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猫が飼いたいねって、きみは、言うばっかりだから

 以前、年の離れた若かった妻が先に認知症になってしまったおとこのはなしを書きました。そのとき、憑依の言葉を借りて、少し違う世界に足を突っ込んだ連れ合いの様子にドギマギするおとこから、恋愛小説の、エロスの立ち昇る様子が描けたので、今度は飼ってもいない猫を棚に飾り、したためてみました。

 「猫飼いたいね」って言い始めてどれくらい経つ。ステンドグラスなんて手のかかる大掛かりな趣味もやめちゃって、3年、いや、5年かな。猫飼う話ってその辺りから出始めた感じ、しない。

 ホームセンターのペットコーナー覗いてるばっかりで、「本物さわったことあんの」って猫カフェ連れてっても、そこのツンデレ猫より他所(よそ)いきの顔のまんま()()()()()()ばっかりやって、貸してもらった猫じゃらし、そっちに向けようかと思ったよ。

 でも、躊躇した。猫じゃらしって、赤ちゃんがハイハイしながらぐるぐる回ってる可愛いものに近づいていくのとは訳が違うから。猫は本当はハンターなんだから、可愛い顔して眠っているだけなんだからって、そんな血に訴えかけるおもちゃを、もしも、きみに使ったら、

 

 きみは、ガブっとくるかもしれない。

 オーナーだけならあとでがんじがらめに説き伏せる自信あるけど、他のお客さんがいる中で、それはちょっと難しい。きっと拭えない(おり)になって、ぼくらの間に横たわってしまう。限られた毎日をこうやってあたりまえに過ごすのに、片手でヒョイともちあげられない重くどっしりした倒木みたいなもので道を塞ぐのはもうこりごりだから・・・・・



 

 「散歩」と称して、きみは深夜の徘徊を始めた。あぶないからと言ったら、ちゃんとその日のうちにポチして肩掛け式のLEDライトと反射シールのグッズを揃えた。

 「深夜じゃなくて、早朝っていってよ」夜更かししてるんじゃなくて、朝の3時起きして散歩するんだからと、スニーカー吐きながらパジャマのぼくにそう言う。

 早寝が習慣化したぼくは、早起きも習慣化させられ、字幕を頼りの名画を毎朝一本ずつ見るようになる。午前3時から6時にかけては、死ぬまでにみたい名画ベスト100なんてのがおあつらえ向きだ。


 目覚めると、すぐ隣に敷いたはずの布団が遠くにいっている。やれやれ、またか、今日はツンツンから始まるのかと目を凝らすと、そこはもぬけの殻。イライラ、うんうん唸ったあとが、ねじれた敷布団からも分かって、そぉーと抜け出し、リビングのソファまで出張ってみたが、そこにもいない。

 夕べは、先に寝ていたぼくを起こして手を握ってきた。暗闇だからかまいやしないが、薄くなった髪の向こうにハーフ顔のお気に入りの俳優を重ねて、まだ少し夢気分なのが分かる。

 何を見たのだろう、誰に抱かれてるのだろう。いずれにしても今夜はメリーゴーランドに乗ったままの静かな眠りから始まるようだ。

 そうしたデレデレのあとは危ない、それはわかっているんだけれど、こうした習慣が長くなれば、眠りは勝手にやってくる。あとのことなど頓着せずに、日常はきちんと繰り返されるように、その縦横をジェンカを歌いながらジャンカを積み上げる。

 寒がりだから、エアコンかけずにいるはずはないから、きみはすでに家を出たんだろう。LEDライトもスニーカーも消えている。再び、歩道の敷かれていない2キロ先の入口から始まる高規格道路なぞに登っていなければいいが。


 1か月前の朝の4時

 電話が鳴ったときは、妻のことだとわかっていても、電話口からの説明が絵を描くようにすぐには飲み込めてこなかった。8キロ先の隣町の警察からだった。

 - 奥様を保護してます。はいっ、LEDのタグに書かれた電話番号からお電話しています。1時間前、通行中のトラックからバイパスを歩いているひとがいるって電話が入いり向かったら、鴨前(かもさき)ICから島崎のICのちょうど真ん中あたりで、そのトラック運転手の方と奥様を発見し保護しました。・・・ええ無事です。お怪我などはありません、羽織られていたパーカーの全面に反射シールが貼ってありましたんで。最初は、作業員と間違えるほど反射シールがバッチリだったので工事でも始まったのかと、運転手の方、言ってました。奥様、そのときも、我々が到着したときも、なかなか車に乗りたがらなくて、寒いでしょっていっても頑なに断られて、それで少々時間がかかってしまって・・・・・

 春先とはいえ、深夜の2時間3時間外に吹きっさらしに身を置いていたのでは身体に(こた)えただろう。地味なベージュの色がお気に召さないとブーブー言いながらも、その毛布を体中に巻き付けて、ベッドの用意された小さな部屋で待っていた。

