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虐げられた姫君は新しい名とともに新しい痛みを知る

一部としてはこれで終わりです。

二部で終わります。

シェーナは焦っていた。

全力で走っても足は遅いのだけれど、それでも必死に走った。

「カナス様!」

「・・・シェーナか」

「また・・・また、戦争が始まるって本当ですか?!」

「まあな」

「どうしてですか?あんなに怪我をした人がたくさん出たのに。カナス様だって、お怪我をなされたのに!」

シェーナが涙目で問うと、書類を積み上げた机の向こうに居たカナスはため息をついた。

「どうしてだろうな。それが命令だから、とでも言っておこうか」

「や・・・やめれないんですか?戦っても、いいことなんてきっとありません」

「そうだな、いいことはないな」

「だったら・・・っ」

「だが、国境を侵させるわけにはいかない。たとえそれがもともとは相手の土地であったとしても、今はアキューラの領地である以上」

避けられない戦いなのだ、とカナスは言った。シェーナの目からぽろぽろと涙が零れ落ちる。

「カナス様・・・また、お怪我でもされたら・・・」

「大丈夫だ。滅多なことはあるもんじゃねえよ。俺の周りにはそれなりに優秀な奴らがついてるしな。この間は身中の虫にやられただけだ。それだって死ななかったんだから、悪運強いんだよ。俺は」

「・・・っ・・・」

「心配するな。こんな戦争さっさと終わらせてやるよ。だから安心して・・・」

「あ、安心なんかできるわけないですっ!」

シェーナは途中で耐え切れなくなって、ばっと踵を返した。けれど、どんなに駄々をこねたところで争いがなくなるわけではない。

「ふ・・・うっうっう・・」

「シェーナさま、泣かないでくださいませ」

「シェーナさま、元気を出してくださいませ」

ベッドでうつぶせになったまま泣きじゃくるシェーナの両側で、ジュシェとニーシェがおろおろとしているのがわかる。

それでもシェーナが泣き止むことはなかった。シェーナを納得させることはできないことを分かっているせいか、いくら泣いてもカナスがなぐさめに来てくれることはなかった。

そしてあっという間に出征の日。

行かないでほしいという気持ちでいっぱいだったけれど、シェーナはおずおずと見送りに出た。

「・・・ひどい顔してるな」

カナスがシェーナの視線の下にしゃがんで、苦笑する。ひどい顔の自覚はあった。昨日、ほとんど寝ていない。

「大丈夫だ。ちゃんと無事に帰ってくる」

彼はシェーナの頬を軽く撫でて、反対側の頬にキスをする。いつもなら真っ赤になるが、今日は黒い瞳を不安に揺らすだけだ。

するとぎゅっと抱きしめてもらえた。いつもより力がこもっているのは気のせいだろうか。

やがて彼の手は離れ、視線が上へと戻る。

「じゃあ、行ってくる」

「・・・っ待ってください」

「シェーナ?」

踵を返そうとしたカナスを、シェーナは呼び止めた。

「け・・・怪我、しないで、ください・・・」

「ああ。気をつける」

カナスの視線が和らぐ。シェーナを安心させるように。

けれど、シェーナは知っている。今回の戦は、前ほど楽なものではないと。小国の集まりとはいえ、実質的にはザイーツ連合が相手なのだ。兵力も、資力も、いままでとは桁違いだと聞いた。

いくらカナスとて、一歩間違えれば敗退の危機がある。それを知っているから、シェーナは昨日、一生懸命に願いを紡いだ。

「あの・・・、う、歌・・・」

「ん?」

「聞いて、もらえますか?昨日・・・作って・・・、カナス様が無事であるように、って」

「歌?俺に?」

「・・・はい。駄目ですか?」

邪魔だと思われているだろうか、とシェーナは怯えをのぞかせる。けれど、カナスは頭巾の上からシェーナの頭を撫でた。

「駄目なわけねえだろ。お前が歌ってくれるなら、ご利益がありそうだ」

「本当ですか?いいですか?」

「俺のために作ってくれたんだろ。聞かせてくれ」

「はい!」

シェーナはそこで初めて頬を綻ばせた。すぅっと息を吸い込んで、呼吸を整える。体の中から余分な感情を取り去り、祈りで満たし、そうして歌い始めた。

フィルカに伝わる神書の言葉。きっとその意味は伝わらない。でも、その祈りの言葉が、彼を守ってくれると信じている。

たった一人のために捧げた“歌使い”の歌は、争いを鼓舞するものではなく、かといって人を涙させるものでもなく、ただ、澄んで美しい響きを人々の耳に残した。視覚にすれば、なにかきらきらとした砂のようなものが降ってきた、そんなイメージだった。

