策略家の目指すものとは
シリアンは報告を聞きながら妹達の空回りに苦笑した。既成事実ありきの身分違いの男女の穏便な婚姻の前例を探すニコレット。ニコレットへのアピールのためにククリを引き離さず、共に行動しているアデル。
「アデルはバカだな。平民のククリとの仲を誤解されたくないなら不敬で裁けばいい。修道院に入れてさえしまえば仲を疑われることもない。意地を張らずにニコレットに相談すればいいだけなのに。貴族として相応しくない行為を諌めるニコレットが何も言わない理由を想像すれば簡単……。まぁ可愛い妹に相応しくないならいらないか」
シリアンは入学してからのアデルは成長が止まったと認識している。ニコレットはアデルが伯爵家嫡男として相応しく成長したと喜んでいたが、それは王家や曲者揃いの上位貴族とやりとりをしない弱小伯爵家の当主としてならという前提のもとなら、ギリギリ及第点である。シリアンは貴族令嬢であるニコレットに当主を見極める能力は求めていない。多少抜けて浅はかなところも可愛らしいとあたたかく見守り、必要ならフォローしてあげるのは実妹だけである。シリアンもニコレット同様自分の家族と自領の発展が一番。領民全てを慈しむニコレットとは違い懐に入れたもの以外には無関心なところがあるが気づいているのは両親だけである。
「ニコレットの婚約、婚姻については任せていただけますよね?父上」
「二人が納得するなら何も言わない。昔と変わり今は二人の婚姻にうまみはないから」
アデルの一族は歴史のある古参貴族。ニコレットの一族は成り上がりの新興貴族。領地の面積は負けるが、当時は足元に及ばなかったアデル達と今は立場が逆転している。現状に満足し、古くからの繋がりもあるためあえて伝手を広げず、変化のない統治をしているのが古参貴族というシリアン達の認識。アデルとニコレットの婚約はニコレット達が煙たがられていた古参貴族と知り合い親睦を深めるきっかけを作るため。精力的に動いたおかげで、今ではアデルよりもニコレット達のが古参貴族の知り合いは多く良いお付き合いをしている。アデルの知り合いとして紹介されていたシリアン達はもういない。そして当時の問題児アデルが嫌がる貴族のお付き合いにニコレットが率先して参加し、パートナーは代理としてシリアンが務めた。アデルが遊んでいる間にアデルが得るはずだった人脈をシリアンが手に入れた。
「妹の相手として見劣りしますが、感謝はしてますので丁重に扱いますよ」
伯爵は頼もしく成長した息子を誇ればいいか、嘆けばいいかわからない。
隣の領地の少しおバカだが素直で優しい嫡男が羨ましくなる日がくるなんて知りたくなかった。シリアンの両親の前では一切隠さない腹黒さを立派に成長したと喜ぶ妻に似たことだけは明らかだった。
「そうね。アデル様のおかげでうちはたくさんの利益を得ましたもの。お客様にきちんと還元するのも商人として正しい選択よ。うちは悪徳商家ではないもの。利益第一、信用第二」
「前例を探すよりも有効な策をニコレットに教えないと……。前例は覆すもの。前例ありきのニコレットの考え方は貴族よりだが、それじゃ甘いよ」
「女の子は多少抜けていてもかわいいものよ。完璧ではないものに人は惹かれるのを貴方はよく知ってるでしょう?」
人の悪い笑みを浮かべる母にそっくりな笑みをシリアンは返す。詐欺師仕込みの話術に、暗殺者から教わった気配の消しかた、大道芸人に教わった場の盛り上げかた。貴族令嬢としての教育中心のニコレットとは違いシリアンは商人として、伯爵家嫡男として様々な教育を受けた。平凡そうな母親は策略家で人たらし。シリアンの周囲には見目麗しいナルシスト気味の少年、少女が多く事前に情報さえ手に入れれば親しくなるのは簡単だった。
物語の主人公のような正義感が強く誰にでも優しい第一王子。第一王子の友人は癖のある自信家ばかり。
シリアンにとっては世間知らずのお坊ちゃん達とのお付き合いは商人達との駆け引きよりも簡単だった。権力のあるものに深入りすると碌なことがないのでほどよい距離感が大事である。根が優しく実は情に厚いところがあるニコレットには難しいのでシリアンが引き受けている。
兄の本性を知らない妹は久しぶりにアデルと過ごしていた。
「よければこちらお使いください。先輩から過去の試験問題を手に入れるのは暗黙のルールです。先生も咎めません。侍従にお預けしておきますね。これよりはアデル様の好きにされてくださいませ」
「ありがとう……あのさ、」
アデルは久しぶりに会うドレスアップしたニコレットに優しく微笑まれ、瞳が合わさると胸の鼓動が速くなり頬が染まり頭が真っ白になった。ニコレットはアデルの顔が赤くなったのに気付き、笑みを崩さず優しく言葉を掛ける。
「夜会の主催は私のお友達です。代わりにご挨拶をしておきますわ。ゆっくり休んでくださいませ」
体調不良のアデルが失態をしないように、早々に帰宅させようとするニコレット。侯爵家主催の夜会に招待されたが、アデルが帰ってもニコレットは問題なく場を乗り切る自信があった。
「これは、」
