歌姫は心を言葉で紡ぐ
その後、カナスは驚異的な回復を見せた。
数日後には起き上がることができるようになり、ラビネと長時間話しこむことも多くなる。だが、シェーナはしばらく近づこうとしなかった。
カナスが目を覚ましてくれてあんなに嬉しかったのに、日に日に怖さのほうが増していく気がしていた。何も知りたくないような気持ちがシェーナの胸をふさぐ。
一つを手に入れれば、次が欲しくなる。
何かで読んだその言葉を、身をもって体験しているシェーナはとかく困惑気味だった。
(これ以上・・・カナス様をわずらわせたらいけない・・・)
ありがとう、とそう言ったラビネの言葉をすっかりと無視して、シェーナは自分の中の定まらない感情を必死で押さえ込もうとしてた。
(こんなことなら・・・何も、知らないほうがよかったのかもしれないです)
けれど苦しさは変わらず、シェーナはしばしば遠く、故郷の方向を見ていた。
ラコベーゼよりもずっと東に位置する首都レルベンドは、シェーナの知っている風景とは大分違っていた。権威を示すかのように大きく荘厳な建物が点在し、人工物で埋め尽くされた街には畑もあぜ道もない。
川ですら煉瓦を積んで作られた人工的なもので、街の中心にある大きな噴水も計算しつくされた調度品のようだった。
国力が弱く、古い町並みのフィルカには緑が多い。
それに、今まで過ごしたラコベーゼもティカージュも少し離れたところにはありのままの自然が広がっているところだった。
計算しつくされたこの広大な街とは見える景色も大分違う。
どこか寂しさを感じてしまうのは何故なのだろう。
あまりにも立派過ぎて、自分がここに不釣合いな気がするからかもしれなかった。
そしてそれは、自身とカナスとの距離のように感じられる。
今日も今日とてぼんやりとバルコニーから外を眺めていたシェーナだったが、突然カナスからの呼び出しをくらって、おどおどしながら彼の部屋を訪ねることになった。
「・・・あの・・・?」
ドアの隙間から顔をのぞかせると、何かの書類を読んでいるカナスは視線もあげずにシェーナを招き入れた。
言われるがままにベッドの隣にある椅子にちょこんと腰掛けるが、一向に彼が顔を上げる気配も話しかけてくる気配もない。
臆病なシェーナでは明らかに話しかけられない雰囲気で、彼女は膝の上で指先を握ったり離したりしていた。
どうもカナスが怒っているらしいということは分かって、小さな頭がどんどんとうつむいていく。
するとようやく、カナスが声を発した。
「お前、フィルカに帰りたいか?」
「・・・え?」
思いがけぬ言葉に驚いて顔を上げれば、カナスの青い瞳とぶつかった。
戸惑いのまま見つめ返すと、何故かカナスのほうがふいと視線をそらせてしまう。
「もうお前を脅かす者はいないし・・・もし、お前がそれを望むのなら、今の俺なら叶えてやれる」
「え、ま・・・待ってください。どうしてそんなことを?」
どくんどくん、と心臓が嫌な音を立てるのがわかった。
(だって・・・これじゃあ・・・)
まるで、追い出されるみたいだ。いや、ここはカナスの城で、シェーナに文句を言う資格はきっとないのだろうけれど。
どうして、と尋ねるシェーナを見ることはせず、カナスはただ前の壁だけを見ていた。
「フィルカが懐かしいんじゃないのか?毎日、ずっと西のほうを見続けていると聞いた」
「それは・・・」
なんと言ってよいのかわからず、シェーナは黙り込む。
その沈黙をどう取ったのか、カナスがふっと息を吐いた。
そして、苦笑に似たものを顔に浮かべて、ようやくシェーナの方を向いた。
「レルベンドには馴染めないか?」
「な、なじめない・・・というか・・・あの、ラコベーゼも、綺麗な都市でしたけど・・・あの、それよりもっとすごくて、圧倒されて・・・あんまり、緑がない、んですね。だからちょっと、変な感じ・・・で」
その視線にぎくりとしたシェーナはしどろもどろになりながら答える。
「ああ。こちらの地は肥沃な西部とは違って、土も気候もよくないからな。だから軍事を盛んにして、より豊かな土地を求め、国土を広げていったんだ。各地の税が集まってきているおかげで、金銭面では潤っているが、草木が育ちにくい現状まではどうにも変えられない」