「・・・終わり、です」

カナスも、そして漏れ聞いていた兵士たちも、誰もがシェーナの素の声にはっとした。

「どうか、この歌がカナス様を守ってくださいますよう」

「ありがとな」

カナスは目を細めて、シェーナの頭をもう一度撫でた。

「“歌使い”の加護か、負ける気がしないな」

「あの・・・本当に、お気をつけて」

「ああ。行ってくる。留守中、体に気をつけろよ」

いつものカナスの言葉。いつも彼はシェーナの心配ばかりだ。

「・・・っ、平気です。行って・・・らっしゃい、です」

泣き笑いしかできなかったけれど、シェーナはそう言ってちゃんとカナスを送り出した。

その姿がもう見えなくなっても、ずっとその方角を見つめ続けていた。



戦況は日々刻々と変化していった。

優位に戦いを進めているという報が入って安堵すれば、一転、一部後退を余儀なくされたと知らされ、不安に胸を押しつぶされそうになる。

それでも小規模な争いがひと段落すれば、その都度カナスはシェーナの下に戻ってきてくれた。

数日物資の補給、援軍の要請、作戦の練り直しに追われ、またすぐに前線に戻ることにはなるのだが、そのたびにシェーナは歌った。

後から知ったことだったが、かなりの劣勢に追い込まれたことも一度や二度ではなかったらしい。それでも、滅多に振らない雨が降り火矢が効を奏しなくなったり、砂嵐で相手方の進軍が遅れたり、いよいよ危ないというところに援軍が間に合ったり。もちろん、たった一つの手駒が変わっただけで戦況を覆せるのはカナスの緻密な策があってこそではあったが、それでも何か神がかったような幸運が彼に奇跡的とも言える勝利を与えていた。

人々はそれを、不思議な力を持つシェーナの“歌”と結びつけ、“歌姫(クリューカ)”の祝福と噂した。

“歌姫”というのは、アキューラで唯一崇められている戦いの神キルファードの側女クリューカのことで、神話ではキルファードが戦いにおもむく際に士気を高めるために舞い歌い、戦いに疲れた戦士を癒すために安息の唄を歌ったとされている。

“軍神”と呼ばれるカナスにキルファードの姿を重ねる人々にしてみれば、その寵愛をうけ、“歌”を操るシェーナをクリューカと結びつけるのは至極当然だっただろう。

「カナス様っ!おかえりなさい!」

1月半ぶりに戻ってきたカナスを満面の笑みで出迎えたシェーナを、彼はひょいと抱き上げた。

「ただいま。俺の“歌姫”様」

「!その言い方、止めてください!恥ずかしいです」

「そうか?街じゃ、すっかり定着しているみたいだが。いいじゃねえか、“歌姫”ってのも間違いじゃねえし。お前のおかげでいくつ助かったことか」

「それは・・・カナス様がすごいからだと思います。私は何もしていません」

「そんなことねえよ。“歌姫”の祝福は、俺でも疑わない」

「そんなことを言われても・・・」

困った顔をするシェーナを見て、彼はくっくと笑う。

「これからもどうかご加護を。“歌姫”様」

腕に抱えられたまま、こめかみに口付けられるのは恥ずかしくてたまらない。けれど、胸の中は甘酸っぱくてくすぐったい気持ちでいっぱいになるのだ。

けれど、それが過ぎ去ればまたすぐに悲しくなってくる。

「あの・・・まだ、戦争・・・終わりそうにありませんか・・・?」

ザイーツ連合の支援を受けるベリダの民との交戦が始まって早5ヶ月。戦力は拮抗したままで、一進一退を繰り返していた。そして激戦が続くということはそれだけ多くの死傷者が出るということで。軍の病院にも出入りしていたシェーナの知っている人たちも何人も死んでしまった。せっかく治ったと喜んでいたのに。

