごまかしつつ、カナスはシェーナの部屋を訪れた。

「シェーナ、大丈夫か?」

ノックなしに入れば、ベッドの上にちんまりとした山ができているのが見えた。それがもぞりと動いたので、起きているのかと傍に寄る。

「どうした?また熱でも出たのか?」

尋ねるカナスの声に、シーツのふくらみはちゃんと反応するのに、シェーナはちっとも顔を見せなかった。よく見れば、動いたのは、自分に背を向けるためだったのだと知る。

久しぶりに帰ってきたと思えば、いきなりそんな態度を取られて、カナスは困惑するしかない。

「おい、シェーナ?」

「・・・・・」

「何か怒ってるのか?」

聞いてはみたものの、まるで心当たりがない。出撃前は、いつもどおりだったのだ。

それに返答もないとすれば、まったくのお手上げだ。

「何か言えって。わかんねえだろ」

「・・・・・・」

「とりあえず、熱はないのか?」

はあ、とため息をつきつつも、確かめようと潜っているシーツの間に手を差し入れる。

「や・・・っ!」

すると、突然シェーナはがばりと起き上がると同時に、カナスの手を振り払った。触られるのを完全に拒絶したのだ。そのままシーツを頭にかぶってじりじりと距離を取っていくシェーナの行動の意図が全く分からない。だが、目を丸くしたカナスは、すぐに視線をきつくした。

「シェーナ?・・・っおまえ・・・!?」

「さ、触らないで・・・っ!」

「何て顔してるんだ。どうしたんだ、一体!」

「・・・ひ・・・っ」

カナスが薄い両肩をつかむと、シェーナの喉からこわばった悲鳴が上がる。今にも倒れそうな真っ白い顔色に加え、まるで何日も寝ていないようなひどい隈の浮かぶ顔がますます追い詰められたものに変わった。

見る見る間に瞳に涙が浮かんでいく。

「な・・・、なんだ?どうしたんだ?」

「離れて、くださ・・・」

「シェーナ?本当にどうした?何があったか言え」

「う・・・、う・・・・っ・・・」

「言えって言ってるだろ!もしかしてまた誰かに何かされたのか?!」

「・・・離して・・・」

「シェーナ!一体、どうしちまったんだよ?」

「・・・・・・・いや・・・っ!」

どん!と軽い衝撃が胸の辺りを突いた。驚くべきことにそれは、シェーナが彼を突き飛ばしたのだ。「・・・シェーナ・・・?」

半ば呆然とした思いでシェーナの名を呼べば、彼女は相変わらず青ざめた表情でカナスを見ていた。視線は外さないまま、がたがたと震えて、隅にうずくまろうとする。敵を威嚇しながらも、必死に逃げようとする野うさぎのように見えた。

これは、昔のシェーナだ。ちっとも心を開こうとしなかった出会ったばかりの頃の。

「シェ・・・」

ほんの少し手を伸ばしただけで、シェーナはびくり!とベッド全体が揺れるようなひどい震え方をした。

(俺・・・か?)

ようやくカナスはシェーナの恐怖の原因に気がついた。

シェーナは確実にカナスを怖がっている。理由はわからないけれど、これ以上近づいたら、間違いなく倒れてしまうだろう。

「わかった。出て行くから、ちゃんと眠れ。一睡もしてないって顔だぞ」

踵を返したカナスの耳に、ほっと息を吐く音が届く。その音に、カナスは胸がきしむような痛みを覚えた。

シェーナは彼がいなくなることに、ひどく安堵しているようだからだ。

(何故?)

あんなにも懐いてくれていたのに。

シェーナの向けてくれる笑顔を知っているだけ、ぎりぎりと痛みがひどくなる気がした。

それでもシェーナを思って、振り返らない。問い詰めない。

カナスは唇を噛みしめて、背中に感じる不信と怯えの視線を受け止めながら、部屋を後にした。


「なあ、俺は何をしたと思う?」

「さあ・・・私に聞かれても・・・」

「お前がまた余分な入れ知恵でもしたんじゃないのか?」

「ま、まさかっ!大体、私はカナス様と行動を共にしていたではありませんか。無理ですよ、そんなこと」

ぎろりとにらまれて、グィンはぶんぶんと首を振った。その必死な様子に、少しだけ溜飲を下げる。一口林檎の実をかじり、だが、その砂のように感じる味に顔をしかめた。たぶん、本当に不味いわけではない。ただ、味を感じる余裕がないだけだ。

