学園生活2
ニコレットは固まっていた。
ククリからの相談はニコレットの許容範囲を越えた。
「聞いてる?」
意気揚々と話していたククリは笑顔で固まっているニコレットに気付いた。
いつも即答するニコレットの歯切れの悪い様子に頬を膨らませた。侍女はククリの前にお菓子を置き、主からククリの気を逸らせた。ククリは目の前に置かれた珍しいお菓子を口に運んだ。侍女の思惑通りククリがお菓子に夢中になったおかげでニコレットに考える時間を与えられても、既成事実を作るためのシチュエーションについて意見を求められたニコレットは混乱したままだった。
部屋にはククリのお菓子を咀嚼する音だけが響いている。
「あら?あちらにいらっしゃるのは」
「アデル!?またね!!」
見たことがないほど動揺している主人を見かねて侍女が窓の外を眺めながら大きな独り言を呟きククリを追い出した。
バタンと力任せに閉められた扉の音が響いた。
侍女は冷めたお茶を取りかえることはせずに、ニコレットの前に一枚の手紙を置いた。
ニコレットの目の前に置かれたのは文字の間違いだらけの手紙。ニコレットはゆっくりと手紙を読み笑みを溢した。
「私は大事なもののためには手段を選びません。ククリは私の言葉が通じないことが多い。ですから、もしものために備えは必要です。考えたくありませんが、どんなことにも準備が一番。ようやく文字を覚えたばかりの孤児達、一生懸命勉強もしてますが悪戯も日課ですもの」
孤児院の孤児達はお嬢様が大好きである。学園に通ってからは頻繁に孤児院に顔を出せなくなったお嬢様を喜ばせるために一生懸命勉強して手紙を書いて送ってくる。ニコレットが慈しむ子供達の成長に負けないように気合を入れ直し、ククリ達が貴族社会には受け入れられない婚姻前に既成事実を作っても困らないように動く準備を命じた。
侍女はニコレットの動いている方向性の間違いに気づいても何も言わない。
どんなことも経験である。経験は主の成長を促し、人生を豊かにするスパイスになる。そしてニコレットが道を間違えても正し、もみ消す存在も良く知っている。
ニコレットに命じられたことを調べながら侍女はククリに腕を抱かれるアデルを見つけた。
「アデル様、優しさが美徳なのは子供か聖職者だけですよ。お嬢様の心を掴みたいなら、ご自分で動かないと、いえ、私ごときがお話しするのはいけませんね。ですがアデル様のおかげでお嬢様は刺激的な生活を送れていることだけは感謝してます」
小声で独り言を呟いた侍女はククリの腕に絡まる手を解くのに必死で周囲の目に気付かないアデルに礼をして立ち去った。
ククリの腕を解こうとしているアデルが足を止めたのは庭園だった。
「放して」
「照れないでよ。散歩も素敵。ねぇ、アデル。それはもう育たないよ」
「え?」
「もうすぐ枯れるよ。私が手伝ってあげるよ。種を植えるとこからやり直そう。これはもう駄目、無駄」
ククリはニコッと微笑み、アデルが足を止め見つめている水を与えすぎ枯れている苗を指差した。
学園では花を育てて好意を持つ相手に贈ることが流行していた。アデルも学園の庭園で花を育ててニコレットに贈り喜ばせたかった。ニコレットが目を丸くして驚いたあとに、微笑む顔を想像しながら水をあげていた。
「そういえば育てやすい種があるよ。確か、王子様が花束にして渡した花と同じ」
ククリはニコレットからもらった種を思い出し、アデルに渡した。
視野が狭いアデルは気付いていなかった。
王侯貴族が通う学園で生徒達の流行の発端になるのはいつも王族。
もしくは学園の優秀者が所属する生徒会。
そして自領を豊かにするためのチャンスを常に探しているニコレットも生徒会役員である。
花を贈る流行が生まれた発端はしばらく前に遡る。
夢中で刺繍したニコレットの努力が報われず、隠れてニコレットが落ち込んでいた頃生徒会長が役員を集めた。
「諸君らの助力を求める。父上より命を受けた」
生徒会長である第二王子は留学中の他国の姫を婚約者に迎えるようにと王命を受けた。
姫の母国は資源豊富な鉱山を多数抱えているため宝石に溢れている。
「溺愛する姫殿下を迎えれば外交は有利に」
「持参金もさぞや」
「はしたないですわ。心の中で呟いてくださいませ」
「ニコレットも悪い顔をしているが」
「失礼ですわ」
生徒会役員のほとんどは上位貴族だが成績優秀者が選ばれるため平民や下位貴族も所属している。生徒会役員を束ねているのは第二王子。第一王子である王太子よりも身軽な立場ゆえの気さくな性格で生徒から支持を得ている。王太子が束ねていた頃は厳格な空気が漂っていたが、第二王子に世代交代してからは和やかな空気が漂っている。生徒会室で得た情報は他言無用と第二王子が命令を出したため、生徒会役員の素顔を役員同士以外に話す生徒はいなかった。
「殿下に夢見ている生徒達が可哀想です」
「先輩達にも」
「あら?貴族たるもの騙し合いは日常茶飯事。同士の皆様が愚かなことをしないと信じてます」
美しく微笑む公爵令嬢に見惚れる役員はいない。令嬢の美しい微笑みに裏があるのを誰もが知っていた。力のない者の言葉や存在を一言で消せる存在であることも。王子も気さくな笑顔で情報を引き出し、不要な者は笑顔で切り捨てるところがある。生徒会役員は和やかな空気が漂っている生徒会室が平和な場所ではないことを知っている。本音をこぼす貴族の言葉が信頼ゆえとは思わない。