シェーナは、カナスに死んでほしくない。それが一番強い願いだ。けれど、他の人たちが傷ついていくのももう見ていたくない。

兵士の息子をなくした人たちに哀願され、『鎮魂』を歌う回数がどんどんと増えていく。そのたびにつらくて涙が出てくる。有難いことだと、これで息子も成仏できると、そんなことをいう年老いた母たちの姿がなによりもつらかった。

これ以上、悲しむ人が増えないでほしい。

するとカナスは一瞬黙り込んで、それから瞳に傷ついた色を浮かべなから、かすかに唇を笑みの形にした。

「・・・もうすぐ、だ。もうすぐ、終わる。終わらせる。こんなくだらない戦争」

それを見て、きっと彼の方がつらいのに、とシェーナは己を恥じた。自分の部下に目の前で死なれていくカナスのほうがよっぽど、つらくて悲しいのに。それでもカナスは何一つ泣き言を言わないのに。

(愚かなことを言ってしまった・・・)

黙り込み、うつむいたシェーナの頭に、ぽんっとカナスの手のひらが乗った。

「あと少しなんだ。もう一都市落せれば、向こうも一旦引き上げていくだろう。遠征してきている部隊の物資、食料がいい加減つきるはずだからな。そうすれば、停戦交渉に持ち込むこともできる」

「停戦・・・」

「できるだけ早く実現させてみせる。だから、もう少し我慢してくれ」

「・・・・すみません」

「いや。お前の言葉は、民の本心だろうからな。勝利に酔いしれている場合ではないと、もう一度、戒め直せてよかった」

「すみません。カナス様を、責めるつもりではなかったんです・・・」

「そんな顔をするな。ちゃんと分かっている。・・・だが、せっかく久しぶりにお前の顔を見られたんだ。今日くらいは笑っていてくれないか?」

「・・・はい!」

確かに暗い顔をしていては、帰ってきたカナスに失礼な気がする。傷ついて悲しんでいる人たちがいるのは分かっているけれど、今日くらいは幸せな気持ちのまま笑っても許してくれるだろうか。

シェーナが帰ってきてくれて嬉しいという感情のまま笑顔を作ると、カナスはその頬を猫の子でも撫でるように指先で転がすように撫でた。

「本当に、俺の“歌姫”様は可愛いな」

「だ・・・っ、だから、やめてください!その言い方はっ」

足をばたばたとさせ、下ろして欲しいとの意思表示をするが、彼はちっともとりあってくれない。面白がってわざと「俺の“歌姫”様」と語尾につけるカナスに、やっぱりひどいと頬を膨らませればますます楽しそうな表情になる。

結局はカナスが笑っているのでいいのかな、とごまかされ、拗ねるのをやめてしまう。

そんな他愛もない幸せな時間が薄氷の上にあるのだと知らぬまま、かつて笑い方すら知らなかった少女は、あどけない笑顔で笑った。



「シェーナさま、お疲れでしょう。こちらで少しお休みくださいませ」

「只今、飲み物を持ってまいります」

ジュシェが引いた椅子に座り、宣言どおり飲み物を取りに行くニーシェを見送ると、ジュシェも御者に呼ばれていなくなった。

一人きりになったシェーナは、ぼんやりと空を見上げる。

どんよりと雲に覆われた空は、故郷を思い出させた。いつも塔の窓から見ていた、厚い雲に覆われていた薄暗い空。

いい思い出の欠片もないあの頃を思い出したせいか、シェーナは無意識にぶるりと身を震わせた。(・・・カナス様は・・・大丈夫、かな・・・?)