「・・・すみません、悪く言うつもりじゃ」
「そんなことは分かっている。今まではどちらかといえば、フィルカに近い景色だったもんな。お前が戸惑うのはわかるさ。だから、もう一度聞く。フィルカに帰りたいか?」
問いかけに、シェーナはぎゅっと拳を握った。
そして、そっと、消え入るような声で答える。
「・・・カナス様が、そうしたほうがいいと思うのなら・・・」
「俺の話じゃない。お前が、どうしたいかって聞いてるんだ」
お前、のところにアクセントをつけ、カナスが眉を寄せた。シェーナの答えが気に食わなかったようだ。
苛立った雰囲気に、ますますシェーナは身を縮めた。
黙り込んだシェーナに、カナスがため息をつく。
「何で黙るんだよ?帰りたいのか、って聞いてるだけだろ?帰りたいのかそうじゃないのか、どっちなんだ?」
呆れた声音に、シェーナは意を決して尋ねた。
「あの・・・、わ、私・・・、いなくてもいい・・・ですか?」
自分がカナスにとって必要なのか、そうでないのか。
それが一番知りたかった。
ほんの少しでもいいからそうであってほしかった。
ありったけの勇気を振り絞った問いかけに、彼は一瞬驚いた顔をして、それから神妙に黙り込む。少し間を置いて返された答えは、とても残酷だった。
「別に・・・どっちでもいい」
「・・・どっ・・・ちで、も・・・?」
息が詰まった。胸がずきずきと痛いし、苦しい。
けれどそれに気がつくことなく、カナスはくしゃくしゃとシェーナの頭を撫でた。
「お前さ、“歌姫”って名前に縛られなくていいぞ。そりゃ、お前がいたほうが・・・何かと都合がいいこともあるし、俺にとっては願ってもないことだ。けどな、“歌姫”がいなくても俺はやってける。だから変な義理立てしなくていいんだよ。帰りたいならちゃんとそう言え」
「・・・・・・・・」
「お前、フィルカに会いたい奴がいるんだろ?探したいんじゃなかったのか?・・・その、あの国はお前にとって居心地が悪いとは思うが・・・俺もできるだけ力を貸してやる。そうすれば出歩くことも、人を探すこともできるだろ」
傷ついて、どうしようもなく傷ついて、こわばったまま反応を返すことができないシェーナの手を取り、カナスは枕もとの小箱から取り出したものをシェーナの手の中に落した。
冷たく滑らかな感触のそれは、古びた金の鎖だった。シェーナの、“元”宝物。
「・・・これ・・・」
「返してなくて、悪かったな。本当はもっと前に返すべきだったのに。くだらねえ意地を張って、あいにく返せないままになるところだった」
カナスはあの日の、シェーナにくだらないと言い捨てたあの日の翌日、これを取り戻しに店まで行ったのだった。
幸いにも王太子から下賜されたものを、いくら不要なものであったとしても、早々は捨てられなかったらしく、店主は大事に取っておいたらしい。
詫びを言って返してもらったが、シェーナには返さないまま、ずっと持っていたのだ。
複雑な表情で経緯を告げるカナスは、どこかぎこちなくシェーナに謝罪をした。
「本当に、悪かった。お前の大切なものなのに、返さなくて・・・ごめんな、シェーナ」
その瞳が、罪悪感とはまた違うような、痛くてつらそうな色を浮かべているので、シェーナはどうしてという気持ちでいっぱいになる。ただ、首を振った。
「・・・いい、です・・・。ありがとうございます・・・」
取り戻してくれた。それだけで十分だった。けれど、カナスの表情はちっとも晴れない。
ちくん、とお腹の中までが痛くなってきた。
何をどうすれば正しいのかちっともわからない。
わからないことが、悲しいし、つらい。
何より、どうして自分がここにいるのかわからなくなってしまったことが、痛くてたまらない。
お腹の痛みはどんどんひどくなってきた。
シェーナはカナスに取られたままの手を取り戻し、ぎゅうっと両手で胸からお腹のあたりの服を握り締めた。
そうしていないと、痛さに耐えられなくなってきたのだ。
