お伽噺の従者さま〜善良な青年は出来心で墓穴を掘る〜
ただのコメディです。
王宮に移ってからののんびり日常を描きました。
これ以降のお話は、別連載に掲載しています。
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グィン=ラディゴ。24歳。
広大なアキューラ帝国の若き王の腹心の部下にして、乳兄弟。
王位争いの際、左目を失って軍の一線は退いているが、侍従として公務の調整や身の回りの世話をしている。
人が良く面倒見がよい性格で、王宮の人々に好かれているが、少しおっちょこちょいな面もある。
そのせいか、気の置けない仲であるせいか、主にはよく八つ当たりされている少々気の毒な境遇だったりする。
これは、そんな彼の、たった一つのミスから招いた恐ろしい体験の一つである。
凍えるような強い北風が止み、心地よい日差しと恵みの雨を繰り返す春がやってきたことが感じられるようになったある日のこと。
今はまだカナスの将来の妃という立場にある隣国フィルカの第一王女シェーナ=ロワイセルの侍女をしているジュシェとニーシェの双子の姉妹が母親の墓参りをするために、王宮を1週間ほど留守にすることになった。
暗躍と武術を得意とする彼女たちは自分たちが留守の間のシェーナの身辺が不安だったようだが、同様にシェーナを溺愛しているカナスがその間の警護を増やすことで納得して旅立っていった。
とはいえ、いつもにぎやかな二人に囲まれているシェーナは急に静かになった身辺に寂しさを隠しきれない。
大分マシになったとはいえ、引っ込み思案のシェーナは他の女官たちに上手く頼みごとができず、また、彼女たちもシェーナに遠慮して踏み込んできてくれないため、余計に孤独感がつのる。それでも、精一杯シェーナは仲良くしようと毎日勇気を振り絞っていた。
「シェーナ様、木苺のタルトはいかがでしょう?」
「今朝一番に市に立ったものを使って、料理長が焼いたんですよ」
そう言われたときも、正直お腹はいっぱいだったが、断って気まずくなるのが嫌で頷いた。
すると、途端に女官の顔がぱっと明るくなったので、シェーナはこれが正しかったんだと笑う。
「では、ついでに木苺のジュースもお持ちいたしましょう」
いつもどこか縮こまっている印象のあるシェーナの笑顔に、彼女たちはますます嬉しそうに提案した。
そして、すぐに持ってきますと言って彼女たちは厨房へ引きかえした。
「・・・・食べれる、かな?小さいといいな」
苦しい感じのするお腹を撫でながら、シェーナはぽつりと呟いた。
一方、厨房では。
「木苺ですか?」
「ええ、お好きと聞きましたので」
グィンは、顔馴染みの厨房員の一人に差し出された赤い瓶を受け取った。彼女は頬を染めてグィンを見上げている。
「今年の初物で作りました。あの、私の実家から木苺を送ってきて・・・もしよければ、と思いまして。みなさんに差し入れているんですよ。ちょっと作りすぎてしまったんです」
明らかな言い訳を並べる彼女に、彼は人懐っこい笑顔を浮かべる。
「ありがとうございます。後で有難くいただくことにします」
「あ・・・、それではこれで。失礼いたします」
彼女はぽわ、と素直に頬を染め、恥ずかしそうに慌しく厨房の奥に引っ込んでいった。
それを微笑ましく見送ったグィンは、当初の目的どおり遅めの食事の給仕を受けに行こうとする。
しかし、そこでばったりと出会った別の女官にカナスが探していたことを聞かされた。
どうせそのあとゆっくり食事の時間など取れなくなることが分っていたグィンはフォチャ(パン)にハムを大量にはさんだものを慌しく受け取って、座る間もなく踵を返す。
その際、彼は手に持っていたはずの瓶をカウンターに置きっぱなしにしてしまった。
「なんで、こんなところに。誰か使うのか?」