彼はまた戦地に赴いていった。

これで全部終わらせる。そう強い瞳で言ったカナスは、シェーナの見たことのない表情をしていた。そのとき、少し怖さを覚えたことを思い出す。

けれどシェーナは首を振って、あれはただそれだけ決意が強かっただけだと考え直した。

風が冷たくなってきた。シェーナの知っている冬よりはもっとずっと温かいけれど、それでも季節はもう冬に差し掛かっている。

木枯らしを運んでくる風が、シェーナに言い知れない不安を運んでくるようだった。

「ひめさま!」

そんなシェーナに、父が病院に入院している子供が声をかけた。シェーナが来るたびにまとわりついてくる子供たちの一人だ。

「どうかしましたか?」

「んとね、なんかひめさまをよんでるお姉さんがいたよ?ぼく、たのまれたんだ」

「お姉さん?女の方ですか?」

「うん、そう。こっちこっち」

「あ・・・えっと・・・」

ジュシェたちに黙っていなくなると心配すると思ったシェーナは、その子に女性がいる場所だけを教えてもらい、侍女たちへの伝言を頼むために少年をその場に残した。

示されたとおり建物の裏側に回ると、赤茶色の長い髪の女性が、自力で歩けるか歩けないかくらいの小さな子供を抱えてたたずんでいた。

彼女は、シェーナが立てたかさりという音に振り返り、そしてぺこりと頭を下げた。

「あなたが・・・シェーナ姫、“歌姫”と呼ばれるお方ですか?」

彼女はとても美しい人だった。少し垂れ目の瞳が柔和な雰囲気をかもしだしつつ、泣きボクロのせいか目元が色っぽくもある。厚めの唇がまた妖艶な笑みを刻み、えくぼが片方だけに浮かんでいた。それにどきりとして、視線を多少下にずらせば、さらさらと流れる髪が華奢な肩を流れ、くびれた腰に落ちているのを見て、ますます落ち着かないような気分になった。

彼女はシェーナとは違いすぎて、あまり外観に頓着しないシェーナに自身を恥ずかしく思わせるほどだった。

「はい。私に・・何か御用でしょうか?」

シェーナはかぶっていたフードの裾をきゅっと握り締めて、忌まわしい癖毛の黒髪を隠しつつ尋ねる。すると彼女はその笑顔のままシェーナに近づいてきた。

小さなシェーナとは15センチ近くの差がありそうだ。必然的に視線を上げることになったシェーナを、彼女は無言のままじっと見下ろしていた。

「・・・あの・・・?」

笑みを浮かべているのに、どこか怖い。本能的な恐怖を感じてシェーナが一歩下がったとき、彼女の腕の中の子供が突然ぎゃんぎゃんと泣き始めた。

「あら。起きてしまったのね、よしよし。泣かないで頂戴」

けれど火がついたように泣き、むずかるように小さな手足を動かしている赤ん坊は、いくら女性が腕を揺すり、背中を撫でても一向に泣き止む気配がなかった。

「あ・・・、泣かないで、ください」

シェーナは女性の腕の中の幼子に向けて、子守唄を歌った。赤ん坊はやがて、ひっ、ひっ・・・としゃっくり上げる音を上げ、そのうちに桜貝のような小さな唇から笑い声が漏れる。シェーナが指を差し出すと、ぷくぷくとした小さな手で握り返してきた。

「泣き止んでくれてよかったです。可愛いですね」

くりくりのセピア色の瞳にシェーナを写して、天使のような笑顔を浮かべる子供に同じように笑顔を返して、シェーナは母親にそう言った。

すると彼女はさきほどまでの笑みの欠片など全く感じさせない、無表情になっていた。綺麗だと思ったその顔が、今度はやけに恐ろしく見える。

「ど・・・どうしたんですか?何か・・・」

もともと人見知りのシェーナだ。

友好的に迎えてくれる人たちには心を開くようになってきたが、何を考えているかわからない、どちらかといえば悪意を持っているようにも見える目の前の女性に、すっかり怯えていた。指先を握り締める幼い手を払い、一歩下がる。

それを冷ややかな瞳で見届けた女性は、何故か突然元のようににこりと笑った。

「いいえ、・・・確かに、美しい音色ですね。“歌姫”と呼ばれるのも頷けますわ」

「そんな・・・大層な呼び名を貰うほどのことでは・・・」

笑ってくれているのに。それでもシェーナの胸は得体の知れない恐怖でいっぱいだった。

「いいえ。とても美しい歌。この争いが続く世の中で人々が救いを求めて群がりたくなる気持ちもよくわかります。だから、カナス様もあなたを大切になさっているのでしょうね。軍隊育ちのせいか、芸術にはとんと疎いお方が何を思って“歌姫”などお傍に置くのかちっともわかりませんでしたけれど」