ここ数日、シェーナとはまともに顔を合わせていない。シェーナは逃げるように病院に行っているほかは、部屋に引きこもっていて、屋敷の中を歩いている姿など見かけないからだ。

彼女がまたおかしくなり始めたのは、1週間ほど前だったという。

足をひねっていて歩けないせいで部屋に引きこもっているのだと思っていた、と使用人たちは口をそろえる。ジュシェとニーシェにも尋ねたが、確かに元気はないが、それでも普通に話しかけたら話してくれると首をかしげた。

食も細いけれど、しっかりとしていて、マルナンの屋敷から戻ってきたときのような壊れた様子はない。だから、最初は、戦争を嫌って、血を流し合ったことを嫌がっているのかと思った。しかし、戻ってきた兵士たちには変わらずに歌ってやっているし、グィンやラビネにもひどくためらいがちではあるが、見かければ挨拶をするという。結局、シェーナはカナスを怖がっているだけなのだ。

(俺だけ・・・)

むかっと胃のあたりが奇妙にうずいた。

「どういうことかちっともわかんねえ。何なんだ?」

「そうですね。あんなにも、カナス様のことをお慕いしていらっしゃったのに、今ではまるで嫌われているようですもんね」

「・・・・・」

「あ!い、いえ・・・っ」

さっくりとカナスの傷とえぐってくるグィンは馬鹿だ。正直といえば聞こえがいいけれども、こういうときはむかつくことこの上ない。

目を据わらせかけたカナスから、グィンは「郵便物を取ってきます」と、また逃げようとした。

だが、ドアに手をかけたところで、外から扉が開いてグィンの顔にがんっとぶつかる。

「おや、グィン。そこにいましたか」

「・・・ラ、ラビネ殿・・・」

ぶつけた鼻の頭をさすっているグィンに、ラビネは一通の手紙を差し出した。

「お母上からですよ。早く読みなさい」

「母上から?え?今読むんですか?」

何故そんなことを強要されるのかとグィンは首をかしげるが、言われるままに封書を開ける。その間に、ラビネはカナスへ視線を向けた。

「それとカナス様、シェーナ様のことで一つ心当たりが出てきました」

「心当たり?」

不機嫌な表情を浮かべていたカナスは、ラビネの言葉にぴくりと反応した。

「はい。それが、二週間ほど前、街で赤髪の子連れの女を見かけたという者が何人もおりまして」

「赤髪?」

「ええ。正確には赤茶色でしょうね。珍しい髪の色ですから、きっと赤と思ったのでしょう。その女を街はずれまで荷車に乗せてやったという商人によれば、連れていた子は栗毛の女の子だったそうですよ」

「まさか・・・」

「ええ、おそらくはそのまさか、でしょう。で、グィン?お母上はなんと?」

ラビネが振り返ると、グィンは心なしか青ざめた表情をしていた。

「・・・リベカ殿が見つからないと。前もベル様を連れて数日いなくなっていたそうです。だからしばらく待ってみたのだそうですが、3日経っても戻る様子がなく・・・と」

「どうやら正解のようですね」

「カナス様!リベカ殿は一度いなくなってからはベル様をさらに厭い、手ひどく扱うようになられて・・・母が引き離したそうですが、今回もまたベル様を連れて行ってしまわれたそうです。もしやベル様の身に・・・!」

グィンはくしゃりと手紙を握り締め、カナスの前に戻ってきた。母が世話をしている幼子を、彼は自分の妹のように(年からすれば娘みたいなものだが)ひどく可愛がっているのだ。

「・・・いや。ベルは自分の腹を痛めて産んだ子だ。リベカとてわが子を捨てたりはしまい」

グィンの不安に、カナスは首を振る。しかし、ラビネがそれをさらに否定した。

「そうでしょうか?」

「ラビネ」

「あの女は自分のことしか考えていませんよ。憎かろう男の子を産んだのも、そうすれば貴方が罪悪感から世話を買って出てくれることを知っていたからでしょう。ベル様など憎くて仕方がなかったでしょうが、ベル様が居る限り、カナス様が自分を見捨てないことを知っていた。だから、仕方なく世話をし、その子を愛しているふりをした。あわよくば、その憐憫に付け込んで、貴方の寵愛を得られるのでは、と期待してね」

