迷い猫
「フシャーーーーー!」
ダンジョンを攻略したあの日から2週間が過ぎた。
獅子のモンスターに負わされた傷は殆ど癒えたが、左手の傷だけはまだ完治とはいえない状態だった。
この2週間であった事といえば、冴羽が遺族への補償はしっかり行なったと連絡してきた事だ。
俺の言った通りに、宝箱から出てきた装備の売上金額分は全て死んだ奴らの遺族に渡したらしい。
華菱としては赤字になっただろうが、目的のダンジョン攻略には成功したのでその程度の出費は問題ないのだろう。
後は、真夏が俺の怪我の様子を見に、毎日のように俺の部屋まで押し掛けてきてウザかった事ぐらいか……
「この、大人しくしやがれ!」
黒い影がその鋭い爪で俺に襲いかかってきた。
「ぐあっああああ!」
そいつは俺の額に鋭い一撃を与えると、軽々と頭上を飛び越えていく。
拙い!このままでは逃げられる!
急いで後ろを振り向くと、そこには人影が見える。
その姿を見て、俺は圧倒的な絶望感に苛まれた。
「……先輩は、何でこんな所で何で猫を虐めてるんですか?」
そこには、標的である黒猫を抱えた真夏が立っていた。
明らかに怒っていて、冷たい視線で俺を刺してくる。
だが、ここで引く訳にはいかない。
「虐めって……俺は仕事でそいつを探してたんだよ。真夏、そいつをこっちに渡せ!」
俺は、迷子の猫を探す仕事を受けていた。
「先輩……仕事は選びましょうよ」
真夏が呆れた表情で俺を見てきたが、これには事情があった。
「別に良いだろ。いい稼ぎになるんだよ」
こんな場所に、ペットを連れてくるような雇い主だ。
相当な金持ちに違いないし、実際この仕事の報酬も悪くない。
今後の為にも、飼い主と繋がりを持ちたいという思惑があった。
「まったく、まだ怪我も治ってないんですから……あまり無理をしないで下さい!」
真夏も別に本気で怒っている訳じゃない。
俺の心配をしてくれているのが、その表情から読み取れる。
そんな顔を見せられると済まないとは思うが、こちらにもいつまでも休んでいられない事情がある。
「働かなきゃ飯が食えねーんだ。仕方ねーだろ?」
この摂理には逆らい難いものがある。
食事なしで生活できるんなら、とっくにそうしてる。
「それにしたって、これは無いよねー?」
「にゃー」
真夏が猫に話しかける振りをして、俺に嫌味を言ってくる。
やたらと猫が懐いてやがるのが、何故か妙にイラつく。
「なんにしても、そいつは飼い主に届けないといけないだろ?その猫をこっちによこせ」
「フシャッーーーーー!」
俺が手を伸ばすと、何故か猫が威嚇してくる。
それを無視して抱き上げようとすると、今度は爪で引っ掻いてきた。
「いてっ!」
「ダメですよ。そんな乱暴にしちゃー」
俺は、ただ抱き上げようとしただけだが……どうしろってんだ?
どうにか標的を確保したいが、猫は真夏から離れよとしない。
「仕方ないですね。この子を放っておけませんし、私も一緒に行きますよ」
「でもなぁ、そこまでして貰う訳にも……」
再び猫に手を伸ばすが相変らず威嚇をしてくる。
「……悪いな。頼む」
「はい、任せて下さい」
真夏の了承を得て、俺たちは飼い主の元に向かう事にした。
何故かやたらと嬉しそうにしているが、猫が好きなんだろうか?
俺たちが今いるのは、集会所のすぐ近くにある商業区画だ。
この街は元々、国主導で行われていた新大陸調査の為に自衛隊が作った拠点の跡地だ。
10年程前に民間企業の新大陸進出が認められると、その跡地を利用する形で移住が始まった。
複数の企業の共同出資により、僅か半年足らずで必要最低限の施設は完成する。
ここまで早く出資金が集まったのは、魔石の生み出す利益が各企業には魅力的だったからだ。
その後、移住者が増え拠点が手狭になると、徐々に開拓して拠点を広げていく事になった。
そうやって出来たのが、この第1新太平洋大陸開発特区という街だった。
その時、最も巨額を投資し尽力したのが華菱だった。
集会所というシステムも、元は華菱が考案したものらしい。
集会所は、公平性を保つために国が管理しているという事になってるが、いまだに花菱の資金援助は続いており、実際はその影響から抜け出せないでいる。
「先輩何か食べてきましょうよ。私、お腹が空きました」
屋台が立ち並ぶ区画に入ると真夏がそんなことを言ってきた。
「おまえ、俺にたかる気か?」
「そんな事言っていいんですか?この猫ちゃん逃がしちゃいますよー」
真夏がニヤリと実に憎らしい笑みを浮かべる。
くそ、足元見やがって。
俺が財布を取り出そうとすると、真夏はそれを止めてきた。
「冗談ですよ。お金ないんですよね?私が出しますよ」
真夏はそう言うと、小走りで屋台に向かって走って行ってしまう。
その姿を見送り、俺は何となしに周りを見回した。
人の往来が多く活気にあふれている。
元は小さかった街が、こんなにも活気にあふれているのを見ると、人の活力というものを感じた。
この街は、幾つかの区画に分かれている。
集会所が中心にあり、その周りを各企業の支社や出先機関が占める、企業区画と呼ばれる場所だ。
企業区画に少し食い込むように商店区画あり、さらに周りには住宅区画という構造をしていた。
集会所に通う探索者が、金を落としやすいという何ともやらしい作りだ。
俺は企業区画で迷い猫を見つけ、飼い主が待つ住宅区画に向かおうとしていた。
つまり、俺達はまんまとこの街に仕掛けれた罠にかかった事になる。