「・・・え・・・?」

何故ここでカナスの名前が出てくるのか分からずに、シェーナは何度か瞬いた。すると彼女はますます妖艶に笑う。

「あの・・・あなたは・・・?」

「申し遅れました。わたくしは、リベカ=パーキィンデンと申します。この子はベル。もうじき一歳と半になる娘です」

「リベカ・・・さん?」

その名前には聞き覚えがあった。カナスが前に話していたかつての世話役。そして国王の子をひそかに身ごもり産んだという不遇の女性。身を潜めていなければならないと聞いていたのだが・・・。

「だ、大丈夫なのですか?」

「え?」

「あの・・・カナス様は、リベカさんは・・・へ、陛下から身を隠しているのだと聞きました。このようなところにいても、大丈夫なのでしょうか?もし危ないのでしたら、ジュシェたちに送って・・・」

シェーナは黒い瞳をおろおろとさまよわせた。そして周りに別の人影がないのかチェックしつつ、自分の影にリベカを隠そうとする。もちろん、リベカのほうが背が高いのでちっとも意味がないのだが。すると、リベカが急に高笑いを始めた。

「本当にお可愛らしい方。子供のように純粋なお心をお持ちなのですね。けれど、それでは世の中は渡っていけませんわよ。誰の言葉もそう素直に受け取るものではありませんわ」

「どういうことですか?」

「姫様は、カナス様に騙されているだけですよ」

「・・・だまされている・・・ですか・・・?」

リベカの言葉に、シェーナは目を限界まで見開いた。その反応をくすくすと笑ったまま、リベカが続ける。

「ええ。カナス様があなたに私をどのように説明したのか知りませんが、私は国王陛下に追われる身などではありません。そのような不忠義は持ち合わせていないつもりです」

「・・・で、でも・・・カナス様は、あの、リベカさんは・・・陛下の、御子を・・・身ごもったと。陛下は自分の子供が嫌いで、だから見つからないように・・・レギーダに・・・」

「まあ。とてもよくできたお話ですね」

「よくできた・・・とは・・・」

「あなたを納得させるために、カナス様が都合よく作られたのでしょう」

「・・・え・・・」

「カナス様がおっしゃっていましたよ。フィルカの姫君はとても貞淑で清廉な気質だと。他に子供がいるなどと知れては、とても、あなたの信頼を勝ち得ることができなかったでしょう。だから、カナス様は嘘をついたのでしょうね。この子は、自分の子ではないと」

「嘘・・・?」

シェーナの声は、かすれるような吐息にしかならなかった。

どういうことなのかちっともわからない。カナスは、とても丁寧に説明をしてくれて、噂は誤解なのだと何度も繰り返し言っていた。

(それが・・・嘘?)

そんなわけがない、ととっさにシェーナは思った。

人を疑うことは嫌だけれど、とてもリベカの話のほうが信用できない。今日会ったばかりの人とカナスとどちらを信じるのかと言われれば、カナスのほうだ。

「そ、そんなことないです」

「信じたくないお気持ちはお察しします。けれど、すべて事実です。あなたには残酷でしかないでしょうが、この子はカナス様の娘です」

「・・・違うと、言われました」

「確かに、私は一時陛下のご寵愛を受けていたことがあります。それは否定いたしません。けれど、陛下の子を身ごもった覚えはありません。この子が産まれるずっと前に、お目配りもいただけなくなりました。分かりやすく言えば、捨てられたのです。陛下は移ろ気が激しい上に、若い娘をお好みですので、20代の半ばに差し掛かった私などにはもはや何の興味もなくなったのでしょう。身一つで王宮を追い出されたのですが、それを不憫に思われたカナス様がご自分のお屋敷で働かせてくださいました。そのうちに今度はカナス様からご寵愛もいただけるようになり・・・それから少しして、この子を授かったのです。間違いなく、国王陛下ではなく、カナス様自身の子です」

