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歌姫は神のみに頼らない

「・・・ご無礼、申し上げました」


まず謝りつつも、彼は鋭い視線を緩める気はなかったようだ。


「しかし、僭越ながら申し上げさせていただきます。そんな自己満足は迷惑です」

「・・・じこ・・・まんぞく・・・?」

「シェーナ様、あなた様はカナス様から何を教えられましたか?何があの方の一番嫌うことか、お分かりになりませんか?」

「カナス様・・・が、嫌うこと・・・」

「そうです。あの方は、いつもあなたに言っていませんでしたか?あなたは人間であって、罪などではないと。神の罰などない、あったのはただ人の悪意だと。そんなあの方が、神の祝福が欲しいなどとおっしゃると思いますか?それもあなたを犠牲にして。あなたがやろうとしていることは、あなたを守ろうとしてきたカナス様のお心をすべて無に帰すべき行為なのですよ」


シェーナのまつげに絡む涙を見ながら、ラビネはそっとその細い両肩をつかんだ。


「しっかりしてください、シェーナ様。あなたは“神に見捨てられた子”などではない。我が国の“軍神”に寵愛された“歌姫”なのですよ」

「・・・・“歌姫”・・・」

「そうです。あなたに与えられるべきは、忌まわしい名などではないんです。あなたのその歌う力は神のものなんかじゃない。あなた自身のものであって、敬愛されるべきなのはあなたなのです。シェーナ姫!」


ラビネの強い口調に、シェーナの肩が震える。

自身への不審を浮かべる黒い瞳は、それでも、何かの活力を宿し始めているように見えた。


「・・・・・わたし、は・・・」

「カナス様は神など信じません。けれど、あなたの祝福と加護は信じていた。この意味がわかりますか?あの方が信じていたのは、あなた自身なのですよ。あなたのその力を信じていた。そしてあなたはご自身の力で何度もわれわれを助けてくださった。あの戦いを止めてくださったこともそうです。あなたがいなければあのとき、戦はとまらなかった。カナス様が王位継承を宣言することもできなかったかもしれない。そうすれば、流れた血はすべて無駄になったことでしょう。あなたは、この国を救ってくださったんです。あなたが必要ないなどということはありえない」

「でも・・・わたし・・・が、いた、から・・・あんなことを言った・・・から・・・」


シェーナが首を振る訳をラビネも良く分かっている。

彼自身、それを幾度か恨みがましく思った。

けれど、落ち着いて考えられるだけの時間が経った今は、はっきりと否定をしてやれる。


「確かにそれを責める者もいるかもしれません。けれど、それは結果論でしかない。あのとき、カナス様はご自身で“許す”という道を選ばれた。そのことにあなたは何の罪もない。むしろあの方はあなたを責めるものがいれば精一杯あなたを守ろうとするでしょう。そしてあなたがご自身を責めるのをまったく喜ばないことでしょう。それくらいは分かるだけの付き合いをしてきたつもりです。だからもう、ご自分を痛めつけるのはおやめください」


そう。カナスはただシェーナに懇願されたから、父を手にかけるのをやめたのではない。

そんなことで揺らぐような生易しい感情でクーデターを起こすことはできない。

彼は、この先の国益と自身の憎しみと、すべてを考えた上で、それでも父を生かしておくことを決めたのだ。おそらくは自分への戒めのために。

それはカナスの選択であって、シェーナの咎ではないのだ。

ラビネの真剣な声音に、うつむいていたシェーナがのろのろと顔を上げた。そんなシェーナにラビネは言う。強くなって欲しい、と願いを込めて。


「神に頼ろうなど、逃げでしかありません。シェーナ様、カナス様を思うのだったら、信じてください。あの方を信じて、待っていて差し上げてください。ご自分が亡くなればいいなどと、安易なことを考えずに・・・つらくても、待っていてください。それが、カナス様に寵愛されているあなたの務めだと思っています。だからどうか、お願いします」

「・・・・・でも・・・・わたしがいたら・・・」

「神を信じるのは簡単です。人を信じるのは難しいでしょう。けれど・・・あなたは、カナス様を信じてはくださいませんか?」

「っ信じています!」

「だったら。だったら逃げないでください。どれほど恐ろしくても、どれほど心が痛んでも、神を口実に逃げないでください。カナス様が目を覚まされたときに、お傍にいてさしあげてください。それがあの方のためです。あなたを信じ、あなたを大切にしていたあの方のお心に沿うことです」


