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歌姫は祝福ができない


それから数日後。

シェーナが知らない間に、カナスはグィンと少人数の兵をつれて出かけてしまったようだ。けれど、もし知っていたとしてもシェーナは見送ったりはしなかっただろう。

シェーナを冷たい目で見下ろし、大切なものを捨ててしまったカナスなど。

彼は、急にひどい人になってしまったかのようだった。

(それともあれが・・・本当のカナス様・・・?)


―――何も知らないくせに。


リベカの言葉がまた胸によみがえる。ぶるり、と震えが走った。

シェーナはローブについているポケットをさぐり、手のひらに緑の石がついた銀色のペンダントを乗せた。

宝物だった思い出の品はもうない。それはつらい。つらくて、悲しい。

けれど、こうして何度も眺めて、よく考えれてみば・・・・カナスは金の鎖が切れてしまったから、わざわざ他の鎖を買ってきてくれたのだ。

そう思うと、やはり優しいところがあるのだと思う。

でも、何か変な感情が邪魔をして、シェーナはそれを身につけることができなかった。

いつも、リベカの言葉が、声が、頭の中で繰り返される。

―――アナタガ欠片デモ愛サレルト思ッタノ?“シャンリーナ”ノ姫君ガ・・・・

(・・・“シャンリーナ”・・・)

ちゃんと嫌だと言えないシェーナの代わりに憤ってくれた彼が、怖いけど好きだった。泣くならちゃんと泣けと初対面なのに言ってくれて、言いたいことを言って望んでもいいのだと教えてくれて、シェーナの世界を広げてくれた彼を、ひどく慕っていた。

でも、そんなカナスまでシェーナをただ利用していたのだと、本当は迷惑だったのに“歌”だけがほしかったのだと、聞いたとき、全て壊れてしまった気がした。

カナスを信じていたかった。

けれど、リベカの言葉はいちいち尤もで、シェーナは何も返せなかった。

それが悲しくて、悲しくて・・・そして怖くなった。

肯定されたらどうしたらいいのか分からないほどに怖くて怖くてたまらなかった。顔を合わせたくないくらいに、逃げたかった。

大好きだったからこそ、何も聞きたくなかった。

幸せな夢の中にいたかった。

でも、もうそれすらも許されない。

欠片の優しさも、カナスは見せてくれなかった。

本当に、うっとおしくなったのかもしれない。

(忘れていました・・・私は、“シャンリーナ”なのに・・・高望みをしすぎた・・・)

いるだけで、人を不幸にする存在。そんなシェーナを本気で愛しく思ってくれる相手などいるわけがないのに。

ただ、“歌”が欲しかっただけなのに。彼だって他のみんなと同じで、シェーナの価値を“歌”にしか見ていなかったのに、勝手に望んでいた。

(邪魔をしてはいけない。リベカさんとベルさんの希望を遅らせてしまっているのが私のせいなら、出て行ったほうがいいのかもしれない。そのほうが、きっとカナス様もよかったと思ってくれる)

同じ屋敷に住まわせてもらっているのに、置手紙すらもらえなかった。そこまで疎んじられているシェーナなのだから。

完全にリベカの術中にはまっているシェーナは、きゅっと手の中のペンダントを握りしめた。

(でも・・・どこにいけばいいんだろう・・・?)

アキューラで知っているのはこの街と、少しの間滞在していた第二の首都のみ。そもそも、シェーナの足では街から出ることすら難しい気がする。

今度、御者に頼んでみようか。

そんな愚かな考えをめぐらせているシェーナが、カナスの消息不明の報を聞いたのは、2日後のことだった。




街中が騒いでいた。屋敷の中も不穏な空気でいっぱいだった。

その度に耳にするのが、「“歌姫”の祝福がなかったから」という心無い言葉。

彼は和平のための重要な人物に行くと言い残して、早朝に発ったらしい。

屋敷中の人間がカナスとシェーナの壁を感じ取っていた(倒れたのだから当たり前だ)ので、シェーナが見送りに来ないことを誰もがあきらめていた。

今までが今までだっただけに一抹の不安を覚えないわけではなかったが、戦地にいくわけでもなし、というカナスの言葉どおり、危険はないと判断してシェーナを呼びにすらいかなかった。

それが、こんな結果になるともしらずに。

たとえ一旦は相手軍が引いたとしても争いがなくなったわけではないのだ。

どこに何が潜んでいるのかわからなかったのに。

(・・・どうして・・・・・・・)

シェーナはぎゅっと手の中のペンダントを握り締めた。

どうして、あんなことを言ってしまったのだろう?どうして避けてしまったのだろう?