「・・・っ違うと・・・」

けれど、よどみのないリベカの口調に、どんどんと嫌な鼓動が高まっていく。喉に声を詰まらせたシェーナに、リベカは畳み掛けた。

「そもそも、何故国王陛下はわが子を身ごもったら抹消しようとお考えになるというのです?王家の血筋が増えることは喜ばしいことではないですか」

「それは・・・、陛下は・・・王位に留まりたいがゆえに・・・自分の子供が、嫌いなのだと。カナス様のこともお厭いだと・・・」

「確かに、陛下は常に恐れておられます。自分の座を脅かすものがいないか、それを恐れているのです。カナス様をお厭いなのも事実です。あの方が成長すればするだけ疎んじていらっしゃった。けれど、それは王子だけです。王女には王位継承権はありません。むしろ王女は近隣諸国とのつながりのために、歓迎しておられる。実際、3人の姫君はお手元で可愛がられておいででした。ベルは女です。王女であった以上、隠す必要は何もないのでは?」

その質問に、何の返答もすることはできなかった。

「わたくしとベルの存在を隠しておきたかったのは、わたくしではなく、カナス様のためです。お父上との確執ゆえに、あの方には敵が多い。娘の存在を知れて、利用されることを恐れたのです。だから、わたくしが自分の御子を身ごもったと知った時、身を隠せと仰せになられたのです。それでもわたくしを心配して、幾度となく南方の地を訪れてくださいました。幸いといいますか、カナス様はお父上の計略によって不名誉な評判を立てられておりますから、民衆は勝手な噂を広め、真実を知っている貴族たちは愚につかぬ噂として、真実を確かめようともしません。すべて、カナス様の計らいどおりです」

「・・・だったら・・・どうして・・・」

そんな理由だったらどうして言ってくれなかったのか。何故、嘘をついたのか。

シェーナの声は今にも泣きそうに揺らいでいた。それでも容赦のない告白は続けられる。

「カナス様はあなたの価値を見出されたのですよ」

「・・・価値・・・?」

「その“歌”です。獣を懐かせ、人々を癒し、気分を高揚させることすらできる、あなたのその特別な“歌”。それを手中に収めれば、民衆の心を自分に引き寄せることができる。あの方が見ているのはこの国の未来です。誰より、国の改変を願っているのはカナス様です。そのためには、民の支持が必要です。人の心を操ることができる“歌姫”の存在は、あの方にとっては簡単に手放したくないほど重要だったのです。あなたの“歌”は利用できると、そうおっしゃっていました」

(・・・・・利用・・・)

カナスはよく怒ったときに言った。

“都合のいいように利用されてんじゃねえ”と。

そうして、自分の意志を持て、と。何がしたいのか何を望むのか、そして何を拒絶するのか、自分の頭で考えろ。その願いを叶えることに俺が手を貸してやるからちゃんと言え、と。

「・・・ち・・・がいます・・・」

シェーナはぎゅっと両手を組んで、声を絞り出した。

「ちがいます。カナス様は、そんなことを言ったりしません」

何度も何度も、望み方すら分からないシェーナに繰り返しそう言い聞かせてくれたカナスがそんなことを言うはずがないとシェーナは首を振る。

「あの方はそんなことを言ったり、しません・・・」

「“歌姫”様、あなたはカナス様の何を知っていらっしゃるのですか?」

だが、シェーナのすがっていた偶像すら、リベカは砕こうとする。

「あなたが知っていらっしゃるのは、ここ半年ほど、22歳のカナス様だけです。それなのに、カナス様がどういう方か全てわかっていらっしゃると?」

「・・・全部はわかりません。けれど・・・優しい、人だということは、わかります」

「そうでしょうか?それはいい面しかあなたに見せていないだけ、ということです。あの方は、とても頭の良い方。何が自分の得になることがすべて計算の上で動いているのですよ。だから、一面でとても冷徹さを持っている。そうでなくして、この広大なアキューラを治めることなどできはしません」