 案内してくれた当番の警察官は気を遣ってか、ドアが閉まると気配を消すようにすぐに廊下を離れていったようだ。

 ベージュでくるまれた全身から抜け出たあたまだけ摺り寄せるようにくっつけてくる。

ー よしよし、ツンツンはあきちゃったの。もうデレデレにしていいよ




 日曜日でなくても良くなった身の上なのに、散髪はいつもの理髪店に日曜の午前中、出来れば口開けを狙って予約する。

 今日は、口開けもとれたし、なにしろ雲一つない秋晴れだ。なんだか昔みたいに緒形拳の出てくるビールのCMみたいだ。


 それなのに。

 それとも、それだから。

 南向きに伸びをしている夏の植物みたいに、きみも大きなあくびをしながらぼくを待っている。ダイニングの椅子を外に持ち出して、穴を開けたシーツなんか持ち出していったい何を・・・・・・

 ははーん。わかった。床屋さんだ。そういえば最近はよくいろいろなヘアースタイル、ネットで見てたもんね。

「もうアラーキーみたいなあたまなんだから、お金払って切ってもらうちゃーんとした床屋さん行かなくても、いいよ。わたしで十分よ」

 わたしで十分、と言われてしまった。

 まずは、理髪店の山崎さんにキャンセルの電話いれなくちゃ。 ー 申し訳ない。こんな間際に、実は、前にも話したような状況が始まったもので、と付け加えて。

 穴の開いたシーツにあたまを通すと、それはおあつらえ向きなくらいピッタリだ。こう見えても元々は私なんかよりも器用なたちなのだ。「もうほんとう、不器用なんだから」が口癖だったのだ。

 横目をやり、すきバサミなのを見てほっとする。いままでに刃物、ハサミの(たぐい)まで持ち出したことはないが、視線の回らない隙間に尖ったハサミが回り込むのを考えるとかなりの緊張がやっぱりはしるだろう。

 片耳くらいどってことないさ。気持ちさえそっちの方に向いていれば、ゴッホだって通ったみちなんだからとうそぶいたって、今朝の青空は曇ってしまいそう。

 あれっ、うしろからデジャヴのような雲がモクモク近づいてくる。

 秋晴れのお日様の下、シーツで拵えた急場ごしらえなんかじゃない大きなエプロンにくるまれてる、わたしじゃない白くて眩しいスナップ写真。

 写真撮影の趣味ではないのに、散歩中の写真並べていたら、「このスナップ、みんなの昼下がりって題名つけておくったら、審査員のひねくれたおじさんに刺さるんじゃない」ってそそのかされて、ローカルだけど一等賞とってしまった。

 路地の空き地に眩しいくらいお日様が燦燦と入っていて、いまのわたしのように白い大きなエプロンにぎゅうぎゅう巻きされたお婆さんが、そのひとの娘か嫁にあたまを刈られてる。それだけなら一等賞なんてとれなかった。その横に、こんな狭い路地にどうやって入れたのか、ヤクザ趣味のあるオーナーでなきゃ絶対に乗らないような白いリムジンがドーンと写真の左に半分を占めている。その白さが、秋晴れのお日様の力を借りて、頭を刈る親娘(おやこ)と同じくらいのんびりしたウクレレのハーモニーと醸し出しているのだ。

 仕上がりは、意外と綺麗な、さっき詫びをいれた理髪店にかけこまなくてもいい感じで、ハサミは止んだ。つまの大好きなんアラーキーをなぞったのか、メガネを替えて髭を足せばその線までもっていけそうな感じだ。あの一等賞のあと、怖いお兄さんから電話もらったりして、賞金よりも高くついちゃったんだよね。

 それっ、きみのお誘いだったんだから、これからも覚えてくれてるといいんだけど。


 それもあってなのか、いったんはどこかに引っ込んでた「そと猫」たちが舞い戻ったように見かけるようになった。猫の写真は増えていった。みんな眼ばっかりが光るってるおなじ黒猫にしか見えないけど。




 「どろぼうネコ」

 それを見つけたのは、固定電話横のメモ帳。そこに刺したボールペンを使って、右肩上がりに走り書きされていた。

 文字は、わたしでなければ、妻なのだろう。そんなときは、猫をネコと書く癖も分かった。


         ネコばば、ネコなで声、ネコをかぶる


 文字は小さくなるが、右肩上がりは一緒。きっとあのとき、部屋に入る前に描いたんだ。静かに怒りを貯めていく顔が浮かんでくる。


 「さくらっておんな、なんなの」

 いきなりで、やってくる。目は三角、ことばも三角。一晩中枕の中で貯めこんでたモヤモヤを、きりきり突き刺し吊るし上げようとやってきた。

 片手間の仕事でも、相手がいてオンラインでの仕事の最中だったから、それをいったん切断するまで待つように促す。PCが古くてよかった。すぐにシャットダウンはしない。けれど中から助け舟は出てこない。「さくら」「おんな」と言われても、おのおのの単語のほか繋がるものは浮かんでこない。