「・・・こんなことを俺が言う資格があるのかわからんが・・・お前が10年以上望んでいるんだから、早く会えるといいな」
「・・・っ」
「お前は綺麗なままなんだから、早くそいつ見つけて、俺みたいな人間のことは忘れろよ」
妙に穏やかな声を頭上で聞いた瞬間、一際強い痛みが走った。
「・・が・・う・・・」
「シェーナ?」
「・・・がう・・・ちがう・・・」
「おい、どうした?」
くぐもった声に異変を感じたのだろう。カナスが真剣な声音で、うずくまるように下を向いているシェーナの肩に触れた。
その途端、ぼろぼろと涙があふれ出てくる。
驚いたカナスがぱっと手を離した。それも悲しい。
もう、この痛みのまま、死んでしまいたいくらいに。
「シェーナ・・・?」
シェーナは針でも飲み込んだように痛むお腹を抱えながら、苦しげな声で言った。
「私・・・私は、ここに、いたい・・・このまま、カナス様のおそばにいたら、だ、だめ・・・ですか・・・?」
「え?」とカナスの不思議そうな声が戻ってくる。
それを認識した途端にまた、痛みが一層の強さを増して、シェーナの瞳からとめどなく涙が零れ落ちた。
どんどん血が下がっていくのがわかったが、倒れたくなくてシェーナは必死に意識を留めていた。
自分の期待が裏切られたから、緊張感が怖いから、そんなことで倒れる弱い自分とはさよならをしたい。
弱くないように頑張るから、願いを叶えてほしかった。
「わたし・・・カナス様と一緒にいたい。いつもなんて言わない。時々でいいから。だからここに置いてください。お願いします」
「ちょ、ちょっと待て。お前、帰りたいって言ったんじゃなかったのか?」
「そんなこと、言ってません!私はフィルカに帰りたくなんかない。ここに・・・カナス様のそばにいたい。邪魔にならないようにするから・・・いらないときは外に出ないから。私、無視されるの慣れてるし、きっと、邪魔にならないから。歌えって言われればいくらでも歌えるし・・・そ、それ・・・しか役に立てないけど、でも・・・ほんの少しでも役に立てる・・・、みんな、喜んでくれたし、きっといいこともあると思うから・・・」
シェーナはしゃっくりあげながらも、必死に自分の思いを伝えようとする。ますますカナスが困惑した色を浮かべた。
「何言って・・・」
「なにをしたら、ここにいてもいいって、言って、くれますか?何でもする、何でもするから・・・」
「・・・。とりあえず、質問に答えろ。な?」
眉間にしわを寄せた彼は、手を挙げてまずシェーナを落ち着かせようとした。
言われるまま深呼吸をすると、鋭かった痛みが鈍痛に変わる。
それを確かめてからシェーナが頷くのを見て、彼はゆっくりとした口調で(それはどこか訝しげにも聞こえたが)尋ねた。
「あのな、正直に答えろよ。お前は、その鎖をくれた奴に会いたいんじゃなかったのか?」
「会いたい・・・、うん、会いたい・・・です」
「だろ?だったら、フィルカに帰らなきゃ見つけらんねえじゃないか。フィルカにいるそいつに会いたいから、それを大切にしてたんだろ?ずっと。だったら、・・・帰りたいだろ?」
手の中の鎖にカナスの視線が向けられる。シェーナは「だったら」という接続詞以降、すぐに話がつながらなくて、少しの間、黙り込む。
もたもたした思考に、頭の回転が速いカナスは苛立ったようで、「だから・・・」と頭を掻きながらつなげて説明してくれた。
「フィルカに帰ってそいつを探したいんじゃないのか?ここにいたら、一生会えねえぞ。それでもいいのか?嫌だろ?俺なんかのところにいるより、その思い出の奴に会いたいだろ?」
シェーナは涙で濡れたまつげをぱちぱちとさせた。
「どうして、ですか?」
「どうして・・・って、お前なあ、ここにいる間に俺に探してほしいって言いたいのか?そりゃ、お前がどこででも生きていけるようには手伝ってやるよ。それぐらい当然だろ。俺はお前に助けられたし、お前の大事なもん隠してた詫びもあるしな。でもな、そいつを見つけるまでってのは勘弁しろよ、何でわざわざ自分の傷、広げなきゃなんねえんだよ」
(・・・傷?)