アデルはエスコートのために重ねた手をほどいたニコレットに焦りさらに言葉が出なくなる。ニコレットはアデルの変化を体調不良と判断し侍女に目配せした。
「殿下もいらっしゃるかもしれません。今のアデル様は殿下に挨拶するには相応しくありません。どうか私にここは任せてくださいませ。大切なのは御身です。アデル様はきちんと休んでいただけないと、私は……」
悲しそうな顔で、最後はアデルにしか聞こえないほどのか細い声で囁きそっと瞳を伏せたニコレットにアデルはカチンと固まった。侍女は主の態度に動揺しすぎて我を忘れているアデルを力尽くで誘導し馬車まで送り届けた。医師の手配をすませ、アデルを邸まで無事に送り届けるように御者に伝えニコレットのもとに戻る。
ニコレットは優秀な侍女にアデルを任せたので、すでに頭を切り替えていた。馬車の中で真っ赤な顔で胸を押さえている婚約者の心配はしていない。医師ではないニコレットにできることはない。公の場でアデルが失態せずに過ごせたならそれでよし。アデルの代わりに挨拶はするがそれ以上の動きは自領のためのみ。大切なもののためにしか動けないのは誰もが同じというのがニコレットの考えである。
「もしも夢の通りになるなら、揺るがないように備えないといけません。他家に何があってもうちだけは……」
ニコレットは大切なものを守るためには手段を選ばない。特産品で豊かにして、無くなると惜しいと思われる領地にしたい。さらに取り込むには扱いづらいならなおよい。だから手間を惜しまない。アデルがマトモに育ったからきちんと自治してくれると信じたい。でもククリの成長が止まった。恋に溺れる哀れな男の犠牲になった存在をよく知るニコレットは油断できなかった。
「お二人が結ばれるのは運命でしょう?全ての運命を変えたいなんて傲慢な心はありません。私が守りたいのは……。平民に負け、適齢期に婚約破棄された愚かな貴族令嬢という汚名を受け入れます。ですからどうか……。アデル様達の幸せを願う私は愚かでしょうが、これからも居場所をくださるように願ってしまいますの」
アデルの欠席にククリといるのでは?と勘ぐる貴公子にニコレットは微笑みながら答える。たった一人の嫡男であるアデルの体調不良を勘ぐられるより若気の至りで恋人と過ごしていると思われるほうがいい。そしてアデルと婚約破棄したあとも社交の場にニコレットが現れるのを許してほしいと伝え了承の返事をもらうのを忘れない。傷心で領地に籠ることも、修道院に入る予定もない。ニコレットは兄とたった二人の兄妹なのでやることややりたいことがたくさんある。貴族令嬢らしく淑やかに醜聞が落ち着くまで待つ時間はない。「時は金なり」は母親からの教えである。お金はいくらでも稼ぐチャンスはあるが、失った時も若さも取り戻せない。若気の至りという言葉が許される黄金時代にニコレットは足を止めたくない。平凡な顔のニコレットは美形ほどは許される時は長くない。持たないものに憧れるより持っているものを最大限活かしたいのがニコレットである。ククリが探し物に夢中でニコレットの呼び出しに応じない。ククリへの働きかけは諦め、ククリの野望が叶ったときに備えるだけである。アデルに嫁ぐまではククリは領民でありニコレットの庇護に入っている。ククリの意志で伯爵領を出たあとのことはニコレットには関係ない。出て行った民はニコレットにとって他人で部外者。線引きをきちんとするように子供の頃から兄に教えられているニコレットは兄の教えを守る。正直王命よりも兄の教えのほうが優先されるのはニコレットの秘密である。隠しているつもりのニコレットの考えが親しい者には駄々漏れなのはご愛嬌というものだ。
夜会では自ら主張しなければ目立たないニコレット。ニコレットは空気に溶け込みながら情報を集める。そして新たな策を考え始める。良縁探しをしようとしない貴族令嬢らしくないニコレットが目立たないのは平凡な外見だからではない。気配をコントロールしているからである。
ニコレットが存在を主張すれば、ニコレットに視線を注ぐ貴公子もいる。ニコレットに貴族令嬢らしくない、邪な男が近付けないような夜会の過ごし方を教えたのは私利私欲の塊だった。
「あの娘もある意味可哀想だね。華になる素質はあるのに」
「無粋ですわ。咲かせ方は殿方次第。私のように」
美しく微笑み婚約者をダンスに誘うことで余計な言葉を封じた令嬢。善良な男が王族の側近を務められないとよく知ってる。外見の利用の仕方はそれぞれ。国で一番ずる賢い男の娘は同じ穴の狢を歓迎している。高貴な者は役者。役者になるか監督になるかは力量次第。父の操り人形はいずれ操り手になりたい。一人では敵わないから二人、三人と仲間を増やしていく。
「夢に惑わされるものが迎える未来はどんなものかしら」
「ハッピーエンドだろう?」
「貴方はそうおっしゃるべきお立場でしょうに」
美しくステップを踏み多くの者を魅了する王国屈指の美男美女。美しい笑みの下の睦言は二人にしか聞こえない。うっとりと甘いやりとりを妄想して顔を赤らめる者も少なくない。
何に溺れるかは人それぞれ。
夢に溺れる少女が願い、掴む未来はどんなめでたし、めでたしか。
わかるのはしばらく先のお話である。