それを見た厨房員の一人が、土蔵に保存してあった飲み物が持ち出されたと勘違いし、料理に使うのかと厨房内の台上に移動させる。
その彼も別の仕事ですぐにその場を離れた。
「あら?これ、誰が用意してくれたの?」
「知らないな。さっきからそこにあったけど」
「誰かが伝えたのかしら?」
「そうみたいね。あ、料理長。シェーナ様がパイをお食べになられるそうです」
「おお、そうか。よかったよかった。双子がいないせいか食があまり進んでいらっしゃらないようだったから心配していたんだ。あの方は甘いものがお好きだからな。大きめに切っておこう。こいつは自信作だぞ」
「ジュースもたくさん飲まれるかしら?・・・うん、いい匂いね」
瓶から白い陶器の美しい入れ物に赤い液体を移した女官は、ふわりと漂った木苺の甘酸っぱい香りに満足そうな笑みを見せた。
と、こんな偶然によって、ジュースではなくワインがシェーナの前に出されることになってしまったのである。
(・・・うう、苦しい・・・)
ささやかな期待を裏切って出てきたパイは皿一杯の大きさで、シェーナはかなり苦しんでいた。
しかし、嬉しそうに運んできてくれた侍女たちの姿をみるととてもではないが、もういらないと言えなかった。
小さく切って少しずつ口に運ぶシェーナだったが、やはり満腹のせいで段々と飲み込むことができなくなってくる。
自然と飲み物で流し込むような状態になっていた。
実は木苺のジュースとして差し出されたそれも、甘いだけではなく何が苦いような変な味がしたが、結局それを訴えることができずに飲み続けていた。
けれど、やはり限界というものはあるわけで。
「もう・・・お腹いっぱいです、ごめんなさい」
半分くらい食べたところであきらめたシェーナに、女官たちは首を振った。
「とんでもない。全部食べきれる量とは思っておりませんでしたし、むしろシェーナ様は思っていたよりもお食べになられましたよ」
「そうです。料理長は何かにつけてシェーナ様のお食事やおやつの量を多くしたがりますから」
「え・・・そうなんですか?」
「そうですよ。だから無理して全てお食べにならなくてかまいませんからね」
今更ながらにそれを聞かされて、シェーナはほっと息を吐いた。
だったら最初から少しだけにしておけばよかったと思っても遅い。
ぱんぱんのお腹は苦しく、シェーナはお腹を抱えて絨毯の上にクッションを積み上げて作られた背もたれに、ぽすんと埋もれた。
すると気が抜けたせいか、なんだか目の前がゆらゆら揺れている気がした。
体もぽかぽかして、ぽやんとぼんやりした気分だった。
「お腹がいっぱいですか?」
「はい・・・、苦しいくらいです」
「それはよかったです。シェーナ様は最近あまりお食事がすすんでいらっしゃらないようでしたから」
「あ・・・し、心配かけて、すみません・・・」
受け答えする間も、シェーナはふわふわした夢心地だった。
「いいえ、とんでもない。シェーナ様、ジュースはいかがなさいます。もうよろしいですか?」
「う・・・ん、もらい、ます」
最初はあまり好きではないと思っていたジュースだったが、飲み慣れてくると後を引くから不思議だ。
コップを受け取ったシェーナは、くぴくぴと美味しそうに飲み干した。
「まあ、シェーナ様。そんなにもこのジュースが気に入られました?」
「はい。甘くて、不思議な味がして、おいしいです」
「・・・・不思議な味?」
「もっと、飲みたいです」
シェーナの返答におかしな点がある気がしたが、侍女は珍しいシェーナのお願いに逆らえなかった。
またしても、コップになみなみと注がれた液体を、シェーナが今度は猫のように舐めている。
その子供っぽい飲み方を、彼女たちは微笑ましく思い、それ以上深く考えることをやめてしまったのだった。
しかし十分後。
「・・・ふ・・・にゃ・・・」
「ちょっとこれ、お酒じゃない!?」
「シェーナ様?シェーナ様!大丈夫ですかっ?」
