1. 降り始めた雨と
周囲の音が全て遮断されるくらい強い雨が街を覆っている。
私たちが過ごす、この安アパートも激しい雨音に包まれて、いつもなら聞こえる隣人の生活音も漏れ聞こえてすらこない。今ここで私が叫んでも、誰にも聞こえないだろう。
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強い雨に覆われる、少し前。
薄曇りの空が徐々に黒雲に覆われて行き、雨の匂いと気配と共にポツポツ雨粒が落ちてきた。
十人いれば十人が「あ、雨だ」と気付く程度には強かったけれど、「傘ささなくても良いよ」と二人くらいは言いそうな、そんな雨。
雨に気付いて洗濯物を取り込もうとしたタイミングで、アパートの合板のドアがノックされた。
コン「居るよね?」、コン「俺。・・・良い?」。
ノックの音と同時に声がした。
私は窓から物干しに手を伸ばしていたので、ハンガーをいくつか掴んだまま振り返り、玄関に向かって大きな声で返事をした。
「開いてるから、入って。今、手離せないの。」
取り込んだ洗濯物をハンガーラックにひっかけ、カチャンと窓を閉めると雨足が強くなった。
「わぁ、ひどい雨。洗濯物濡れなくて良かったぁ。」
振り返ると狭い玄関にポツンと彼が立っていた。
「あ・・。いらっしゃい。・・・上がって。」
「あ、うん。お邪魔、します。」
靴を脱ぎながら返事をする彼に尋ねる。
「雨、降り始めてたけど、濡れてない? タオル要る?」
「・・・大丈夫。」
昨夜ケンカをしたばかりで、お互いに相手の顔を見れない。
「あっ。コーヒーでも淹れようか。お湯沸かしてくる。」
彼の方を見ないでキッチンに向かい、ヤカンに水を入れようと流しの前に立った。
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昨日。
昼間二人で夕飯の買い出しに出掛けた。
スーパーで食べたいものを選びながら買い物をした。
「これ、うまそう!」
「良いね、それ。あとは、何にしようかな。」
「荷物は俺が持つから、夕飯作ってね。」
料理が苦手な彼が会計を済ませて、レジ袋いっぱいの食材をかかげながら言った。
「仕方ないなぁ。代わりに何してくれる?」
「片付けも、俺がする。」
「うん、わかった。私が作るから、片付けは任せた。」
「よし、任された!」
アパートに帰って、彼は居間でくつろぎ、私は夕飯の用意を始めた。
ご飯を炊いて、サラダを冷やして、お肉を焼いて。付け合わせは、何が良いかな。
炊飯器がピーピーと炊き上がりを知らせると、彼がキッチンに顔を出す。
「そろそろ、飯?」
フライパンから皿にお肉を移しながら、用意してあったお箸と小皿を持っていってもらおうと声をかけた。
「あ、良いところに来た。ここの、置いてあるの持ってって。」
「おう。」
彼の返事を聞きながら、フライパンをコンロに置き、付け合わせを載せようとさっき肉を盛った皿を見たら、無い。
「それじゃなくて、これ持ってって欲しかったんだけど。」
お箸と小皿を手に居間に行き、ローテーブルの上に置いて、肉の付け合わせを取りにキッチンに戻る。
ついでにご飯も入れてこようと思っていると、彼がイラッとした様に吐き捨てた。
「さっき、これ持ってけって言ったじゃん。」
私はキッチンで炊き立てのご飯をほぐして、茶碗を手にしながら答える。
「ここに置いてあるの、持ってってって言ったよ?」
「え?肉を置きながら言ったら、これだと思うだろ。君はいつも言葉が少し足んないんだよ。箸と取り皿持ってって、って言えば良かったろ。」
彼の言葉に涙と怒りが沸いてくる。あまりの腹立たしさに、ご飯も、用意してた付け合わせも持たずに居間に戻った。
「いつもそうやって、揚げ足とって! 自分だって言葉足らずなのに!」
「俺のどこが言葉足らずなんだよ。」
彼が怒鳴るように言って、こちらを見た。
「いつも言うよね『君は言葉が足りないんだ。』って。」
私は涙が零れるのも構わずに言い返す。
「じゃあ、あなたは?」
彼は、意味がわからないというように、眉間にシワを寄せて黙って見つめ返してくる。
「そんな細かな事は言うくせに、「愛してる」とか、「好きだ」とか。大事な言葉は少しも。言葉が足りないのは、あなたも同じ。」
溜まっていた不満を涙と共に吐き出して、彼をジッと見つめる。
沈黙が訪れる。
しばらくして、彼が戸惑いを露にして、目をそらしながら言う。
「嫌いなら、今ここに居ないよ…。俺の気持ち、わかってるだろ?」
「何でこっち見ないの? そんなんじゃ、わかんないよ。」
蓋を開けっぱなしにしていた炊飯器が、ビービーと警告音を出す。
「・・・飯、冷めるだろ。」
それまでローテーブルの前から微動だにしなかった彼が、立ち上がってキッチンから二人分のご飯と、肉の付け合わせを持ってくる。
「サラダは、冷蔵庫、だよな?」
彼は目も合わさず、冷蔵庫からサラダとドレッシングを取り出し、黙々と食事の準備をしていく。
「いただきます。・・・、君も、食えよ。」
「いただきます・・・。」
互いに一言も喋らず、気まずい空気のまま食事をする。
二人とも頭に血がのぼってるから、食事の感想さえも話さず、あっという間に食べ終わる。
「ごちそうさま。食器、俺が下げるから。」
二人分の食器を洗い、彼は「じゃあ。」と、帰っていった。
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彼が帰った後、一人になった部屋で思った。
今日は二人で楽しく食事をするはずだったのに、どうしてこんな事になったんだろう。
いつも「愛してる」も「大好き」も、私が言うばかりで、彼からは言ってくれない。せいぜい「俺も」と小さく返してくれたら良い方。
私から言うばかりじゃ、寂しい。
独りよがりの「好き」で、一方通行な「愛してる」、なんじゃないのかと、不安になる。
会うたびに毎回言って欲しい訳じゃない。
たまには、彼の方から一言欲しいだけ。
次会ったら、謝る?
また私から「ごめんね。大好きだよ。」って?
そもそも、次はある?
独りよがりの好きかもしれないのに?
いろんな感情がない交ぜになって襲ってくる。彼の愛情を信じきれず、不安なまま眠りについた。
目覚めも最悪で、ムシャクシャした気分を晴らしたくて、天気予報も見ずに今朝、洗えるものをありったけ洗った。
洗濯をして少しは気が晴れたけど、彼とどう話していいのか、まだ心の整理がついていない。
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そんな中、降り始めた雨と共に、彼がやってきた。
戸惑いを取り繕う様に、「コーヒーでも淹れようか。」なんて言った手前、お湯を沸かし始めたけど、身の置き場がない。
いつも、お湯が沸くまで居間で彼とおしゃべりをするけど、今日は隣には座れない。コンロの前から動けない。
気まずいのは彼も同じ様で、「今、良い?」と話がありそうに訪ねてきたのに、居間に座ったまま一言も発しない。
二人の沈黙に比例するように、雨の音だけがどんどん強くなっていく。
思い付きで書き始めたため、二度ほど加筆修正しています。
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