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歌姫は自らの正しさを貫く

「…や…です」


シェーナは蚊の鳴くような小さな声を絞り出した。

もちろんそれは、スロンには届かない。

いらついた様子で、シェーナを促した。

すっともう一度大きく息を吸い、シェーナはここで初めて恐ろしい国王を正面から見た。そして。


「いやです」

「何?」

「私は、私が歌いたいから歌っていただけです。歌わされていたわけではありません。だから、あなたのためには歌えません」


はっきりと言い切ったシェーナに、その場にいた貴族たちからはざわざわと戸惑いの声があがった。

けれど、不思議と震えは止まっていた。

死ぬのが怖いなんてもう思わない。

妙に静かな気持ちでシェーナはぴんと立った。

うつむきがちだったシェーナを変えてくれた人に恥じないために。


「余に逆らうか!」


国王がどす黒い顔をして怒っている。

前もシェーナはこの王を怒らせた。

初めてこの国に来たときに。

あのときは、父の言いなりだった。

何も考えることはできなかった。

けれど、今は違うのだ。シェーナはシェーナの意志で、ここに立って、そして自らスロンの怒りを買った。

自分の上にいる人間への恐怖に屈せずに、自ら拒絶した。

拒絶、できた。

だからそれがどれほど愚かしいことかを知りながらも、シェーナは穏やかに笑った。


「私は、あの方が・・・カナス様のことが大好きだったから、あの歌を歌っていたんです。カナス様のため以外には歌いたくありません」

「娘・・・っ、情を示してやればつけあがりおって!」

「お怒りを買うのは承知の上です。どうぞ、ご存分に処罰をおあたえください」


シェーナはその場に両膝をつき、胸の前で祈りの形に手を組んだ。頭を垂れ、ただすべてを受け入れる姿勢を見せる。


「いい度胸だ。衛士、この者の首を刎ねよ!余にさからったものへのいい見せしめとなろう」

「はっ」


残酷な命令にも、シェーナは動揺しなかった。

どうせ、この命はこの国に初めて来たときから尽きるはずだった。

それを助けてくれたのはカナスだ。そして、楽しいことを、嬉しいことを教えてくれた。この半年、今まで生きてきた16年間よりもずっとずっと幸せな時間をくれた。

その彼がいないことが奇しくもこの場ではっきりした以上、もう生きていても仕方がない。もう、どこにも居場所がないのだから。


(もしかしたら・・・また、会えるかもしれません。死んだときが近ければ、生まれ変わるのも近いかもしれないから・・・そうしたら、また、一目でもいいから会いたいです、カナス様)


かつん、かつん、と死の足音が近づいてくる。シェーナは、ただ、目をつぶって祈っていた。

宝石のようなアクアマリンの瞳を思い出しながら。


「ご覚悟を」


衛士が刀を掲げた音がする。シェーナの首元で、銀の細い鎖が鈍く光った。

そのとき。


「―――ぐぅっ!」


頭上で、衛士のくぐもった悲鳴があがった。そして次の瞬間にやってきたのはかつてないほどのどよめき。


「全員、その場を動かないで貰おうか」


厳しいその声は、聞き覚えがあった。


(・・・・まさか・・・!)


シェーナが驚いて顔を上げると、玉座の後ろにもうひとつ栗色の髪があった。彼はきっちりとスロンの首に自らの剣を突きつけている。わずかに笑みを浮かべながら。


「・・・カ・・・ナス・・・さま・・・?」


その姿は、間違いなく死んだと思われていたカナスだった。


「ご無事ですか、シェーナ様?」


呆然としたシェーナにかかった影に視線を向ければ、そこにはグィンの姿。

ほっとした表情の彼は、シェーナの横にかがみ、「間に合ってよかった」と呟いた。

その手には弓が握られている。

衛士をみれば、肩に矢がささっていたので、グィンが射抜いたのだろう。

ただ、グィンは左目に包帯を巻いていた。


「グィン様・・・その目は・・・」

「お話はあとで。今はこちらへ」


グィンに促され、シェーナは柱の影に連れて行かれる。

そこにいたのは、カナスの部下たちだった。

知った顔の彼らは、口々に無事でなによりだと瞳を緩める。そして、シェーナを守るように刀を構えた。

辺りを見回せば、同じ制服――カナスの近衛兵たちは他にもいて、国王の衛兵たちの武装解除や同席していた貴族たちの席の鎮圧を図っている。その中にラビネもいた。

そしてカナスは。


「いつでも逃げられるように用意していた隠し通路ってのも、諸刃の剣だな。こうして俺たちの侵入を直前まで気がつけないんだから」


実の父親に背後から刃を向けたまま、視線をそらさずに淡々と言った。


「き・・・貴様・・・、崖から落ちたのではなかったのか?」

「ああ。落とされたさ。あんたの策略のせいでね」


カナスの言葉に、ざわっと、その場が沸いた。


「なにを・・・」

「しらばっくれんじゃねえよ。リベカをつかって俺たちの動きを掴んだんだろ。目障りな俺を亡き者にするついでに、犯人をザイーツの人間に仕立て上げ、停戦に流れかけていた民意をまた戦に向けさせた。だが、あいにくだったな。俺はあんたの策略にはまったふりをしながら、逆にこの機会を利用させてもらった。俺の計画通り、あんたにはその座を降りてもらう、スロン王」