なぜ、彼の傷が痛むのだろうか。自分で探してくれるつもりなのだろうか。だったら、そんなことは否定しなければ。どんなに彼が優しくても、申し訳なさ過ぎる。
というか、その人を探すとはどういうことなのだろうか。何故、カナスが探してくれようとするのだろうか。
関係ないのに。
シェーナの頭は疑問でいっぱいだった。
いっぱい過ぎて何から言えばいいのか分からなくらいだ。
けれど、カナスの自嘲気味な言葉は続く。
「百歩譲って、お前がフィルカにいる間に、人を貸してやるのもいいさ。・・・ああ、諜報が得意な奴らを貸してやるよ。それぐらいしねえと、俺の罪は償えないな。けどな、俺の前でそいつに会うのだけはやめてくれ。自分でも何するかわかんねえ。どれほど大人げなくても、どれほど馬鹿だと分かっていても・・・俺は・・・」
「カナス様・・・嫌、ですか?」
「嫌に決まってんだろ!本当はお前にこんなこと言いたくないんだぞ。黙ってたらお前はこのままいるのに・・・今だっていつ癇癪おきるかわかんねえくらい腹が立ってるんだ、何で俺はこんなこと言ってんだってな。それでもお前のためだと思うから、こうして耐えてやってんだろ!」
シェーナのぼんやりとした問いかけに、声を荒げたカナスは、すぐに後悔したようだ。
はっと口を押さえて、気まずそうに視線をそらして黙り込む。
その表情を見て、シェーナの心は決まった。
「だったらこれ、捨てます」
「・・・は?」
シェーナはぎゅっとようやくその手に戻ってきた“宝物”を握り締めて、立ち上がった。そしてすぐ近くにある窓を開けて、放り投げようとした。
「ば・・・!何してんだっ?」
慌てたのはカナスのほうだ。本当はまだあまり動いてはいけないのに、長い腕を伸ばして振りかぶったシェーナの腕をつかむ。
「大切なものなんだろ?それを何で捨てるんだよ?馬鹿かお前!」
その声の荒さに、シェーナの瞳からまた涙がこぼれる。怒られたと思ったのだ。
「だって・・・カナス様が嫌だって言ったから」
「馬鹿!そんなことをしても嬉しくねえよ。何でお前はそうなんだよ。お前がそれを大切にしてたんだろ?俺は関係ないじゃねえか」
「か、関係あるもん・・・っ」
泣きながらまた高ぶってきた感情に、シェーナは今まで人に向けたことのない、幼さを感じさせる口調になった。
意外さにカナスの青い瞳が見開かれる。
「関係あるもん。カナス様が嫌なら、私も嫌だ。だから、こんなものもういらない!いらないったらいらないっ!」
シェーナは駄々っ子のようにカナスに掴み取られた手首を振ろうとした。
もちろん、力負けしてできなかったけれど。
「カナス様に嫌われるなら、こんなのもういらない。わたし・・・嫌われたくない」
「・・・あのな、嫌いなんて言ってないだろ」
ふうっと落ちたため息の音に、シェーナのお腹がまた痛くなってくる。
「でも嫌だって言った!嫌だってことは、嫌いになるってことだもん」
「・・・だからお前のことは嫌いになんねえって。ほら、落ち着け。まず手を下ろせ」
「嫌!」
強固に首を振ると、焦れた彼に強く腕をひっぱられて、シェーナは前のめりに倒れた。ぼすっとたどり着いた先はカナスの腕の中だった。
「お前は変なところで強情だな。・・・ったく、なんで俺が気を使わなけりゃならんのだ」
頭上から深いため息と共に声が落ちてきた。
またしても、シェーナの目尻にどんどん透明な雫がたまってくる。潤んだ黒い瞳に、カナスの肩越しの天井が写っていた。
そんなシェーナに向けて、カナスはゆっくりとした口調で言う。
「よく考えろ。お前にとってそれはとても大切なものなんだろう?俺が嫌だからって潔く捨てようとしてくれた心意気は嬉しい。けどな、俺を気にする前に自分の気持ちを大切にしろよ。いくら目の前に俺がいるからって、気にしなくていいんだ。お前は思ったとおりにしていいんだからな」