顔を真っ赤にして、とろんとした目でクッションの中に転がったシェーナを、ようやく事態に気が付いた女官たちは慌てて氷で冷やしたり、うちわで扇いだりした。
「何で木苺のワインなんて?誰も作っていなかったでしょう?」
パニックになっている女官を尻目に、シェーナはふわふわとしたいい気分で目を閉じる。
とても眠くてその場から動きたくなかった。
「シェーナ様?シェーナ様、こんなところでお休みになられたらお風邪を召してしまいます!」
「お休みになられるなら、お部屋にお戻りになりましょう」
「・・・う・・・んん・・・」
肩を揺すられるが、シェーナはむずかって首を振り、クッションの一つをぎゅうっと抱きしめた。
そして、そのままくぅくぅと小さな寝息を立て始める。
「シェーナ様!」
いくら毛の絨毯の上とは言っても、まだまだ寒い風が入る季節である。
しかも、免疫力の低いシェーナはすぐに風邪をひいてしまうのだ。女官たちは慌てて掛け布を重ねたが、やはり本格的に寝るには適さない。
何人かが集まってきたが、やはりちゃんと寝台で寝かせたほうがいいという結論になった。
とはいえ、問題なのはシェーナの部屋にどうやって連れて行くかということである。
小柄なシェーナであるから、何人かで抱えれば十分に運べる。
しかし、ジュシェ、ニーシェ姉妹ならともかく、他の女官たちは主の許可もなく触れていいものかをためらった。
そしてカナスに許可を貰えばいい、もしくは、彼自身に運んでもらうのが一番いいという話になった。そこで早速カナスを呼びに行った。
「え?シェーナ様が?」
とはいえ、忙しい彼への取次ぎはすべてグィンがまかなっている。
伝えられた事実に、グィンはすぐに原因を思い当たった。
確かに確認を怠った女官たちにも過失があるとはいえ、大元は自分の落ち度が招いたといえる事態に、彼はさっと青ざめる。
(・・・これでシェーナ様が体調でも崩されたらカナス様に半殺しにされる)
とかく、シェーナに関しては心が狭い主を思い起こして、グィンは狼狽した。
幸い(?)にも、彼は表の王宮の方で会議の真っ最中だ。今日も荒れている会議がすぐに終わる様子もないし、その間にシェーナを起こして部屋に移動させてしまい、まずは風邪を引かせないようにするべきだと考える。
ただの時間稼ぎにすぎないが、この動揺したばかりの状態でカナスの前に行ったら余分なことまで言いそうで、それを避けたいとズルい心が先に出たのだ。
彼は、日当たりのよい窓際で絨毯の上に丸まっているシェーナに声をかけた。
「シェーナ様、申し訳ありません。このようなところにいらしてはお風邪を召してしまいます。起きていただけませんか?」
しかし、反応はない。
女官に毛布越しに揺すらせてみるが、やはりシェーナは気持ちよさそうに眠っているだけだった。
「どうしましょう?」
「毛布におくるみしてお運びしてはどうでしょう?」
そんな提案を受けたが、王宮の女官たちには双子ほどの力もなく、バランスを崩して途中でもしも落しては危ないし、グィンが運んだらたとえ毛布越しでも触ったことを滅茶苦茶に怒られるに決まっている。
様々な可能性を検討した結果、もはやあきらめてとにかく暖めておくことにした。
温かな毛布をもってこさせ、足先まで例外なく覆う。
しかしそこでまたしても問題になったのは、シェーナが熱いとうわごとで言い出したことだった。
見れば確かにうっすらと汗をかいている。
春の足音も聞こえ始めた季節にやはり毛布はなかったかとまたしても女官たちが慌て出す。
一度汗を掻いてしまっているせいでそれが冷えれば風邪をひくだの、酔っ払っているのだから熱いのは当然で薄手にすべきだ、だの議論は尽きない。
そんな中でシェーナがもぞもぞと掛け布の中にもぐり出した。
やはり寒いのかと思い、近くにいたグィンはもう一枚布をかけようとする。