「――――!」


シェーナは目を見開いた。

では、国王の言っていたこともあながち嘘ではなかったのだ。


「貴様・・・っ」

「もう逃げられないぜ。俺の呼びかけで各地の民が一斉に蜂起を起こしている。この城も、軍に取り囲まれている。あんたは俺を戦場にやることで遠ざけたつもりだっただろうが、俺にとっては好都合だった。各地のつながりができ、軍のほとんどを掌握できたからな。あとはあんた直属の軍とここにいる奴らの私兵が残ってるだけだ」

「なんだと!」

「一声で簡単に王へ反旗を翻す。これが、国民の怒りだ。あんたのせいでどれだけの民が犠牲になったと思っている。無為な侵略を繰り返し、国内は荒れ、貴族が私腹を肥やして貧しいものたちは死んでいく。国を大きくする?大陸一の国家にする?国土だけ増やして何になるんだ。あんたのやってることはただの自己満足だ。自分の力を誇示したいだけの愚王だといい加減自覚しろ」

「カナス!貴様っ!」

「動けば、今すぐその頭が胴と離れるぞ。俺は肉親だからといって容赦はしない。いや、お前の血が半分混ざっていると思うだけでもおぞましい」


カナスのまとうオーラがひどく暗いものになったのをシェーナははっきりと悟った。シェーナが知っている彼とはまったく違う、冷たく憎しみに満ちた表情を、彼は父親に向けていた。


「お前は、大勢の人間を苦しめ、不幸にしてきた。その座に座るために実の父と兄を手にかけ、それに飽き足らず、俺の母を奪い、俺の腹違いの姉を自らの欲望の犠牲にし、そのうえ異母兄にその罪をなすりつけて殺した。この国が狂ったのは、全部、あんたが元凶だった!兄上も姉上も、正しく優しい人だった。それなのにあんたなんかの犠牲になった。俺は反吐が出るくらいあんたが嫌いで、憎くてたまらない」


カナスは、剣の柄の部分をスロンの喉にめり込ませた。苦しげな息が漏れるのを聞いて、兵の一人が王を助けようと動いたけれど、ラビネに切り倒される。その容赦のなさにシェーナの顔からは血の気が引いたが、けれど、誰も非難はしなかった。国王側は恐怖で、カナス側は彼らが報いをうけるだけのことをしてきたと知っているから。

国王直属軍の振る舞いのひどさは、巷でも有名だった。食料を奪い、女を集め、逆らえば子供とて容赦をしない。そんな彼らだから。


「一度だけ問おう。その座を降りる気はあるか?」

「・・・・・・」


つ・・・とスロンの野太い首から一筋の赤い血が流れ出る。けれど、王は憎々しげにカナスへ視線を向けたまま、黙っていた。

カナスの表情が、完全な無になる。


「そうか。だったら、死ね。あんたの因果どおりに」


宣告は、臓腑を凍らせるような低い声で告げられた。ぐっとカナスの腕に力が入る。その瞬間は、水をうったように静まり返っていた。


「や・・・やめてくださいっ!」


だからこそ、シェーナの声はよく響いた。それは憎しみに支配された場にあまりにふさわしくない澄んだ声だった。


「・・・シェーナ」


シェーナは自分を囲んでいた輪から抜け出て、カナスの前に出た。玉座付近には思っていたよりも多くの血が流れている。生々しさに足がすくんで、シェーナは2メートルほど離れた場所に縫いとめられた。

カナスの表情が歪む。


「こちらを見るな。お前が見るものなんかじゃない」

「・・・っお、おねがいです。そんなこと、駄目です。やめてください・・・っ」

「軽蔑されようがなんだろうが、俺がやるべき仕事だ。こいつがのうのうと生きていては兄上も姉上も・・・こいつの犠牲になった大勢の人間が浮かばれない。スロン王政を終わらせ、新たな時代を作る。これが、この国のためだ」

「笑止!貴様も余と同じ欲望に駆られているだけではないか。余を亡き者にし、自ら王に立つ。余と同じ畜生にも劣る修羅の道よ。さあ、至高の玉座を手中におさめるために、この父を手にかけるがいい。貴様が罵る余と同く醜い欲望の亡者と成り果てるのを、余は冥界であざ笑おう」


