早朝の夜逃げ2
ドアを開けて狭い玄関を抜けると、フレッドをソファに寝かせようとしている泰志の姿が目に入る。
「おい、ソファを使うな!汚れんだろ!あ“あーーーークソッ!ちょっと待ってろ!」
嫌な予感がして戻ってみればこの有様。少しは物を大事にする精神を持てよ。これだから金持ちって奴らは……
俺は急いでキッチンの戸棚にしまってあるゴミ袋を取り出し、それを床に広げるという人生初の作業をする事になった。
冴羽と泰志が何をしているのかとじっとこちらを覗いてくるのが鬱陶しすぎてイライラしてくる。
大体察しがつくだろ……特に冴羽なんかは突っ立ってるだけなら少しは手伝って欲しいもんだ。頭がいいくせにこういった事に頭が回らない、全く糞インテリ野郎だ。
その後、まさしく吹けば飛ぶほど軽いゴミ袋と一人で暫く格闘したのち、何とかビニール製の布団が完成する。
「よし、いいぞ。ここに寝かせろ」
「全く、あなたって人は……別にソファで構わないでしょう?」
ようやく俺がしていた事を理解した冴羽がそんなことを言ってくる。
人ん家だからって適当な事言いやがって……
ウチのソファは布製の安物だから、血なんか付い日にゃー買い替え確定なんだよ!
そしたらお前が弁償してくれんのか?
…………いや……コイツならしてくれそうだな。
だんだんそっちの方が得なんじゃないかと思えてきたが、今更ゴミ袋を片付けるのも億劫だし、何よりフレッド如きの為にこれ以上何かをするのが嫌だった。
「早くしろ。重りがねーとどっかに飛んでっちまうんだよ」
ギリギリのところで物欲よりもプライドが優った結果、俺はゴミ袋をペシペシ叩いてその上にフレッドを置くように泰志を急かした。泰志は何も言わずにその指示に従ったが、明らかに乗り気じゃなさそうだ。
カサカサと鳴ってゴミ袋が少しズレたが、それでもフレッドから漏れ出す液体をしっかりと受け止めてくれて床が汚れるのを防いでくれた。ほら見ろ、俺の目論見通りだ。
そこまでは良かったが、それでも予想外の事ってのは起きるもので……
「えーと……これは……」
泰志が言葉を詰まらせた理由は明白だった。
想像してみてほしい。床に敷き詰められたビニールの上に血まみれの男が乗せられ、それを見下ろす3人の男女の構図を━━これからこの死体を切り刻んでコンパクトにしようとしているように見えやしないだろうか?
いや、流石にそれは行き過ぎた妄想かもしれないが、如何に拙い光景が俺の目の前にあるのかはお分かり頂けただろう。
もしも、今来客があったら━━きっと俺はこの街に居られなくなってしまう。
「これはヤバイな……取り敢えずこれを使ってみてくれ」
俺がソファに置いてあるクッションを投げてやると、泰志はそれを器用にキャッチしてフレッドの頭の下に潜り込ませた。
出血しているのに頭を高くするのはダメな気がするが、フレッドの安否なんかはどうでもいい。これは気分の問題だ。
クッションは駄目になってしまうだろうが、それは元々結が勝手に部屋に持ち込んだ物なので別に構わない。それで目の前の絵面が多少改善されるならどうぞ使ってくださいってなもんだ。
「…………余り大差がないように思えますが?」
冴羽が的確なツッコミを入れてくる。
そりゃそうだろう。クッションひとつでこの状況がひっくり返るとは俺も思ってない。
それでも大事なのは気分的なものであり、且つ頭の下にクッションがあるだけで助けようとしていたんだという言い訳が成立するって事だ。
えーと…………俺は、何でこんなに焦って言い訳を考えてんだ?