「・・・・・・カナス様の?」


「そうです。カナス様は、離れている間、ずっとあなた様を案じておいででした。国中を欺くためとはいえ、崩御なされたという知らせにお心を痛めていないか、無体な仕打ちを受けるのではないか、とそれは気を揉んでいらっしゃった。目的のためなら非情になりきるあの方が、今回ばかりは無理だったようです。何度も何度もあなたに真実を知らせようとして、そのたびに断腸の思いで思いとどまっていました。こんなことになるのだったら強引にでも“シアン”にしておけばよかったと、何度も」


悔しげに爪を噛んだ主の姿を思い出して、ラビネは少しだけ表情を緩めた。

あのときほど、カナスの愛情を感じたことはない。

“シアン”なんて制度は何であるんだろう、どうせ誰も使わないしくだらないから俺が立ったら廃止にするかな。

そんなことを言っていた彼が、せめてもの慰めにすがろうとしていたから。


だが、シェーナはその意味がわからなかったようで、おずおずと聞き返してきた。


「“シアン”・・・とは?あの・・・カナス様が、前に言葉だけは口にしていたんですけど・・・」


意味がわからなければ、カナスの情の深さはちっとも伝わらない。ラビネはつと真顔になり、勝手とは思いながらも主の思いを伝えた。


「“シアン”とは“王禦妃”のことです。わが国の2代目の国王がそれは后を寵愛しておりまして、その后のために作られた特別な位です。王族が一生に一人だけ迎え入れる女性で、側女すら持たずその后だけを愛するという宣言、称号のようなものですね。それだけの寵愛をうける“王禦妃”は王とも王子とも異なる、独立の地位を与えられます。通常の王の后は、代替わりすれば王宮の端に追いやられ、ひどければ追放されます。けれど、“王禦妃”だけは、たとえ夫が亡くなっても変わらぬ栄華を約束されます。政治に携わることはなくとも、一生敬われる地位をあたえるのです。そういう法があるのですよ。とはいえ、一度宣言すれば他の女を迎えることができませんし、一生その女性の面倒を王宮の費用でみなければならないことになりますから、最初の2代国王と4代の王太子が置いた以外は、誰もその御名を后に与えようとはしませんでしたが」


そんなものを、ほぼ初対面のシェーナに与えようとしたから、あのとき大騒ぎになったのだ。


「カナス様は、自分にもしものことがあってもシェーナ様が暮らしていけるように、とその申し出をなさったのです。初めてお会いになられたときから、そうしてもいいだけのものをあなたに見出していたのですね」


とはいえ、“シアン”は有名無実と化している位。暴虐を尽くす王には何らの役にたたなかった可能性が高いが、せめて市民やまだ法を尊する貴族に向けてそうしておきたかったのだろう。シェーナは他国の姫だったから、その名前で少しでも守ってやりたかったのだろう。

驚いたようにシェーナの目が見開かれた。

その目には、いつの間にか正気の色が戻ってきている。

けれどまだ、困惑した様子だった。


「・・・え・・・あ・・・の・・・、でも・・・リベカさんは?彼女と結婚するって・・・ベルさんも、いて・・・“シアン”なんてことしたら、リベカさんたち・・・どうなるんですか?」

「それは嘘です」

「嘘?」

「はい。リベカがそう申したのでしょう?それは、すべてリベカの作り話です。カナス様はリベカになんの約束もしておりませんし、ベル様は、カナス様の娘ではなく、妹姫にあたります。」


未だ誤解が解けていないままなことに、ラビネは苦笑を禁じえなかった。と同時に、予想通りの嘘のつき方に、リベカに対する怒りが再燃する。


「リベカは、国王軍と通じていたのです。ご無事であったとはいえ、カナス様がべグー山で国王側の奇襲を受け崖下に落ちられたのも、彼女がグィンの母への手紙を盗み見、その情報を流していたからです」

「っ!」

「彼女は捕らえてあります。あの女はいくら望んでも手に入れることができなかったカナス様の寵愛をあなたが独り占めしていることが許せなかったのでしょう。だから、そんなにもくだらない嘘をついたのです。持っている情報を吐かせてから、厳しく処断されることでしょう。ベル様はリベカの元から連れ戻し、現在われわれの保護下におられますよ」

「・・・・・・・」

「シェーナ様、信じてくださいませんか?」


真実に対して無言のシェーナは、だが、首を振った。


「・・・いえ、そんなことはないです。信じます」

「では何故そのようなお顔を?」


ラビネの指摘に、シェーナの顔つきがびくりと怯えたものになった。疑いは晴れたというのに、ちっとも浮かない顔をしている。

あれほど素直で純真だった少女に植え付けられた疑心は、それほどまでに深い根を張ってしまったのだろうか。

いっそ今すぐ目障りな女を殺してやろうかと暗い衝動に襲われるラビネに、またシェーナの戸惑いがちな声がかけられた。


「・・・私の“歌”は・・・そんなに、役に立つものでしょうか?」

「え?」

「すみません、私・・・。カナス様の役に立てればそれでいいと思っていました。あの方が喜んでくれればそれで。でも、どうしてだか、あまり嬉しくないんです。“歌”があるから、優しくしてくださったのだと、そう思うと・・・何故かこの辺りが痛くて、苦しいです。・・・すみません。何を言っているんでしょうか。私・・・優しくしてくださったことが、あんなにも嬉しかったのに・・・」


