プロローグ・1『記憶の断片 2021年8月10日』
――突然ですが、令和に生きる桃太郎。ただいま西新宿に鬼退治に来ています。
勿論、頼れる仲間の犬・キジ・猿はいません。きびだんごじゃ見向きもされません、令和の桃太郎には人望ならぬアニマル望が足りないようだ。
代わりにいるのは日本では珍しい紅髪の超絶美少女。けれど従っているのは令和のナントカカントカの方である。情けない話だ。
そして。
自分達を囲むのは木々では無く、
自分達の背丈よりも数十倍も遥か高い、高層ビルで。
歩む道は土砂道や砂利道では無く。
完璧に整備された一般道路のど真ん中。
灯った明りは指で数えられる程度で跨道橋の下に人気なく、完全に静まり返った空間だった。
そんな深夜に吸い込む都会の空気はどこか澄んでいて、
此処も昔は空気はこれくらい澄んでいたのか、なんて思いを馳せる。
様々な雑念が脳裏を過る中、橙色のライトに照らされて道路に伸びる自分の影に視線を落とし、黒髪の青年はぼやいた。
「小さい頃さ、オレンジ色と緑色のライトが怖かったんだ、
厳密にいえば普段とは違う色で照らされてる暗闇、っていうか空間? が怖くて」
「……うん?」
青年の隣を歩いていた紅髪の少女は何の脈絡もなく始まった自分語りに呆気を取られ、少し間を置いてからそう口にした。
「実家が民宿でさ、夜中とか一階が非常口のライトで照らされててよ、トイレに行くとき毎回すっげー怖かったんだ。単なる暗闇なら結構平気なんだけどなあ。なんでだろうな」
「照らされてる分……なにかあるって思うんじゃないかしら……? ってどうしたの急に」
そこで紅髪の少女は青年が酷く緊張していることに気付いた。
表情は強張り、手は震え、足取りも普段とは違く、歩幅が狭い。
(無理もないか……初任務が実戦なんて不幸者よね。でも素直に励ますのは癪だし、コイツすぐ調子乗るし、ムカつくのよね……はい決めた)
「あのライトを見てたらふと思い出してさ、なんでだろう、ビビってんのかなぼk痛っ! 何さ突然!」
なので彼女は彼女なりのやり方で。
気合を入れろと言わんばかりに青年の背中を引っ叩いた。
「それはこっちの台詞よばかまぬけ、いつまでべらべらべらべら自分語りしてんのよ緊張する暇あるなら明日の運勢でも気にしておきなさいどあほ。
そもそも、出番があると思ってる訳? 私を舐めてるの? 調子に乗るのも大概にしなさいこのモヤシ」
「辛辣過ぎないかい?! いや、まぁ……僕が何もしなくてもアケミが全部終わらせちまうんだろうけどさ、そうわかっていてもやっぱり初陣ってヤツは緊張するわけですよ……てへ」
「チッ」
「あ! 舌打ちしたな!?」
少女・アケミは心の籠った舌打ちをしてみせて、胸元まで伸びた燃えるように紅い紅髪を揺らす。橙のライトに照らされた彼女はその身に軍服のような装飾が施された“戦闘服”を纏っていた。
しっかりとした生地の黒のロングコート。
小柄な身長に反してすらりと伸びた脚を強調するタイトなレザーパンツ。
動きやすさを最重視された戦闘服。
それを着こなす彼女は日常的に口にするような平凡で淡々とした口調で、告げた。
「鬼は全部私が殺すの、わかった?」
言葉に呼応するように、アケミの左手の甲に刻まれた紋章が薄紅色に輝いて、前方の空間がばちりと音を立てて燃え盛った。
そして、道路の先に広がった呑み込まれそうなほど暗い闇を睨みつけた。
視線の先――何処までも続くかのように思える道路の先、そこにある暗闇の奥底で何かが蠢く。
ずしん、
ずしん――。
鼓膜がその音を捉えるたび、コンクリートで作られた地面が振動するのを両脚が感じ取り、何者かの接近を予感させる。
やがてそれは、橙色のライトと薄紅色の炎に照らされて姿を現した。
体長2メートル弱。
青年と少女二人の胴を横に並べた直径よりも太い両の腕。
鎧のような分厚い体毛に覆われた、筋骨隆々の肉体。
額に不格好にジグザグに伸びた一本の長い角。
昔話によく出た、子供が恐怖を抱く対象。
“鬼”であった――。