「・・・あいつを、そんな風に言うもんじゃない」

「事実ですよ。あなたも分かっていたんじゃないですか?浅はかな女の魂胆くらい」

「・・・・・・」

「貴方の世話役についた頃から、幼い貴方に色目を使っている様は醜悪でしたよ。成人してからはまるで妃きどりにべたべたと。残念ながらその妖艶で豊満な体は、若く美しい貴方ではなく、彼女が疎んじていた好色な父君に気に入られてしまったのですがね。けれどいっそいなくなってせいせいしましたよ」

ラビネはリベカのことを嫌っている。グィンも、リベカのことはあまり好んでいない。

それは彼女が綺麗な外見に似つかわない、真っ黒な心持だからだ。自分は美しいのだから幸せになって当たり前という傲慢さで、誰を傷つけても気にも留めないような女だからだ。

だから、カナスがリベカをかくまってやることを提案したとき、二人はいい顔をしなかった。

それでもカナスがそうしたのは、彼女に愛情があったからではない。

ただ、贖罪だった。

「馬鹿な父の犠牲者だ。見捨てるのはあまりに忍びないだろう」

昔と同じ言葉を繰り返す。すると、ラビネは急に痛ましそうな表情に変わった。

「父親の罪をあなたが背負うことはない」

「だったら見捨てろというのかっ?子供もいて、みすみす殺されるのをただ見ていろと!」

「・・・あの女は、同じ赤毛でもイリィ姫ではありませんよ」

激昂したカナスは、その名に唇を引き締めなおした。

「姫を救えなかったのはあなたのせいじゃない。あの方とて、あなたが自分を犠牲に購いを続けることなど望んでいなかったでしょう。あなたの心を罪悪感でがんじがらめにすることなど、望んではいなかったでしょう」

まして、狡猾な女の魂胆に乗ることなど。贖罪のために、愛してもいない女に一生縛られることを。

黙り込んだカナスに、ラビネは「話を戻しましょう」と切り替えた。

「とにかく、リベカはそういう女です。自分のためなら、自分の子ですら利用する。カナス様がベル様を可愛がっていらっしゃることは分かっていますからね。大方、ベル様を盾に自分を妃に迎え入れろと迫るつもりでしょう。ベル様は、貴方の子として噂されていますから、彼女にはいろいろ都合のいい状況ですしね」

「しかし、リベカ殿は何故急にそんなことを?いままでだって、そのような機会、いくらでもありましたよね?」

「シェーナか」

すぐに答えに思い至ったカナスに、ラビネは顎を引いた。

「ええ。“歌姫”の評判は広がる一方です。貴方がシェーナ様を大層寵愛しているとの噂つきで。焦ったでしょうね。自分はただの日陰の身、かたやシェーナ様への民衆の人気は上がる一方。ベル様がいればいつでも迫れると思っていたのに、このままでは民が認めてくれなくなる。だから、シェーナ様に釘を刺しにきたのでしょう。あちらから数日いなくなったという時期と、こちらで赤髪の女が見られた時期、そしてシェーナ様が憔悴なさり始めた時期、すべて一致します」

「だが・・・一体シェーナに何を?」

「どうせ、ベル様はカナス様の子だと言い張ったのでしょう」

「それは違うと説明した」

今度のラビネの返答には、カナスはむっとして言い返した。またそれを疑われたということは、自分の言葉を信じられていないのと同じだからだ。

すると、やれやれと言わんばかりにラビネがため息をつく。

「よく考えてください、カナス様。リベカのように二面性がある女は口が上手い。シェーナ様のように無垢な方を騙すことなど赤子の手をひねるように簡単でしょう。そうでなくても、シェーナ様はひどく自分を卑下なさっている。リベカの毒のような容赦のない言葉にさらされれば、途端に怯えてしまうでしょう。大体、想像がつきますよ。貴方のような人が私よりも愛されるわけがない、と言ったのでしょう。あの女の常套句です」