思ったとおりに、という彼の言葉の意味がつかめなかった。シェーナはカナスに嫌われる要素がほんの少しでもあるならその行為をしたくない。
「ずっと大切にしていたんだろう?あんなに必死になって探すくらいに・・・俺に初めて本気で怒るくらいに」
「あれは・・・っ」
彼が金鎖を捨ててしまったと知ったとき、シェーナは確かにひどいと彼を詰ったし、その後だって顔を合わせたくなかった。
けれど、そんなのはもう過去のことだ。
今は別の“宝物”がある。
けれど首を振ろうとしたシェーナの後頭部をくしゃりと撫で、彼は否定も弁解もさせてくれない。
「いい。怒って当然だ、それは。俺は物に思い入れとかそういうもんを持ったことがねえから、無神経だった」
「カナスさ・・・」
「はっきり言ってしまえば今でもお前が“物”を大切にしている気持ちは理解できねえが、忘れたくない人間がいて、思い出が大切だというお前の気持ちはわかる。俺だってあの人たちのことを一方的に忘れろと言われれば腹を立てるだろう。だから、お前がそれをくれた奴が大切で、その物がそのままそいつとの思い出なんだとしたら、軽率なことをするな。あとから、どれだけ後悔するかしれない」
(・・・大切な人?)
シェーナの思い入れと同じほどに大切な人が彼にはいるのだと言う。
そう意識した途端、首を振りたかったはずのシェーナの心の中に、冷たく鋭い何かが突き刺さった。
その痛みは耐えようもないほどで、シェーナは思いがけない強さでカナスの体を押しのける。逃げ出したシェーナは窓枠にぴたりと背をつけた。
「シェーナ・・・?」
「私・・・、私やっぱり、む、無理・・・」
「無理?」
シェーナに振り払われたことを驚いていたカナスの表情がひどく曇った。
それが何故だか気にする余裕もなくシェーナは言い募る。
「や、役に・・・立てるって、言ってもらえればよかった・・・、それだけでよかった、のに・・・私、よくばりになっちゃった・・・嬉しくない。カナス様が、私の歌だけが必要で、そのために、そばに・・・いてもいいって言ってくれても・・・そんなの、やっぱりう、嬉しくない。お父様たちみたいに、怒ったり罰をあたえたりしないのに・・・優しいのに・・・そ、それでも、やっぱり、私の歌だけ欲しいから、って思うと、胸の中が、痛い」
「な・・・んだそれ。誰がいつそんなことを言ったんだよっ?俺がお前の歌が欲しいから、それだけのためにお前といると思ってたのか!?」
「だって、私だってそうだと思うもん!」
シェーナの言葉に、一転怒りを露にしたカナスだったが、シェーナは珍しく怯えることなく言い返した。
「言われるまで気がつかなかったけど、でも、カナス様みたいな人が、私のこと好きになってくれるわけないもん!家族になってくれるってそうやって、言ってくれる理由がわからないもん!だって、私、何も持ってないから!」
「っざけんな!俺が今までに言ったこと、何も聞いてなかったのか?!お前は心が綺麗だって、すげえ優しい奴だって。だから俺は・・・」
「全然綺麗なんかじゃないっ!」
シェーナの鈴の音のような美しい声が、引き絞られるかのように苦しそうな声に変わって喉からはじき出された。
それは、カナスを黙り込ませるほどの強い響きだった。
「私は、ずるいって・・・カナス様が、大切に思ってる人がいるって聞いただけで、その人がずるいって思う、汚い人間だもん!」
カナスの綺麗な空色の瞳が大きく見開かれた。
