5.はげしい再会プロミネンス
木々を轟々と燃やしていた炎と同色のモノが鬼の上半身を包み、激しく焼き焦がす。
その熱量は凄まじく、皮膚が、眼がひりひりと刺激を帯びていくのを感じる。
翠はたまらず地面を這いながら距離を取り、目を細めた。
（たすかったのか……？）
無理にでも脳を働かせ、放棄していた状況の整理を試みる。
（この意味不明の動物はよくわかんない炎に焼かれて、俺を襲うどころじゃない。
酷い悲鳴だ、聞いているこっちまで苦しくなってきそうだ……。
とにかくまた襲われる前に、にげよう！）
鬼の断末魔が、その膂力と、巻き起こされた被害をフラッシュバックさせる。
また襲われたら今度こそ命は無い。
翠は足を滑らせつつも急いで立ち上がり、踵を返す。
後ろを振り返った彼の視界いっぱいに、不意打ちが如く何かが映った。
「っ！？」
それは
紅髪セミロング、綺麗なコバルトブルーのつぶらな瞳、
愛くるしさを増長させるのびた睫毛、美しさを際立たせる整った鼻と唇。
それらを歪ませて、こちらを睨みつける仏頂面の美少女。
「ちょっとあなた――「うわァあああああああッッ！？」
死に瀕した際に声が全くでなかったのが嘘なのではないかと疑ってしまうような、とても間抜けな驚きの声を上げる。
「ひゃうっ、うるさっ！？」
バランスを崩し、再び地面に倒れ込んだ翠は金魚のようにぱくぱくと口を動かしながら、突如として視界に映り込んだ者の顔へと視線を移す。
そこに居たのは、翠が追いかけていた筈の黒いロングコートを着た紅髪の少女だった。
「もう、びっくりしたわね……こほん。
ねぇ、ダッサイ悲鳴を聞いてあげたお礼として教えて欲しいのだけれども。
あなた、どうしてこんなところにいるの？」
「え！？ えっ、とその～。えぇと……」
君を追いかけてここまで来ました――なんてちょっと恥ずかしくて言えない。
「まどろっこしいのはいいから。さっさと答えなさい、でないとアレみたいに丸焼きにするわよ」
絶賛上半身炎上中の鬼を指差して、美しく可愛らしい、まるで妖精のような容姿からは全く想像もつかない口調で少女は言う。
「ッ！？ や、俺はただ君を追いか……、変な二人組に追われてたみたいだから、その助けようと――「……アレについては何処まで知ってるのよ」
「アレ、って鬼みたいな……化け物か？ 全然、初めてみたよあんなの、何なんだよあれ！」
「知らない？ 本当に？ 嘘なら焼くわよ」
「いやいやいやいや！ 本当だってば！ というか、何だよそれっ」
彼女の周囲を漂う炎に突っ込みを入れた翠だが、彼女の耳には届いていないのか、はたまた答えるつもりはないのか、その問いに答えることは無く。
「ふぅん……。というかいつまで座り込んでるつもり？ 見下ろすのも楽じゃないのよね、さっさと立ちなさい」
へたり込んでいる翠のつま先をげしげし、と蹴りつける。
「いや――ちょっと、まって」
翠も立ち上がろうとしていないわけではない。
ただ……必死に鬼から逃げようと後ろを振り返ったら、この世のモノとは思えない絶世美少女の風貌が眼前数センチ先に存在しているという不意打ちを疲労困憊の身体に喰らった結果、彼の脚は完全に竦んでしまっていた。
「え、うそぉ……何よアンタ。ビビり散らして立てないってわけ？」
今にも笑い出しそうに軽蔑交じりの目でこちらを見てくる絶世の美少女。
「うぐ……こちちぃら良くわかんないヤツに突然襲われてなぁ！」
「こちちらって……ぷぷっ。
今、噛みましたけど大丈夫かしら――おにぃーさん？」
「このッ……」
「……なるほどね。その様子だと本当に何も知らないのねあなた。ふむふむ」
じろじろと物色するように翠を見ていた少女は燃え盛る炎の中でこちらを睨みつけている鬼の存在に気付くと、まるでスイッチで切り替わったかのように、一瞬で表情を変化させた。
「ま、あんたは後回し」
黒い冬用ロングコートの懐より桜の花びらの装飾が施された短剣が取り出される。
その柄を握る手の甲には薄紅色に輝く紋章のようなものが浮かんでいた。
炎と同じ薄紅色であるが、燃え盛るソレとは対照的に穏やかで優しい光。
『GAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』
耳をつんざく鬼の咆哮。
絶叫の衝撃はその身を焼いていた炎を消し飛ばし、突風が周囲し四散する。
完全に殺意に満ちた形相の鬼は近くにあった一本の樹木をブチ折り、それを力の限り振るった。
「うわ――ッ！！」
棒切れを折る様に、易々と倍の太さがある木々をなぎ倒し、迫りくる七メートル弱はあるであろう樹木の迫力は全速力で突っ込んでくるトラックのようで、自身が標的でないのにも関わらず翠は咄嗟に身体を丸めた。
だが、翠の眼前に立つ少女は、全くの不動であった。
鬼の怪力による人知を超えた攻撃と愛くるしい小動物の威嚇。
彼女にとってそれらの行為は同列であり、そこに差異は無い――だから何もせず立っているのだ。
「――で？」
その声色に恐怖も、怯えも無い。
あるのは絶対的な余裕。
薄紅色の炎が緩やかに短剣に宿る。
そしてそれを鬼を嘲るように軽やかに振るうと、短剣に宿っていた炎が拡散し、周囲の木々もろとも全てを一瞬の内に焼き払い、薄紅で染めた。
当然、鬼が振るった樹木も含まれており、
武器を失った鬼の腕は虚しく空を裂く。
木々を焼き払った炎は躍るように空を舞い、やがて少女の短剣に収束していく。
「もう一匹より良く燃えるわねぇ。あなたもそう思うでしょう？」
少女はチラリと視線を別の方向に向けた。
そこにあったのは一つの大きな焼け跡。何か大きなものが燃えた後の、燃えカスが積もって小さな山を形成していた。
鬼はその言葉に形相を酷く歪ませる。
その様子を見て、少女の口の端が吊り上がる。
作り上げた笑みは可憐な少女にはとても似合わない不気味で不敵でじゃあくな笑み。
この笑みは鬼にこそ相応しく、少女は続けざまに毒を吐いた。
「生意気に、感情なんて持っちゃって。私ね？ 今ちょっぴり機嫌が悪いの――。
あなたたち、学習能力皆無の粗相しか取り柄のない能無し汚物にも劣るゴミのせいで、私の貴重な休日が台無しになっちゃっただじゃない。おまけにそこの間抜け面は自分から首を突っ込んでくるし、最悪なの。
あぁ、中身なんて空っぽなクセして演技しながらにやけ面で話しかけてきた時は、本ッ当にあの場で即焼き殺してやろうかと思ったのよ？ でも後処理とか、仕事馬鹿の小言がうざったいから我慢してあげて、こうしてあなたたちに私を八つ裂きにできるチャンスをあげたの、とびきりに感謝してほしいわ？
でも、っふふ。別にお礼なんていらないのよ？」