すると、もぐった山の中から何かが聞こえた気がした。
「シェーナ様?今何か・・・」
「・・・う・・・」
ふるふると頭を振ったシェーナが再び顔を出し、ぼんやりと目を開けた。
しかし、黒い瞳はとろんとしており、焦点はあっていないようだった。
「シェーナ様?大丈夫ですか?」
心配で名を呼ぶと、シェーナは声の主を探すように視線だけを動かした。
しかしあいにくとグィンは背後にいて、シェーナの視界には入らなかったようだ。
ぽそぽそっとシェーナがまた何かを呟いた。
「何でしょうか?」
「・・・さ・・・ま・・・?」
「はい?」
シェーナの視界に写ろうと立ち上がりかけたグィンの袖を、シェーナの細い指が掴んだ。
「えっ?あ、あの・・・シェーナ様?」
「・・・ど・・・か・・・いく・・・やだ・・・」
「え?」
「・・・・・・もっと・・・撫でて・・・くださ・・・」
「へ?あ、あの、ちょ・・・っ」
「シェーナ様?!」
うわごとで意味不明なことを言い出したシェーナは、グィンの手に頬を寄せようとした。
その行動にグィンだけでなく、女官たちもぎょっとする。
グィンは慌てて逃げようとしたが、すると両手で袖と中指をひっぱられることになる。シェーナの力など容易に振り払えたが現実に振り払えるわけもない。
そしてなすがままにならざるを得ないグィンの手の上に、シェーナは無理やりにぽてんと額のあたりを乗せてきたのだ。
「ひっ!シェーナ様?!しっかり起きてください!」
グィンは恐慌に陥った。
半殺しじゃすまない、殺される、と。
「・・・うにゃ・・・?カナスさま・・・?」
やはりカナスと間違えているようだ。
グィンは冷や汗にまみれながらも、言い聞かせるようにゆっくりと言った。
「違います。グィンです。カナス様じゃありませんよ。ですから、お手を・・・」
「・・・?いい匂い・・・です」
しかし、シェーナはちっとも理解していないようで、犬の仔のように鼻を摺り寄せて、ますます安心したように頬を緩ませる。
「匂い?」
グィンは掴まれているのと反対の袖の匂いを嗅いでみた。
確かにかすかにカナスの香と同じ香りがする。
そういえば、先ほどイライラした彼が香炉の一つを割ったのを片付けたのだった。
「いえ、これは違います!カナス様じゃありませんから!シェーナ様、お手をお放し下さい!」
どうやら匂いで判別しているらしいと悟ったグィンは、掴まれたままの手を取り返そうと必死になる。
すると半分ほどしか開いてなかったシェーナの黒い瞳がまたたき、じわりと涙の膜が張った。
「・・・や・・ですか・・・?き、きらい・・・?」
「ちっ、違いますよ!そんなわけがないじゃないですか!」
「ほんとぅ・・・?よかっ・・・で、す・・・」
あらぬ誤解を受けそうになり、グィンは必死で否定する。
すると、シェーナがほっと息を吐いて、指先に擦り寄った。そのまま彼女は、またまぶたを閉じて、寝息を立て始める。
「シェーナ様?シェーナ様?起きてください!手を・・・」
がっちり指を掴まれたままのグィンは半分泣きそうになりながら訴えたが、シェーナが起きる気配はなかった。
揺すっても効果のないシェーナに、もう強硬手段しかないと掴んでいる細い指を外そうとし始める。
「こんなこと、カナス様に知られたらいくつ命があっても足りない・・・」
「そうだな、てめえにしちゃよくわかってるじゃねえか」
「・・・・・――っ!!?」
泣き言のような独り言に低い声のツッコミが入って、グィンは飛び上がるほどに驚いた。
怖くて顔を上げられない。そういえば、さきほどから女官たちの騒がしい声が一切聞こえなくなっていたことを思い出し、その理由を考えるともっと血の気が引いた。
一体いつから見ていたのだろうか。
いや、いっそ見ていたほうがいいかもしれない。
グィンが抗ったことはよくわかってくれるだろうから。