「その人に会って欲しくないって、そう思うくらい、どうしようもないほど、ひどい人間だもん!カナス様は、き、きっとその人に会いたいと思うのに・・・なのに、そんな人いなければいいって思って・・・私、人の不幸を望んでしまうなんて・・・そんなに、ひどい子だもん・・・」
ひっくひっくとシェーナはしゃっくり上げながら醜い本音をさらす。
「リベカさんのときも、い、いなくなっちゃえって・・・、そんな怖いことを、お、思って・・・。そうすれば、聞きたくないことを、聞かなくて済むって・・・私の、歌を欲しくて、本当は私、必要なくて・・・いらない子だって知らないままいれるって。カナス様の、そばにいれるって・・・本当はそんな、ひどいことばっかり思って、怖くて・・・。」
必死で慣れていく頬を擦り、ぐすりと鼻を鳴らしながら、それでもシェーナは今までにないほど饒舌に言葉を紡いだ。
「私、カナス様が好きなのに・・・しあわせになれるために、応援してあげることも、いなくなることもできなくて・・・いつも、誰のためにでも歌えたのに・・・その人が幸せになれるように願えたのに・・・ちっとも、喜んであげられなくて、むしろひどいことばっかり考えて・・・、こんな私、大嫌い。汚いキタナイ・・・」
「シェーナ」
「っ触らない、で・・・!」
シェーナはカナスの手の届かない反対側へ逃げた。
「このままじゃ私、カナス様も嫌いになっちゃいそうだから、嫌。こんなに好きなのに。大好きなのに。カナス様が優しいのは歌のためだって、思うと・・・苦しくて、嫌いになりそうで・・・心がばらばらになりそうで・・・、こんなのなら、何も分かりたくなかった。何にも望みたくなんてなかった。言われたことだけをやっていたかった」
シェーナはぎゅっと手の中の金鎖と胸にかかっているペンダントを一緒に握り締めた。
そして、キッとカナスをにらみつける。
たぶん、初めて、苦しいほどの憎しみを込めて。
「どうして私にこんな気持ちを教えたんですか?知りたくなかったのに。私の歌が欲しいだけだったら、望ませないで欲しかった。考えることなんてさせないでほしかった。私のこと、好きになってもくれないくせに。他に大切な人たちがいるくせに。私なんていてもいなくてもいいって言うくせに。どうして、私をこんなにも・・・苦しくさせるんですか?ずっと会いたかった、この鎖をくれた人よりも、何倍も一緒にいたいって思わせて、宝物を変えてしまうくらいに思わせて。なのに・・・どうして・・・こんなに、こんなにっ、苦しくさせるの・・・?」
しかし、最後は力を失い、ずるずると頭を抱えてしゃがみこんでしまった。
「もう、嫌・・・・いなくなりたい・・・フィルカに帰りたくない。でも、ここにもいたくない。こんなに、苦しいのはもういや・・・」
「・・・シェーナ」
突然、思わぬほど近くてカナスの声が聞こえた。
驚いて少し顔を上げれば、目の前にカナスが膝をついている。
まだ人の手を借りなければ思うように動けない彼が、わざわざベッドから抜け出してシェーナのそばに来てくれたのだ。
「カナス様、動いては・・・」
「心配するくらいなら、逃げんな。この馬鹿」
毒付きながらも笑って、彼はシェーナを抱きしめた。今度は逃げられないように強く。
「カナスさま・・・?」
シェーナの目が戸惑い揺れた。
「駄目だな、俺は」
「え・・・?」
「変に大人ぶることばっかり考えて、お前をそんな風に苦しめていたなんて」
「・・・カナス様のせいじゃ・・・」
「俺のせいだよ。俺がはっきりしなかったのがいけなかったんだ。お前に言われてからじゃ情けねえけど・・・俺もお前が、シェーナが好きだ」
「・・・ぇ・・・」
「お前と同じように。いや、お前以上に。ずっと前からお前が好きなんだ。たぶん、初めて会ったときから」