この辺り、と言ってわずかなふくらみしかない胸を押さえるシェーナに、ラビネは目を丸くして、それからそっと笑った。


「ありがとうございます」

「え?」

「主を、そんなにも思ってくださって」


首をかしげるシェーナの頭を撫でそうになって、ラビネは慌ててその手を握りこんだ。

実年齢よりも随分幼い精神に微笑ましくなって手を伸ばしてしまったが、カナスにばれたら殴られる。

代わりに、彼はシェーナの黒い瞳をしっかりと見ながら言った。


「シェーナ様、私は違うと思います。“歌使い”だから、“歌姫”だから。そうではなくて、カナス様はただ純粋でまっすぐな性根のあなたを哀れに思い、そして、愛情を傾けられた。たしかに“歌”があったことはあの方の助けになったでしょう。けれど、あなたに”歌“がなくても、きっとカナス様はシェーナ様を“シアン”に迎えようとしたと思いますよ」

「・・・どうして・・・?」

「私ではこれ以上の説明はできません。あとはご本人に聞いてください」

「カナス様に・・・?でも・・・」

「答えを知りたいのでしょう、シェーナ様。それでしたら、あきらめないでください。あなたが誰より信じて差し上げてください。あなたが答えてもらうことを願うほうが、シャンリーナの呪いの解放よりもずっとあの方の力になると思います。私は」

「しんじ、る・・・ですか?」

「私たちは神を信じません。けれど、あなたならば信じます、“歌姫”。どうか、我が主にご加護を」


ラビネは大仰にシェーナの手を取ると、その指先に軽く唇を押し付けた。

それが、アキューラでの女性への敬愛と忠誠の示し方。

ラビネは、今までたった一度しか、これをしたことがない。赤髪の雲の上の人にしか。

いかに自分よりも身分の高い相手だろうとも、誇り高い彼は自身が認めない限りは決して屈しないから。


「・・・ラビネ様・・・」


シェーナにはその重みは分からない。

けれど、ラビネが精一杯の親愛を示してくれたことは分かった。だから、シェーナはほんの小さく、けれど確かに以前と同じ笑顔を見せた。


「ありがとう・・・ございます」


希望を宿した瞳をして。


       #                          #

「よかったです、シェーナさま」

「今日もきちんと食べてくださいました」

「はい。おいしかったです。ごちそうさまでした」


シェーナは口元を拭くと、かたりと立ち上がった。


「カナス様のお傍に行ってきます」

「はい」

「いってらっしゃいませ」 


シェーナを見送る双子の声は明るい。双子だけでなく、城全体がどこか柔らかな雰囲気をまとうようになっていた。

依然、カナスが目を覚ます様子はなかった。けれど、その心臓の音が止まることもない。

少しずつ、回復しているような兆しさえ見せていた。


「シェーナ様」


カナスの部屋のドアを開けたシェーナと入れ違いに出てきたのはイマルだ。


「今日は、お顔の色がよいですよ」

「ほんとうですかっ?」


シェーナの弾んだ声に、ええ、と頷いてイマルは出て行った。

ぱたぱたと小走りにベッドの傍に寄ったシェーナには、やっぱりいつもと違うのか良く分からないが、触ると温かさを感じる指先に、安堵の笑みを見せる。


「カナス様、今日は新しい歌を聞いてください」 


日差しが降り注ぐ窓を開けて、シェーナは歌った。

誰をも陰鬱にしていた悲しい歌ではない。

この陽だまりのように温かな音色の歌。それにつられてピチチチ、と小鳥が何羽か寄ってくる。

ピイピイ、とかしましい小鳥の声に、最初喜んだシェーナは、少し慌てた。


「お、起きてしまいます。カナス様はお休みになられているのですから、もう少し静かにしてください」


唇に人差し指を立てるシェーナにかまわず、小鳥たちはまるでもっととせがむように窓枠に止まり鳴いた。


「駄目です、静かに・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・もう・・・おせえ・・・」

「ああ、ほら。起きてしまったじゃないですか!」

「・・・・・・・・おまえ、俺・・・目・・・覚めねえ方が、よかった・・・のか・・・?」

「ごめんなさい。起こすつも・・・、え・・・?」


けほっと噎せた音を聞きながら、シェーナが振り返るとベッドの上、人影が肘をついて体を起こそうとしていた。驚きのあまり固まっていたシェーナだったが、げほげほと苦しそうな咳を繰り返す彼にはっとして、彼が求めていた水を渡してあげる。