そもそも連絡も無く俺の部屋に気軽に尋ねてくるのは真夏と結くらいだ。
多少グダグダ言ってくるだろうが最終的には話せば分かってくれる相手ではある。
目の前の光景があまりにもアレだったので妙に焦ってしまったが、ふと冷静になってみればそんな必要は全く無いと気付く。やはり前日の疲れが残っているようだ。
「まあ、いいでしょう。取り敢えず出血を止めないといけませんね。ここに救急キット……何か布きれとハサミはありますか?」
明らかに期待してない感じで聞いてくるのが何かムカつくな。
おいおい、そんなにバカにすんじゃねーよ。
俺はこの大陸で素人相手にガイドをする事もあるんだ。救急セットくらいは常にアイテムボックスに入れている。
それでも、俺にはそれを使う気は毛頭なかった。補充するのがめんどいからだ。
「ほらよ」
代わりに差し出したのは、俺がこの前寝込んでいる間に、真夏が念の為と言って置いていった救急箱だ。
冴羽は差し出された救急箱を見て少し驚いた様子を見せたが、特に何も言わずに素早く蓋を開けてフレッドの治療を始めた。
「意外と手慣れてんな」
思わずそんな言葉が出てしまう程に、応急処置を行う冴羽の手つきには澱みがない。
てっきり泰志にやらせるんだろうと思い込んでいたのもあって、より一層意外に思えた。
「あなたにどう思われていても別に構いませんが、私はどこぞのお嬢様という訳じゃありませんよ。これくらいは出来ます」
前に少しだけ冴羽が過去の話をしたのを思い出す。
普段の言動からついついお嬢様扱いしてしまうが、そう言えばこいつは俺や真夏と同じで孤児なんだよな。
冴羽の育ちが随分良く見えるのは、生前の親の躾の賜物なのかもしれない。
親か……
その単語からある人物を連想してしまい、それに付随する記憶が蘇ってくる。
不意打ちのように唐突に思い出してしまったからか、俺は自分の表情が歪んでいくのを止める事ができなかった。
「それに意外というのなら、この部屋が意外と片付いているのが私には意外に思えますが━━いえ、少し言い過ぎました……」
タイミング悪く冴羽が振り向いた事で何か妙な誤解が生まれてしまったようだ。
どうやら、俺が汚部屋に住んでいるという偏見を持たれている事にショックを受けたと思ったらしい。しかも、今の俺はその言動をすぐに撤回するほど酷い表情をしているようだった。
勿論、俺はそんな事でダメージを負うようなやわな精神は持ち合わせてはいない。
そもそも俺の部屋が綺麗に片付いてるのは、最近ちょこちょこ顔を出すようになった真夏が定期的に掃除しているからだ。そうでなかったら冴羽の期待通りの汚部屋を披露しいただろうが、仮にそうであっても何も思いやしない。
完全に冴羽の勘違いだ。
「変な気の回し方してんじゃねーよ。気持ちわりーな……ちょっと嫌な事を思い出してただけだ」
「そうですよね、俺には分かってますよ新庄さん。今はたまたま片付いているだけで、いつもはもっとワイルドなんですよね?」
俺はただ本当の事を言っただけなのに、泰志は泰志で変な誤解をしているようで妙なフォローを入れてくる。
どうやらこいつの中のイメージでは、俺はもっとワイルドな部屋(汚い部屋)に住んでいるらしい。しかも、それをかっこいいと思い込んでいるイタい性格をしていると思い込んでいるようだ。
空の酒瓶とピザの空き箱をそこらじゅうにばら撒いて、鼻から白い粉を吸引してる裸の女を二、三人ほど床に転がしとけば良かったか?
ふざけんな!
こいつは俺を何だと思ってんだ?
俺にはワイルドを売りにした覚えは全く無い。やはりこいつには色々と再教育が必要なようだ。
「あ“ぁー、もういい!俺の部屋の話は置いといて、まずはこの後どうするかの話をしないか?」
「そう……ですね。それがいいでしょう……」
「俺も……そう思います……」
ようやく話が進みそうだが、何だろう、この微妙な反応は……
俺はそんなにヤバい表情をしてたのか?
因みに、この後誤解が完全に解けるまで、このふたりの間では俺の部屋の話はかなりデリケートな話題として扱われるようになる……