 「みんな、わかってるんだから」

 すぐにあとは続かいない。口のたつ女ではないのだ。そのままに放っておくと

 - じぶんばっかり冷静沈着なふりなんかして、ひとのこと馬鹿にして、この卑怯もの ー

なんて、いきり立ちが飛んでくるだろうと

「いったい、どうしたっていうの」と当たり障りのないところを添えてみる。

 興奮していて、「どうしたいの」に聞こえたのか、そう受け取りたかったのか、次々ばらばらに並べ倒そうとする。


 どうせ、風俗のおんななんでしょう。

 そんなあたまになって、もてるわけないもの。お金を払って相手してくれるおんなといちゃいちゃして、一緒にお風呂はいって。汚い、そんな身体でまたうちのお風呂にはいって。

 ケイタイ見たんだから。寒くなる前にまた来てねって、しっかりもみほぐしてあげるって。いやらしい、「あげる」なんて。


 どうやら、月に一度お世話になっている整体の先生からのLINEを黙ってこっそり読んだらしい。

 先生も、店に貼ってあるヒゲ(づら)写真つきになってるロゴの「さくら整体院」のスタンプ押しててくれれば、こんなにこんがらがった状態まで積みあがらずに済んだのに。どこから解きほぐそうかと、毛糸の塊を見るように探っていると、先に向こうから手が出てきた。


 痛さと熱さが同時にきた。


 みると、手の甲に三つ穴が空いている。小さな穴だが、金属の感触だったから、みんな均等に血が溢れ、丸まってからぽたりと落ちた。


 むかしのプロレスの悪役レスラーのようにフォークを握っていいる。林檎か梨を剝いたときに突き刺す小さくて細い果物用のフォーク。

 わたしが子どもの頃から使っていた食器類はまだまだ残っていて、きっとそれは、げんしょく色したプラスチックが持ち手になってるフォークで、紫色のはずだ。妻はこうしたときに自分のものは使わない。妻は、緑色のフォークをそんなよこしまなことで汚したりはしない。

「こんな真似して、死んだお母さんだって怒ってるんだ。これはお母さんの分だからね」と、もう一度刺してくる。今度は少しだけよけたので、赤い(あと)だけついて、血は零れなかった。

 するだけのことをすると、妻はわたしに仕事部屋から引きあげていった。マイクパフォーマンスの終わった悪役レスラーのように乱した髪形を整えながら。



 「今晩は、麻婆豆腐でしょ」

 流し台に重し代わりのお皿二枚をサンドイッチにして水切りしてる木綿豆腐をみて、きみはいう。ほうら当てちゃったって、ぼくに褒められれるのを待っている。

 こんなときのきみは本当に愛しい可愛い存在に思えてしまう。さっき果物フォークで2箇所付けられたヒリヒリなんてどうでもよくなってしまう。

 ネギ、ニンニク、ショウガを刻み、昼食の後片付けのあとに白みそ抱かせて仕込んでおいた粗挽きのひき肉を横に置いて、鍋に油を廻す。豆板醬、唐辛子、中華山椒の辛味に豆鼓(とうち)、オイスターソース、白みそ抱いたひき肉の甘さが絡んだところで、水切りした木綿豆腐を2センチ四方の大振りにカットして絡めていく。うちはご飯のおかずだから、汁を豆腐の割れ目に染み込ませるのと最後の仕上げの片栗とゴマ油のコーティングに強火で絡めるところは気が抜けない。

 ー 出来た。

酒を飲みながらの食事がなくなってからどれくらい経つだろうか。だから、夕食時間は早い。カレーライスだって、カルボナーラだって、酸辣湯麵(スーラータンメン)だって、みんなうちではご飯のおかずだ。

 お茶碗に1杯の五分づきのごはん。それが目の前にあるのが、ぼくたちの食事。10分間の早食いになってしまったけど、きみは毎日の3食を楽しみにして、ちゃんと覚えていてくれる。いつでもどこでもそれだけはすぐに思い出してくれるから、ぼくは店に行かなくちゃ食べられないなんてけっして弱音を吐かずに食べさせてあげられるよう腕を上げるから。

 だから、今夜もいっしょにお風呂に入りいっしょにベッドに入って、明日を迎える夜を過ごそうよ。



 結局、きみは猫みたいになって、ぼくは猫みたいに扱われて、ここのうちには猫なんていなくても、猫がいる気分で過ごせていけそうだね。

 いつまでもなんて浮わついた言い草はしないから。この世のことなんてみんな当分のあいだのことばかりなんだから。


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