情に流されることなく、自分のために利用できるものはすべて利用するのだと。

それが人の上に立つものに絶対的に必要な資質。そして、狡猾な父と対峙するために必要な信念。

リベカは言う。

「私はカナス様が10の頃からお傍におります。何に傷つき、何があの方を強くしたのか、何故あのように強い信念をもっていらっしゃるのか、ちゃんと分かっているつもりです。そして、その非情さ、狡猾さも知った上で、あの方をお慕いしています。いつか本当にあの方の足枷となり捨てられたとしても恨みはしません。あなたは、その覚悟がおありでしょうか?」

「・・・!わ・・・わたし・・・は・・・」

「表だけしか知らない、優しさしか知らない。何の苦しみも分かち合っていない。それは、あなたがただ利用されているだけだから。ガラスケースに入れられた人形のようにただ飾られていればいい、それだけの存在だから。“歌姫”様、あなたはにこにこと笑って歌っていればそれでいい。そう思われているに他ならないのですよ」

シェーナの顔から、血の気が引いた。組んだ手が小刻みに震えてくる。

「カナス様はおっしゃっておいででした。何も尋ねなかった姫様が、最近、好奇心旺盛で困る、と。自分が望むのはただ、人々の安寧を歌ってもらうことで、意見をしてもらうことではない。世間知らずのお姫様の意見は迷惑なのだ、と」

「・・・そ・・・そんな・・・、こと、嘘・・・です」

「嘘?何故ですか?」

「カ・・・カナス様は、私を“家族”だと・・・言ってくれました・・・。私は、愛されても、いい存在だと・・・そうやって、言ってくれました・・・。それなのに、そんなこと・・・言わないです」

唇を震わせながら、それでも否定したシェーナに、リベカの顔色がさっと変わった。一瞬青くなり、それからすぐに赤くなる。

「あなたなんて、愛されるわけがないでしょう!?ただ、大いなる目的のために利用されているだけ。“歌姫”の祝福はあの方にとって、大層都合がいいことでしょうね。だから大切なふりをしているだけなのに。それがわからないのならば、愚かなお姫様ね。誰にも愛されることがなかったあなたが、あの方のような素晴らしい方に欠片でも愛されると思っていたの?何でも持っているあの方を惹きつけるだけの何かがあるとでも思っていたの?ねえ、“神に見捨てられた(シャンリーナ)”の姫君」

「・・・っ・・・」

何故リベカがその名を知っているのだろうか。カナスが話したのだろうか。

そんなことを彼女に話したのは何故・・・リベカの言うように、彼女と一緒にカナスはシェーナを疎んじていたのだろうか。“シャンリーナ”のくせに、と。

もはや言葉が出ず、ぽろぽろと涙があふれてくる。

シェーナは唇を噛んで、せめて嗚咽をかみ殺した。

すると、大人しくリベカの腕に収まっていたベルがまたしてもわんわんと泣き出した。よく見れば、ベルの髪は日に透ける綺麗な栗色だ。カナスの髪の色とまったく同じだと今更気がついて、シェーナは泣きじゃくるベルを、一種恐れのような感情で見遣る。

リベカはベルをあやすこともせずに、シェーナに言い放った。

「シェーナ姫、人々は、あなたがカナス様の妃殿下になられることを信じて疑っていない。きっとあなたもそうだったでしょう。けれど、それはただの愚かな民衆の憶測にすぎない。だから、“歌姫”と呼ばれ、そのつもりにならないで」

それを言いに来たのだ、とリベカはシェーナをにらみつける。

「わたくしは・・・わたくしたちは、ずっと待っていたの。国が平定したら、ベルを表の世界に出して、ずっと一緒にいようと。その約束を壊さないで!勝手な勘違いで、カナス様を困らせないで!」

語気の強さ、視線の鋭さに、シェーナは気圧され、後退しようとして、石につまずいた。シェーナが地面に座り込むのを見下ろして、リベカは踵を返す。

その背中を、シェーナは濡れた視界で見送った。

転んだときにひねった足が痛いと気がついたのは、ジュシェたちが迎えに来てくれたときだった。そんなことよりも胸の中のほうがずっとずっと痛くて、死んでしまいそうだったから。


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