いやいや、そんなことはすっかり無視して切れる可能性の方が高いかもしれない・・・・。
「あ・・・の、カナス様・・・これはですね・・・」
冷や汗で体温が2、3度は軽く下がった心地がしながら、グィンはしどろもどろの説明を始めようとした。
「人のモンに勝手に触るとどうなるか教えてやろうか?」
「いいいいいえ!でっ、ですから・・・不可抗力で・・・決して、けっして私が何か・・・」
だが、ブリザードが吹き荒れているかのように冷え切ったカナスの声はまったく変わらない。
ついでに指を鳴らす音も聞こえてきて、グィンは必死に平静を訴えた。
もちろん、そんなものが通用するわけもない。
「い・・・っ、いたたたたっ!!」
いつもの倍は強い力で頭を握られ、グィンは悲鳴を上げた。それでも容赦ないカナスは、床に膝をついていた彼の肩を靴底で蹴飛ばす。
その勢いで、するりとシェーナの指がはずれ、グィンは床に転がった。
とはいえ、引っ張られた衝撃でシェーナも目を覚ます。
「・・・う・・・?カナス様・・・?」
眠そうな舌たらずの口調で呼びかけたシェーナに答えたのは、今度こそ本当のカナスだった。
「ああ。お前、顔赤いぞ。大丈夫なのか?」
シェーナの頭を撫でたカナスをしばらくぼんやりと見上げて、彼女は突然にへらっと笑った。
そして、カナスの腕をきゅっとつかんで、額を寄せる。
「カナスさま・・・」
浮かべた笑みは見ている方が幸せになるほど、嬉しそうなものだった。
「いい匂い・・・・で、あった・・・かい・・・です・・・」
「そうか?お前の方が熱いけどな。苦しくないか?」
それに答えるカナスの声も、グィンに向けたものとは全く違って優しい。むしろ甘ったるい響きさえ含んでいた。
「・・・ん・・・眠い・・・ので・・・」
「眠いのか。つってもこんなところで寝るな」
「・・・・んや・・・」
「風邪ひくだろ。部屋まで運んでやるから大人しくしてろ」
「うん・・・」
ひょいと腕に横抱きにされたシェーナは、安心しきった様子でカナスの肩に頭を預けている。
その手もぎゅっと彼の服を掴んでいて、その様子がまた余計に幼く見えた。
ふと、シェーナが猫のようにこめかみのあたりを何度か摺り寄せながら、ぽつりとカナスを呼ぶ。
「カナス様・・・」
「何だ?」
「カナス様、ずっと・・・いて、くれたらいいのに・・・」
「・・・ごめんな、シェーナ」
寂しげな本音を知ったカナスは、目をつぶったままで、半分眠っているようなシェーナの髪に唇をつけた。
するとその感触に目を開けたシェーナは首をかしげ、その後またにこりと笑う。
どうやら感情の起伏が激しく、ただ思ったままの表情をつくっているようだ。
「カナス様、すき・・・」
そんなシェーナは、ちゅ、と可愛らしい音をさせて、腕の中で伸び上がったシェーナがカナスの顎のあたりにキスを返した。
カナスを絶句させた後は、そのままことりと眠りに落ちてしまったが。
彼は少ししてから小さく笑い、眠っているシェーナの額に口付ける。
それから急激に無表情になって、体を起こしたグィンを振り返った。
グィンがぎくん!とすくみあがる。
それからとってつけたような笑いでごまかそうとした。
「え・・・え・・・っと、よ、よかったですね」
「あ?」
「いえ、ほら・・・シェーナ様にとても好かれていらっしゃって。うらやましいほどです」
「・・・・・・へえ?うらやましい?」
しかし、思いついた言葉は失言だったらしい。
ますます怒りのオーラを強くしたカナスに、グィンはぶんぶんと首を振った。
「いえ!そういう意味ではなく!」
「そういうとはどういう意味だ?」
「どどどういう・・・って・・・。それは、あの・・・・」
別に自分はシェーナに好かれたいわけじゃない?
それはなんだか、シェーナに失礼な気がするし、カナスもシェーナを馬鹿にしたと思って怒りそうだ。
では、そのように可愛らしい方に思われるなど素敵だと思う?