「せんぱーい!こっちですよー」
どうやら真夏は猫を抱えているため、何とか会計は済ませたものの、買ったものを受け取れないでいるようだった。
仕方なしにそちらに向かい、屋台のおばちゃんから商品を受け取る。
「あっちで座って食べましょう」
そう言うと、真夏はそのままベンチに向かって行ってしまった。
全く、騒々しいやつだ。
「随分と元気な彼女だねー」
屋台のおばちゃんが声をかけてきた。
聞き捨てならない事を言いやがる。
「彼女じゃねーよ。ただの後輩だ」
ここは、きちんと訂正しておきたい。
変な噂を立てられたくは無い。
「そうなのかい?でもね、今の時代あんな純粋そうな子はそうはいやしない。大事にしなきゃダメだよ」
真夏を見るとこっちを見て手を振っていた。
「……そうだな」
おばちゃんは、もう次の客の相手をしていたので聞こえたかは分からない。
大地震が起きて世界が一変してから、世の中は悲しみにあふれていた。
言葉にはしないが、真夏にも悲しい事はあったはずだ。
あいつも俺と同じで身寄りがないからな。
それでもあんなに笑顔でいる事が出来ている真夏は、凄いやつだと俺は思う。
「先輩、早く食べましょ。あそこのサンドイッチ美味しいんですよ」
「ああ、悪いな。ご馳走になるよ。腹減って死にそうだったんだ」
朝から猫探しをしていたので、今日はまだ何も口にしてない。
今は昼時、屋台から漏れ出すいい匂いを嗅がされては、俺の空腹はもう限界だった。
真夏に追いつきベンチに座ると、サンドイッチと飲み物を渡してきた。
いかにも早く食べて欲しそうに俺を見てくるので、早速一口食べてみる。
「おっ、こいつは確かに旨いな」
「ですよね!こっちの、アボガドのも旨いんですよ」
「……たしかに、旨そうだな」
俺にはアボガドの良さなど正直わからないが、真夏のテンションの高さに押されておもわず相槌を打ってしまう。
せっかくの奢りなので味わって食べる事にする。
横を見ると、真夏がサンドイッチのパンをちぎり猫に与えていた。
実に平和な光景だと思うが、こんな事してていいのかと考えてしまう。
確か、俺は仕事中だったはずだ。
食事を終え、俺たちは当初の目的通りに住宅区画へと向かう事にした。
住宅区画は、街の中央部に近い方が高級物件が建ち並ぶエリアになっている。
外縁部に向かうにつれて家賃が安くなる傾向があるのは、その利便性を考えれば当然だろう。
当然、俺が住むのは外縁部の方で、真夏は真ん中あたりだ。
先輩として情けなくはあるが、飯を食うにも困る俺にそんな甲斐性は無い。
「先輩ちょっとあの店を覗いていきましょう」
「おい、ちょっと待て、いい加減に……」
真夏が俺の目の前に猫を掲げる。
そんな事をされては俺には黙るしか選択肢がない。
俺としては早く仕事を終わらせたいのだが、今日の真夏はやたらと色んな店に興味を示した。
猫を握られているので、結局俺はそれに付き合される事になった。
「楽しかったですねー」
「……俺は、疲れたよ」
「そうですか? 私は、そうでもないですけど」
真夏は本当に楽しそうな顔をしている。
疲れはしたが、そんな顔をされてはそれ以上文句は言えなかった。
「それで、この仔のお家は何処なんですか?」
「今更聞くのかよ……まあ、高級住宅がある区画だな」
俺たちは商業区画を抜け、住宅区画に入った所だった。
「それだと、後ちょっとで着いちゃいますね……」
真夏はどこか残念そうにそう答えた。
俺は真夏に合わせて少し歩く速さを落とした。
目的地が近づくと、依頼人の住所を改めて確認した。
もうすでに、飼い主の家を目視出来る位置には来ているはずだ。
「っと、この家だな」
これで飼い主に猫を渡せば依頼は終了だ。
「猫ちゃんともお別れだねー」
「にゃー」
本当に猫が好きなんだな。
よく懐いてるし。
インターホンを鳴し飼い主を呼び出す。
無事に猫を渡すと、飼い主はかなりの喜びようだった。
どうやら、もう何日も探してたらしい。
「本当にありがとうございました」
依頼主本人は出かけていて留守だったのだが、その奥さんが対応してくれた。
感じの良い人で、何度もお礼を言われる。
後は、スマホから仕事の完了手続きをして貰えば終了だ。
「飼い主さん、良い人でしたね」
「そうだな……何か今日は付き合わせちまって悪かったな」
「いえ、全然いいですよ。楽しかったですから」
「そっか……」
もう夕日が沈みかけている時間だった。
「晩飯でも食ってくか?」
「奢りですか?」
仕事は終わったが、そんなすぐに報酬が支払われる訳じゃない。
未だに、俺の財布は軽いままだ。
「……割り勘で頼む」
「分かってますよ」
俺たちは、来た道を戻り商業区画に向かった。
ゴーーン ゴーーン ゴーーン
突如、空から降ってくるように鐘の音が響いた。
「何の音ですかね?」
「さあな、時計じゃないか?」
切りのいい時間では無かったので違和感はあったが、別に気にする事じゃ無いと思っていた。
だが、これを期に世界中が混乱の渦に飲まれることになる。
『只今、10ヶ所目のダンジョン攻略が確認されました。これにより、ワールドクエストの発生条件が満たされました……』
急に頭の中で聞き覚えのある声が響く。
それは、レベルが上がった時に聞こえるものと同じ声だった。
世界を一変させた大地震が起きて既に20年も経ったはずだが、世界の変革はまだ終わってなかったようだ。