カナスの言葉に、スロンは高笑いをした。命乞いをしないのは、さすがにかつて、勇猛として知られた武将だからだろう。けれど、その潔さが却って言い知れぬ不気味さをあおった。

スロンはぎらぎらと誰よりも生命力を感じさせる目をしながら、「早く殺せ!」とわめく。


「俺はあんたなんかとは違う!あの世で姉上たちに詫びろ!」


カナスは怒りに面差しを染めながら、再び剣を横に引こうとした。


「やめてください!いくらひどい人でも、カナス様にとってはお父様です!そんなことをしたら、カナス様は今度はご自身を嫌いになってしまいます!お願いだから、やめてくださいっ!」


だが、必死の叫びにカナスの手が止まった。


「憎しみは憎しみしか生みません。私は・・・何も知らないけれど、でもカナス様が優しい人だということは知っています。どんな理由があったにせよ、実の父君を手にかけることに、カナス様が平気でいらっしゃるわけがありません。・・・お姉様もお兄様も、カナス様が苦しむのを見たいはずがないと思います。だから・・・どうか、やめてください・・・、お怒りを納めて、許してさしあげてください」


泣きながら訴えるシェーナの言葉を、あざ笑ったのはスロンだった。


「なんと、出来の悪い芝居のようだ。吐き気を催すほどの偽善者ぶり。許し?この世は力が全て。欲望のままに奪い去るのみ。他人を許す必要などなし。怒り、憎しみのままに突き進むがよい。それこそが、世の真理、支配者の器よ。慈悲など一片の役にはたたぬ。より残酷に、情なく、裏切りの種は容赦なく摘むべし。それこそが我が身に流れる純血の教えよ。生ぬるいフィルカの信教など片腹痛いわ」

「・・・・・・」

「さあ、罪深きわが息子よ、父の屍を越えるがよい。そうして貴様も同じ因果の道をたどるがよい」

「カナス様・・・」

「・・・・・・俺は・・・」


カナスが一瞬、目を伏せたのが分かった。

けれど、次の瞬間、ばっと血が舞う。

シェーナはそれに言葉を失った。

だが、ぐらりと揺れ、台座から崩れ落ちたスロンは、うめきながら未だ胴とくっついたままでいる頭を動かした。


「・・・っ・・・な・・・ぜ・・・」

「俺は、あんたとは違う」


カナスは血に濡れた剣を腰の鞘にしまうと、床に転がった父親の体を仰向けにした。右肩から左腰にかけてまっすぐに斬られた痕から生々しく血が流れ出ている。

彼は、スロンの腰から宝玉に彩られた大ぶりの剣を奪うと、おもむろに自分のマントを切り裂き、簡単な止血を施す。


「・・・ど・・・いう・・・つもり・・・だ・・・情けを・・・かける、など・・・」

「あんたにはシェーナの言葉の意味がわからないんだな」


カナスは、ぎゅっと即席の包帯を縛り上げ、父を見下ろした。どこか、憐れんだような目で。


「あんたは誰も信じてない。だから、あんなにも身勝手で、非情なことができるんだ。だが、その憎しみのままに、ここであんたを殺したら、本当に俺はあんたと同じ、あんたの思う壷だ。だから、俺はあんたを殺さない。あんたには、生きて償ってもらう」

「・・・・ふ・・・はは・・・おろかな・・・」

「笑えばいい。だが、俺は俺の正しいと思う道を行く」


そう言って、カナスは立ち上がった。そんな彼の足首をスロンが手で掴む。足止めされたカナスは今にも命の火が途絶えそうな荒い息を吐きながらも、ありえないほどの力を込めてくる父親の傍にもう一度膝を折った。


「その傷だ。死にたくなければそのまま動かないほうがいい。あとで医者を呼んで・・・・っっ!?」


肌に食い込むかさついた手を外させようとカナスがスロンの腕をひっぱったときだった。

突然スロンがいままでの緩慢な動きとは比べ物にならないほどの俊敏さで起き上がり、胸に潜めていた短剣でカナスを刺した。

刃が自分に向けられたと知ったその一瞬、咄嗟にカナスが身を引いたために、心臓を狙った短剣は彼の左のわき腹に突き刺さる。

それでも大柄なスロンの体重をかけた渾身の一撃は深々とカナスの体を貫いた。


「くははっ!くだらない戯言を振りかざすからだ!戴くべき勇猛の言葉を忘れた、愚かなカナス=フェーレよ!」

「ひ・・・っ!」

「カナス様ッ!」


シェーナの喉に張り付いた悲鳴も、駆け寄ろうとするラビネの声も、スロンの狂ったような笑い声に飲み込まれる。

スロンは決して、カナスを刺し貫いた短剣から手を離そうとはしなかった。

まるで、執念のように。




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