生徒会役員の中で一番平凡な外見で優しいニコレットの本性も知っている。
「おふざけもここまでにして、会議を始めようか。資料だ」
王子の侍従が配った姫に関する資料を役員達が目を通す。
皆が読み終えたのを見計らい王子がパチンと指を鳴らした。
「さて意見を。言うまでもないが無礼講だ」
「姫殿下は貴公子からのアプローチに慣れています。それでも婚約者がいないのは、心が引かれる存在がいないから」
「殿下は外見だけなら王子様です」
「財も資産も殿下より姫殿下の方が上か。もう庶民のアプローチをしたらいかがですか?」
王子はやる気のない役員達の投げやりな意見にため息を溢す。
「国の一大事なのに投げやりすぎないか」
「陛下の命を受けたのは殿下だけでしょう?下々の者には関係ありませんのでいささかやる気が」
「殿下もあまり乗り気ではないでしょう?ですから私達から案を募るのでしょうに」
「姫を迎えるのに異存はない。だが面倒だ。恋に焦がれる姫は王家としては扱いやすいが、俺の手に余る」
「殿下と違い正真正銘の王子様である王太子殿下なら策を巡らさずとも簡単ですが」
「兄上の婚約者はすでに内定している。頭に花を咲かす王太子妃なんて必要ない。麗しき外見と膨大な資産を持ち芸術に優れる妃に国母は務まらない」
「会長ってブラコンですよね」
「殿下はお忘れですか?私達を動かしたいなら頭を使ってくださいませ。王族命はもろ刃の剣と教えられていますでしょう?」
「報酬をってことか。なら簡単だ。俺個人ができる願いを適えてやろう」
「まぁ。殿下に給仕をしていただけるなんて。やる気が出ましたわ」
「俺は殿下の資産で孤児院の改築を」
ニコレットは役員の願いを聞きながら名案を思い付いた。
ニコレットの欲望に満ちた優しく見える微笑みに隣に座っていた役員が身震いをした。
「私も伯爵令嬢として尽力致しますわ。ですがこれでは情報が足りません。調べ直すお時間をくださいませ」
「情報は言い値で買いますわ。国のため、殿下のために苦労は惜しみませんから」
王子の報酬に役員達の目の色が変わった。
各々の得意分野を発揮し姫の情報を手に入れ生徒会役員は姫の憧れるシチュエーションを幾つか導き出した。そして王子と共に舞台を用意した。
「手作りというものに憧れるのは殿方だけではありません。この花は品種改良を重ね、半月で花が咲きますの。世間では育てにくい花として有名ですが正しい育て方をすれば簡単に育ちます。殿下にも特別に教えて差し上げますわ」
ニコレットは自領でしか栽培していない花の種を王子に渡し、庭園で育てさせ始めた。
王子と姫を結んだ花となれば花の価値が上がる。高値で扱う輸入先が増え、領が潤いその余剰金でできることを思い浮かべるだけで幸せだった。
ニコレットは隠れて王子に指示を出す。王子が一生懸命に育てる様子を姫が目にできるように誘い出すのも忘れない。
「誰にでも優しく気さくな第二王子。剣舞の腕に優れ荒くれ者かと思えば希少な花を育てる繊細さを持つ。庶民に流行りのギャップ萌えですわね。私にはよくわかりませんが」
「ニコレットのタイプは?」
「婚約者のある身で恋に夢を見ても待っているのは悲劇ですよ」
「ニコレットさんのタイプなんて簡単だろう。伯爵領を豊かにしてくれるもの。それ一択だ」
「アデルも気の毒に」
「余計なことはおやめください。アデル様の望みを邪魔するつもりはありません。私とアデル様の求める形が違います。私はどんな立場であれアデル様の幸せを願うだけです」
「ニコレットさんにも王子様があらわれるかもしれないわ。にわか王子じゃなく本物の」
役員の一部は気付いている。
アデルとククリとニコレットの歪んでいる関係に。
他家の婚約に首を突っ込んでも碌なことがないと知っているので口に出さない。
アデルのニコレットへの片思い、ククリのアデルへの片思い、ニコレットのククリへの応援、どれか一つが破綻すれば歪んだ三角形は壊れる。ただしどう転んでも自分達に利がないとわかっているので動くことはない。もしも動くとすれば友人のニコレットに頼まれたときだけ。肝心のニコレットが無関心のため希望は薄い。
はたから見れば仲良く王子と姫を結び付けた運命の花を育てる身分違いの恋人同士。
「うちの花が大流行。花の香油や染め物も大成功。殿下は満足されましたし、念願の商会も紹介していただきました。ククリとアデル様が結ばれた時には庶民にも流行るかしら?恋愛成就の商品に力を入れましょう。なにはともあれめでたし、めでたしです」
仲良く花を育てるアデルとククリを見つけたニコレットは満足げに微笑みながら足を進める。
公爵令嬢の企画した王子が給仕するお茶会に招待されていた。
役員達は自らの欲望のために手を組んで王子と姫の恋物語を用意した。
悪い王子に捕まった姫への同情はない。騙されるのが悪いが生徒会役員の共通認識である。
めでたし、めでたしのハッピーエンドには大なり小なり犠牲はつきものである。
姫に待つのが天国か地獄かは姫次第。
それは姫ではなくても同じである。
ニコレットはハッピーエンドを夢見ているがニコレットは自分のハッピーエンドの裏には興味がない。ニコレットがハッピーエンドを掴めるかどうかわかるのはしばらく先の話である。
遅ればせながら明けましておめでとうございます。
読んでいただきありがとうございます。
しばらく亀更新になりますがお付き合いいただけると嬉しいです。今年もよろしくお願いします。