「・・・それを鵜呑みにしたってわけか?」

「鵜呑みかどうかはわかりません。けれど、シェーナ様は傷ついたのでしょう。だから、貴方を避けているのではないですか?」

「・・・・・・」

「今まで人に愛された実感がない方が、それをすぐに信じられないのも無理はありませんよ。普通の者でも、不安に思うほどの方です、貴方は。シェーナ様の不安はもっと大きいでしょうね。そこにつけこまれても、責めることをすべきではないですよ」

「・・・・・分かっている」

けれど、腹の中で煮え立っている憤りは抑え切れない。ただそれは、シェーナに向けてというよりは、自分に向けてのほうが大きいかもしれない。そして、リベカに対しての許しがたいほどの怒り。

大切なものを汚されたという気持ちで、握った拳が震える。

「どうされますか?」

「ラビネ、レギーダに向かえ。ベルを保護して来い」

「リベカは、貴方がいなければ納得しませんよ。きっと。それでも?」

「俺は行かない」

カナスが行けばリベカは調子に乗る。自分こそが大切にされている、愛されているのだと錯覚して、毒を撒き散らす。そしてその毒は、きっとシェーナを駄目にしてしまう。

だったら、もういらない。足を引っ張るのならもう、特別扱いはやめる。

図らずもリベカの言ったとおりの、冷徹さをカナスは彼女に向けた。

同情していた。彼女には。救えなかったあの赤毛の女性を重ねあわせて、今度こそ救ってやりたかった。

けれど、そのためにシェーナが傷つくのならば別だ。今までリベカが何をしても、同情心から許していた。が、今回ばかりは怒りが先行する。

もはや、はっきりとカナスの中で順位はつけられていた。

「予定通りに行動を起こす。そうなればベルは外の世界に出すことができる。その前にベルを無傷で取り戻して来い。俺の、妹だ」

その命の中にリベカはもういない。説得も何も必要ないから、ベルだけを取り戻して保護しろという下命だった。そのために、甘いところのあるグィンではなく、容赦のないラビネを行かせるのだ。

「はっ」

ラビネは恭しく頭を下げた。

「グィン、ラビネの分もお前に働いてもらうぞ」

「はい!」

びしりと敬礼をしたグィンに頷いて、カナスは立ち上がった。

「とりあえず、うちのお姫様の機嫌を直さなければならないな。原因がわかったなら、何とでもなる」

「とはいえ、あまり無茶をなさいませんよう」

しかし、ラビネに指摘をされて、眉を寄せた。

「俺がいつ無茶をしたんだよ?」

「そんなに余裕がない状態では、かえってシェーナ様を怯えさせることになりかねませんよ。あの方と接するときは、鷹揚な心持で。あなたが言った言葉ですね」

「・・・・うるさい。そんなこと分かってる」

図星を指されたカナスは不満げな表情のまま、部屋を出て行った。ばたん!と乱暴に閉められた扉に、彼の苛立ちが現れている。

「まったく・・・シェーナ様のことになるとすぐにむきになられる」

それを聞いたラビネは、主人が聞き耳を立てられない距離にまで足音が離れたのを確認してからぽそりと呟いた。

「珍しいですね、あのカナス様が」

「いいことではないか。あの“歌姫”ならば私とて祝福する。きっとイリィ姫がご存命であれば、さぞ可愛がられたことだろう」

「イリィ様・・・」

民にその名をもう忘れられてしまった・・・いや、忘れられるように仕組まれた悲劇の姫君。長い赤髪が美しい、カナスの母違いの姉。

「きっと、喜ばれたことだろう」

ラビネの胸に去来する冷たいもの。よくカナスの館にも出入りしていた、たおやかで優しい女性の面影がちらつく。

だからこそ、リベカに嫌悪が沸くのだ。同じような髪色でも全然ちがう、と。

ラビネはパチン、と腰の剣のつばを一度だけはじいた。

「ではご命令どおり行ってくる。グィン、しっかりとお前の務めを果たしなさい。これから先、一瞬たりとも気を抜かぬよう」

「心得ております、ラビネ長官」

「あとは、頼んだぞ」

「承りました。この命に代えましても」

グィンが深々と頭を下げるのを見て、ラビネも部屋を出た。冷たい眼差しで前を見据える。

もうすぐ・・・もうすぐ、あの方の無念を晴らすことができる。

長かった道のりに、ようやくゴールが見え始めていた。しかし、それは同時に、越えなければならない、とても大きな関門に差し掛かっていることも示していた。

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