駄目だ、もっとまずい地雷を踏む気がする。
カナスは、シェーナに対して必要以上の(あくまでカナスの基準で、だ)好意を示すと途端にものすごい不機嫌になるほど独占欲が強いのだ。
「・・・・いえ、特に・・・深い意味は・・・」
結局グィンはそのまま正座をしてうなだれた。
それを見たカナスは、冷ややかな口調を残して踵を返した。
「どういうことか、てめえはよくわかってるみてえだから、後で説明しろよ」
「!」
この原因はお前だろうという含みを持たせてシェーナを運んでいったカナスの後ろ姿を見送り、グィンはごくりと息を飲んだ。
ここで背中を一発二発蹴飛ばしてくれた方がどれほどマシだったことだろうか。
子供のような態度であるが、大概はそれですっきりして許してくれるからだ。
理性的対応をされる方が恐ろしいということを身をもって体験したグィンは、その場でがっくりと頭を垂れた。
(最初から素直に謝って、お呼びすればよかった・・・)
今更後悔してももう遅い。
◇◇
翌日。
「で?お前が紛らわしいところに紛らわしいもんを置いておいたのが全ての原因だと?」
「は・・・はい。申し訳ありません。まさかこのようなことになるとは全く予想もせず・・・全部私のせいです」
自らの非を素直に認めたうえで自ら正座をして反省の態度を示しているグィンに、カナスはしばらく反応しなかった。
長い沈黙に耐えきれず、グィンは迷った末におずおずと問いかけをする。
「あの、シェーナ様は大丈夫でしたか?木苺のワインはあまりアルコールは強くないとはいえ、体調にお変わりは・・・」
怒られるのはもうとっくに覚悟していたので純粋にシェーナのことを心配しての問いかけだ。
その気持ちが伝わったのか、カナスは「まあ、吐くこともなかったしもう平気だろ」と素直に答えてくれた。
「ああよかったです」
心底安心して、ほっと胸を撫で下ろせば、カナスは苦虫を噛み潰したかのような顔をした。
「あっ、よくはないですね!はい、あの、申し訳ありませんでした・・・」
「・・・・・・」
「・・・二度とうっかり置き忘れなんてしません。気を引き締めてまいります」
再びうなだれたグィンにカナスはまだ無言である。
沈黙に耐えられず、いっそ素直に蹴とばしてくれとさえ思う。
仕方なくグィンは再び口を開いた。
「二度と触りませんので、許してください・・・」
ぷっ、とカナスの後ろでラビネが噴出した音が聞こえた。馬鹿素直に許しを請う彼に笑いが耐えきれなかったようだ。
それでもそれ以外の方法をグィンは思いつかなかったので、膝の上で手を握り締めながら訥々と言い訳を並べた。
「まさかあんなわずかな香の匂いだけでカナス様と勘違いされるなんて思わなかったんです」
「あ?」
「あの、直前にカナス様が叩き壊したアレを片付けていたので、袖に匂いが付いていたんだと思います。シェーナ様、すごいですね。よっぽどカナス様に慣れてるんだなと」
ぶくっ、とさらにラビネが笑う音がした。
一気に緊張感が緩和され、カナスがラビネの方をにらみつけた。
「てめえ、次やったら覚えとけよ」
「へ・・・あっ、は、はい!それはもちろん!二度としません!!いえっ、別に今回も意図していたことは欠片もなかったですが、二度としません!」
ぶんぶんとうなずくグィンに舌打ちをしてカナスは、一人部屋を出て行った。
その後姿にくすくすと笑っているラビネに対し、グィンは困惑するばかりだ。
大して怒られなかったばかりか、カナスのほうがバツが悪そうに出て行くなんて。
「とっくにご機嫌が直るようなことがあったのですよ」
ラビネのその言葉にグィンはきょとんとなった。
「ご機嫌が直る?なぜです?」
「さあ?それくらい自分で考えなさい。その頭は飾りではないのでしょう?」
「ラビネ様まで・・・」
カナスの悪態を引用した言いぶりに、グィンはがっくりと頭を垂れた。
「それにしても今回はこの程度で済んでよかったですが、気が緩んでいるからこういうことになるのです。自分の役割をしっかりと自覚しなおすことですね。大体、いくら立ち入り選別をしているとしても、厨房の者たちも何も確かめずとは気を抜きすぎです」
「・・・申し訳ありません」