一口水を含むと再び仰向けにベッドに沈んだ彼を見て、シェーナは慌ててイマルを呼びに行こうとした。

そんなシェーナの指先を、弱々しい力でひっかけるものがある。

カナスの指だった。


「カナス様・・・?」

「・・・ずっと・・・・お前の歌が、聞こえて、た」

「―――!」

「ありがとな・・・」


青い瞳が優しい光を浮かべ、シェーナを見ている。それを知って、シェーナの目から思わず涙がこぼれ出した。けれど、シェーナはそれをぬぐって、ぎゅうっとカナスの手を握り返す。


「待っていてください!イマル医師を呼んできますから!」


駆け出したシェーナが、さきほどすれ違ったイマルを呼ぶと、その知らせを聞いた屋敷の者たちがつぎつぎとカナスの部屋の前に押しかけてきた。


「もう、大丈夫ですよ。よく頑張られましたね」

「・・・・ふん」


まるで子供に言うような口調だったが、イマルの目は涙ぐんでいた。集まっていた人たちからも歓喜の声が漏れる。

それを聞いてからシェーナはぺたり、と腰を抜かしたように床に座り込んだ。


「シェーナ?」


驚いた響きのカナスの声が聞こえた。その瞬間。 


「う・・・ああああんっ!」

「シェ、シェーナっ?!」 


シェーナは大声をあげて泣き出していた。本当に、小さな子供のように。

よかった、とそうやってしゃっくり上げながら。


「な、泣くなよ・・・」


いつの間にか、イマルも部屋の前の人だかりもなくなっていた。

二人きりの室内の中、ぐすぐすと泣き続けるシェーナをカナスが傍に呼ぶ。瞳をこすりつつ寄れば、力ない手つきで頭を撫でられた。


「もう、泣くな。・・・心配かけて、悪かった」

「う・・・うっうえ・・・」

「なあ・・・泣きやめって」


いくぶん骨ばった指で、カナスはシェーナのまつげをぬぐう。それすらも大仕事のようで、わずかに彼の息があがっていた。

それを知ったシェーナはどうにか涙を飲み込もうとする。


「ごめんなさい。カナス様・・・」


ようやく絞り出せた謝罪に、カナスは眉をそびやかした。何に謝っているんだ、と言いたいようだ。

シェーナはカナスが無駄にしゃべらなくていいよう、先に話し始める。


「私が余分なことを言わなければ、こんなお怪我をされることもなかったのに。私、何もわ、わかってなくて、あんなことになるなんて思ってもいなくて・・・。いくら謝っても足りないことはわかっていますけど、・・・ごめんなさい」

「馬鹿」


けれど、突然鼻をつままれてしまった。

そして目の前にあるのは呆れ顔。


「何も、お前のせいじゃねえよ」

「でも・・・っ」

「あれが、あの男の・・・弱さだった。怯えと言ったほうが、いいかもしれない。傲慢で暴虐な仮面の下は、猜疑と臆病だけだった。・・・あいつがあの位に固執しつづけたのは、臆病者だったからなんだ」


複雑な表情を浮かべるカナスは、どこか遠くを見ているようだった。


「俺は、生涯あいつを許しはしない。だが、少し、哀れには思う」


その表情がつらそうに見えて、シェーナも瞳を歪める。


「・・・まだ、お休みになっていたほうが、いいです」

「気、使ってんのか?」

「お話はまた今度しましょう。まだ、元気になられたわけではないです」

「・・・そうだな」


シェーナの申し出に、考えるところがあったのか、カナスは頷いた。


「けど、これだけは言っておく。謝るな」


しかし、ちゃんとシェーナに釘をさすことは忘れない。


「これは、俺とあいつの問題だ。お前は何も悪くない。だから、もう、謝るな」

「・・・・・はい」


シェーナが頷いたのを見届けて、カナスはふぅっと息を吐いた。そして、シェーナに一言謝ってから再び目を閉じる。

すぐに彼の寝息が聞こえてきた。まだ体が休息を必要としているのだろう。

そんなカナスを見つめながら、シェーナはだんだんと胸が痛くなっていくのを感じた。嬉しいのに、どこか怖いような感覚のせいだ。


“答えを知りたいでしょう”


ラビネの言葉が脳裏をよぎる。

しかし、実際にカナスの目が覚めてみれば、シェーナは何の答えも求める勇気を持ち合わせていないようだった。

このままの距離でいたいような、そうでないような、不安に似た苦しさが胸を渦まいていた。


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