3.ぶきみな静寂アウェイ
現時点で出せる最大の速力――ほぼ全力疾走と言っても過言ではない速さで彼女たちを追いかける。
だが視界の先の先、ちらちらと映る彼らとの距離は一向に縮まらず。
(喉がっ、カラカラで、心臓も腹もっ痛い、でも……っ、ここまで来たんだ、とことん付き合ってやろうじゃねぇかこんちくしょう……!)
この先待ち受ける展開を杞憂する心の問題よりも前に、身体的な問題で両脚を止めてしまいそうな自分を何度も鼓舞する翠。
気が付くと彼は近所にある大きな森林公園に足を踏み入れていた。
河瀬宮森林公園。
翠が住む河瀬宮町にある大きな森林公園でレジャー施設やバーベキュー場もあり巷ではそこそこな有名なスポット。
此処なら助けを呼べるかもしれない――と淡い期待を抱いたが。
(……ん?)
この時間帯、普段であれば愛犬を散歩に連れてきている人、ジョギングをする人、遊ぶ子供たち等々がいる筈なのだが、最悪なことに今日は全くといっていいほど人気が無く静まり返っていた。
(あぁそうですか、わかりましたよ一人で何とかしますよ……!)
樹木の葉から零れる夕日に照らされた砂利道を、力いっぱい踏みつけて、
意気込みを新たに翠は先を急ぐ。
(しっかしいつまでそのペースで走り続けるんだよ……なんか、おかしくないか?)
ふつふつと湧きあがる疑問。
男達の方はこういうことに備えて鍛えているのかもしれない、ということで説明できなくも無い。
しかし。
夏場に分厚いロングコートを着込んだ少女が自分よりも体力があるものなのだろうか?
勉強ばかりで身体が鈍っているとはいえ、
育ち盛りの現役高校二年生、中学は陸上部所属、体力にはそこそこ自信があった翠が少女らに劣っているというのは少し疑念を抱かざる負えない部分であり。
(それっぽい理由をつけるなら火事場の馬鹿力って奴か。実は陸上部所属の超絶寒がりちゃんか――)
想像してみるが、有り得ないなと翠は自分の考えを鼻で嗤った。
そして、限界を迎えつつも走ること一分――それにも満たない短い時間。
木々がうっそうと生い茂る森林地帯に入っていった彼女たちを捉え、同じく森林地帯に足を踏み入れた。
瞬間。
「――え」
翠は、彼女らを見失った。
決して油断していたワケではない。
蓄積され続ける疲労とじんわりと身体を包み込む蒸し暑さで意識は朦朧としていたが視界にはシッカリと捉えていた。
瞬きの1秒にも満たない時の隙間、ほんのわずかな一瞬の隙の間に見失ってしまったのだ。
それは横断歩道で彼女を見失った時と同じ、完全に、完璧に。
(何処に行ったんだ……ってなんだ?)
遅れて翠は気づく。
騒々しいくらいに鳴いていたヒグラシや虫の鳴き声がピタリと止み、
辺りを不気味な静寂が包み込んだことを。
まるで、彼女らを見失ったことをキッカケにこの空間の何かが変化したかのように
………………。
…………。
あらゆる音が静止――時が止まったかのような錯覚。
彼女らが地を踏む足の音も、先程の二人組が発した獣のような笑い声も。
例外として聴こえてくるのは自分の足音と呼吸音。
これ以上、足を踏み入れたら良くないことが起こるかもしれない、という確信も無ければ証拠もないただの予感がためらいという足枷を造り出し、翠の両脚をがちりと拘束する。
(いや、いやいやいや立ち止まるな。今更引き返すなんて、できるわけない)
ここまできて少女を見捨てて帰るなんて、それこそためらうべき行為だ。
翠は頭の中でやかましく鳴り続ける思考の警笛を無視し、
その先の空間へ足を踏み入れた。
(何だよ、神隠しにでもあったってのか?)
横腹を抑えながら小走りで辺りを探す。
此方に行ったであろうという方角自体は判るのだが何処にもそれらしき人影は見えない。
(黄昏時は逢魔が時って――あ)
夕暮れに赤く照らされ、
影の黒がより際立つ森林の中、
聴こえるものは己の生命音、
周囲に気配は無く、
ただ独り。
もしかしたら。
自分が神隠しを受けたのか――?
脳裏によぎる予感に背筋が凍る。
(大丈夫、落ち着け自分これは考えすぎだ。走り過ぎて頭に酸素回ってないからおかしくなってるだけだ。
は、はは……しっかし本当に、何処に行ったんだ? 木が邪魔くさいけど、そんな壁みたいに列を成して生えてる訳じゃない。ここは森林地帯の入り口付近、見晴らしはまだ良い方だ)
脳を稼働させ、無理矢理にもで心を落ち着かせようとする。
方角は判るんだ、進めばきっと見つかる……と確かな根拠もないものにすがり、
恐怖に心が包まれそうになるのを必死に抑える。
(だけどまぁ万に一つ。もし、本当に俺が神隠しにあっていたらどうやって家に帰ろうかな、なーんて……あ、あははは、はぁ……。
今思うと、公園に入った時点から既におかしかったよな。こんなに人が居ないなんて普段なら有り得ない、ここは森林地帯だからそういうこともあるかもしれないけど。
公園の出入り口や大広場の近くの脇道、全くと言っていいほど人に出会わな――)
フラッシュバックする、昼間の光景。
誰の注目も興味も引かない可憐な少女。
周りの人には見えていなかったのだとしたら。
もし、あの子が故意にそうさせていたとしたら。
自分は、ヨクナイモノに手を出してしまったのでは無いだろうか……?。
ざああああ――風に揺れて葉が擦れ、異様な静寂を破る。