いちいちもっともな指摘にさらに頭が下がる。
「まあ、今回ばかりはよしとしましょう。これでまたしばらくは文句も言わずに頑張っていただけそうですし」
「はあ・・・」
結局ラビネの言いたいことがちっとも分からないまま、グィンは一人取り残された。
とにかく、うっかりだけは絶対にやめよう、と心に誓った。
◇◇
「うう・・・頭いたいです・・・」
「ああ、そりゃ二日酔いってやつだ」
「ふつかよい・・・?」
「酒の飲みすぎでなるんだよ。まあ、あんな甘ったるいジュースもどきで二日酔いになるやつは初めてみたがな。平気じゃなかったか」
あいつやっぱりもう一発殴ればよかった、とカナスが口の中でつぶやいたが、シェーナには聞こえていなかった。
「お酒・・・?飲んで、いません・・・よ・・・」
「酒かどうかも気づかねえならそれも仕方ねえか」
「う・・・?」
「今日は寝とけ。そうすれば治る」
「でも、今日は・・・お昼から・・・出かけるって・・・ん、いた・・・っ」
「その調子じゃ無理だろ。それはまた今度な?」
「・・・・・・・・・・・はい」
「そんなしょげんな。あいにく今日は雨が降りそうだし、ここでのんびりしてようぜ。もっと天気がよくてあったかくなってから連れてってやるから」
「本当・・・ですか?」
「ああ。もう少しすると渡り鳥も来る。結構面白いぞ」
鳥、とシェーナの目が輝いた。
しかし、身動きを取ろうとして、結局うずくまる。カナスがぽんぽんと丸まった背中を撫でた。
「・・・・・ごめんなさい」
「ん?」
「迷惑をかけてますよね」
「馬鹿。気にすんな。だいたい俺としては、いいもんみれたしな」
「え・・・?」
「ま、お前は覚えてねえだろうけど」
「私・・・何かしましたか・・・?」
「さあな」
「カナス様・・・?」
不安に瞳を揺らすシェーナの頭を、カナスがくしゃくしゃと撫でた。
「とにかく、今日は大人しくしていろ。後で本でも持ってきてやるから」
だが、煙に巻いてごまかそうとするカナスに、珍しくシェーナが食い下がった。
「・・・・あの・・・本・・・よりも・・・」
「何だ?何かしたいことがあるのか?」
「あの・・・あの、お話して・・・時間があったらここで、お話してくれませんか?カナス様のお話・・・なんでもいいです、けど・・・あ、も・・・もちろん、嫌なら・・・」
珍しいシェーナの希望に、カナスは一瞬驚いたが、すぐに笑みの形に目を細めた。
「いいぜ。今すぐはちょっと無理だが、あとから来るから。聞きたいことでも考えとけよ」
「え・・・?い・・・いいんですか?」
「何だ、お前が話をしてほしいと言ったんだろう?」
「それは・・・ごめんなさい・・・」
「おい、謝らなくていいんだよ」
「すみません・・・」
「シェーナ」
シェーナが半分以上もぐりこんでいるシーツを剥がし、カナスは小ぶりな唇に一瞬だけ唇を触れ合わせた。すると、シェーナの黒い瞳が丸くなり、次に白い頬がさあっと桜色に染まる。
「これくらいで今更照れるなよ」
「う・・・だ・・・だって・・・」
「そんなんじゃ思い出したら憤死するんじゃないか?」
「・・・え・・・?」
シェーナをからかうようににやりと笑ったカナスに、否応なしに胸が震えた。
何をやってしまったのだろうと怖くなる。
「あの、私・・・ほんとうに、何をしたんですか?」
「知りたければ自分で思い出せよ。まあ、お前の性格じゃ思い出さないほうがいいとは思うが」
「そんな・・・ひ、ひどいことをしたんですか?」
「ひどくはないな」
シェーナは楽しそうに笑うカナスに、いやな予感を覚えるしかなかった。
放っておいていいことではない気がする。
(あ、後で聞いたらお話してくださるかな・・・?)
「まあ、どうしてもというなら話してやってもいいが。知らないほうがいいと思うぜ、俺は。どっちにするか考えときな」
まるでシェーナの心を読んだようなことを言い残し、彼はシェーナの部屋から出て行った。
扉の閉まる音を聞いてから、そろそろとシーツから顔を出したシェーナは、眉を寄せた困惑の表情でしばらく過ごした。
ちなみに、結局何があったかを聞いたシェーナは「そんな恥ずかしいこと絶対にしてません!!!」と涙目で叫んだという。