自分だけの感情にとらわれていて、大切なことをないがしろにした。

カナスが無事であるように、とそれをずっと祈っていたはずだったのに。

それ以上の何かを望んでいなかったはずなのに。

(私のせいだ・・・・)

純粋に無事でいて欲しいという気持ちは、もしかしたら聞き届けてもらえていたのかもしれない。

それは人を思う綺麗な気持ちだから。“歌使い”がその“歌”を与えられたのは守るためだから。

でも、もし違う気持ちが入ってしまったら、そこに私欲が入ってしまったら、その願いは途端に純粋なものではなくなる。

だから、聞き届けられなくなってしまうのではないだろうか。

それどころではない。

きっと神の怒りを買って、罰が与えられる。

そもそもが、神の加護を与えられない“シャンリーナ”のシェーナ。自分のための願いなど持つことは許されなかったのに。

裏切られたような気持ちになって、疑ってしまったことを、きっと見抜かれたのだ。だから、神はもうシェーナの大切な人に加護を与えてくれない。逆に、奪ってしまおうとしたのだ。

「・・・っ・・・め・・・なさ・・・っ」

シェーナはペンダントに向かって謝り続けた。涙が止まることがない。

そして、祈る。

(神よ・・・どうか、どうかお許しください。罰なら私が受けます。どんな罰でも受けますから、どうかカナス様を助けてください。どうか、ご無事でいてください)

信じられなくて疑って、怖がって、怒って・・・でも、シェーナにとってカナスはとても大切な人だ。彼がいなければそんな感情すらずっと忘れていたままだった。恩人ともいえる、大好きな人。

(どうか、カナス様が無事に帰ってきますよう・・・)

シェーナは祈り続けた。ずっと、ずっと。

けれど、そんなシェーナをあざ笑うかのように新たな報が飛び込んでくる。

北へ向かう山間で、馬の蹄の跡と人の足跡、そして弓に射られた馬の死骸が見つかった。交戦した形跡が見られ、生々しい血の跡が残っていたという。何より、その場に残されていたのが、血のついたグィンが皇帝陛下から賜ったとされる剣とカナスが身につけていた旅装束用のマントとよく似た切れ端だったことが決定的だった。

「黒馬は見つかりませんでしたが、谷底へ続く崖の一部が崩れておりましたので・・・賊に不意をつかれて、そちらへ落ちられたのでは、と」

「馬鹿な、あの方が!いくら不意をつかれたとはいえ、そのような遅れを取るものか」

「しかし、あの山道は狭い。横から攻められてはひとたまりも・・・」

「そんな馬鹿な・・・・」

「いや、だがそもそも何故、あのような場所にいかれたのだ。和平を結ぶ相手は、南国だぞ?カナス様もザナリカへ向かうとおっしゃっていたではないか。やはりあれは違うのではないか?」

「いや、グィン殿の剣に間違いはない。それに、あそこには見事な黒馬のたてがみも落ちていたと聞くぞ」

「何か別の目的が・・・。情報を撹乱して、どこかに行かれるおつもりだったところを、襲われたということか。人目につかぬよう、手薄になっていたところを・・・」

「事前に、殿下についての情報が漏れていたということか?・・・誰が!いや、その情報を受け取った相手は誰だっ?ザイーツの奴らか?!あいつらのスパイがいるということだな!」

「別の地区に向かわれていたラビネ長官とも連絡が取れないらしい。そこも襲われたらしいぞ」

「まさか!近衛長官まで?!いったい、どれだけの目と耳を持ってやがるんだ、あいつら!」

「くそう!和平など知るものか!カナス様の敵を討ってやる!」

兵士たちは驚き、悲しみ、そして憤った。

そしてシェーナは。

「・・・う・・・そ・・・です・・・」

「シェーナさま、お気を確かに」

「ただいま、全力で皆が行方を捜しています。きっと、ご無事でいます」

かくん、と崩れおちたシェーナをジュシェとニーシェが必死に支えた。

「私が・・・わたしが・・・ちゃんと、う、うたわなかった・・・から・・・」

「そんなことはありません。戦いに赴いたわけではないのですから」

「シェーナさま、誰も予想しなかったことなんです。ご自分を責めないでくださいませ」

「いいえ・・・!私が・・・私が悪かったんです・・・わたしが・・・っ」

泣き崩れるシェーナを双子がなだめたが、シェーナの涙が乾くことはなかった。

(私が悪いんだ・・・私のせいで、私のせいでカナス様が・・・)

シャンリーナの自分が生きていて、何故あの人が死ななければならないのか。

もう絶望的だと、誰もが言う。

“歌姫”の加護がなかったから不幸が襲ったのだと、人々は言う。

どうして“歌姫”は役割を果たさなかったのかと、陰でシェーナを責め続けている。

そのすべてをシェーナは知っていた。

そう、すべてはシェーナのせい。“シャンリーナ”のくせに、高望みをしたシェーナのせい。

「「シェーナさま!」」

目の前が暗くなり、すうっと意識が遠のく。意識を失う前に、姉妹の悲痛な声が耳の奥に微かに聞こえた。


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