インスタ中毒
京子はインスタグラム中毒である。
京子はインスタグラム中毒である。朝起きると自分に書かれたコメントを確認し、返事を書く。次に特にお気に入りフォロワーが何に「いいね」を付けたのか見る、その確認のためにメインのアカウントとは別に複数のサブアカウントを持っていた。サブアカでは数人しかフォローしない。投稿もしない、お気に入りを監視するためだけのアカウントだ。それを一巡するだけでも30分はかかる。途中で気になることがあってつかまると、10分や20分は平気で見入ってしまって、朝の出社までの短い時間の中で一巡さえままならない。
京子はインスタグラムは世界を変えたと思う。特に女性の環境を変えた。自分よりブスな女がポーズ一つで1万フォロアー以上を惹きつけ、多数の男から「美しい」と毎日賞賛の言葉を浴びている。女の土日のバイト?のモデル業は盛況なようだ。昔ならまず、プロダクションに採用されない容姿のくせに。今は、自分の作戦と努力で成功すればお金に困らない生活が保障される。顔よりもスタイルよりも作戦だ! そうゆうのがあちこちにいて、我慢ならない。
なぜ、自分はそうなれなかったのか? 昔はSNSが無かったから? もう齢だから? 若い頃はかなりもてた京子だが、四十代が見えてくると段々、男性からちやほやさることも減った。若ければ不細工でも良いのか! 男の現金さに怒りと悔しさにあふれる毎日だが見ないわけにはいかない。そう、京子は完全にインスタ中毒なのである。
そもそも京子はインスタグラムに気が付くのが遅かった。SNSでうわべだけの「いいね」や賞賛が嫌いということもあったし、会社だけでも大変なのに、なんで顔の見えない人間関係を増やさなければならないのか理解できなかった。絶対ストレスが増える。どんな人間がいるか分からないのに自分の情報、インスタではさすがに本名や住所を書いている人は余り見ないけど、何を買ったとか、何を食べたとか、どの芸能人がお気に入りだとか、髪形をこうしたとか、自分のプライバシーを世間にさらすなんて、変質者が見ているかもしれないし、得は何も無い、何より恥ずかしいことだと思っていた。
しかし、どうも今はそれが当たり前のようなのだ、かつ、そうゆう情報発信で自分を世間に売り込む人間が得をしている、成功しているようだ、と最近気が付いたのである。ならば自分も、その流れに乗らなくては損をしてしまう、と考えるのに時間はかからなかった。
仕事中も気になる。トイレにスマホを持ち込んで、複数の、もっぱら女の動向を観察してしまう。言葉を変えれば、ストーカーである。若さだけが取り柄の気に入らない女がどんな写真を投稿したか、誰に「いいね」をしたか、誰から「いいね」をもらったか、ババアのくせに芸能人気取りの四十女が今日は何を食べたのか、悪意に満ちて観察する。ストーカーする。時々、応援の振りをして、わからないように皮肉を込めた書き込みをする、、、我ながらなんという悪趣味だろう。
そう、インスタグラムは多くの市井の女性を芸能人のようにした。都会に住んでいようが、田舎だろうが、自分の写真をアップすれば、固定フアンが付くのである。ブスでもデブでも付く、間違いない。プロダクションもオーディションもいらない。偉そうな専門家の誰かに評価さる必要も無い、直せと言われない、ありのままを自分を世界の人々に評価してもらえるツールが出来たのである。
今までマスコミが作り上げた画一化的な良い女のイメージ、体は痩せているのが良いとか、顔が良いのが良いとか、おっぱいは大きいほどいいとかの最大公約数的な価値観は全て崩壊したと言っていい。もちろん、そうゆう刷り込まれた良い女が良い馬鹿男も多数いるが、インスタの世界ではブス好き、デブ好き、熟女好き、貧乳好き、女装子好き、様々な男があふれている。
その流れに気が付いた女の中に、自分のヌード写真をプロに撮ってもらおう、と思う人々が出現している。その綺麗な姿をインスタで披露したいという欲である。実は京子もこの間、撮ってもらった。プロではないようだが、インスタの世界では数千フォロアーがいて、その人が写真を上げると、あっという間に数百の「いいね」が付く。綺麗なヌードを撮るという評判のカメラマンだ。
京子が一番驚いたのは、女性のヌードを撮るのに、無料、もしくは女性の方からお金を払う、というインスタの常識である。昔は(今でも?)女性のヌードはお金になったのではないか?お金をもらうのは女性の方だったはずだ。それがなぜ? 考えてみると写真館で写真を撮れば、撮られる方がお金を払うわけで、それと同じだと考えれば違和感ないのかもしれないが、、、。まして、お金を払ってまでヌードを撮ってもらうなんて。
フォロアーを細かく見てみると、売れないモデル、芸能人が満載で、彼に撮ってもらうと一種のステータスになり仕事が舞い込む?ということなら分からなくもない。でも、そうゆう人は多くない感じ。純粋に自分のヌードを写真の上手い人に撮ってもらい、それを世間の人にも見てもらいたい、という欲のようである。京子自身も体の線も崩れてきたけれども、とりあえず今の体を撮ってもらい、多くの人に「いいね」されたくて出向いたのである。まだまだ自分は女の魅力があるでしょう?と世間に確認してみたかった。
マンションの小さな一部屋の「スタジオ」で彼女は服を脱ぎ、小一時間撮影した。後は事前に打ち合わせたように合成で好みの背景を例の中から選んだ。モデル名は偽名で適当に、顔も本人と分からないように斜めからのだけにして、とお願いした。後日、合成も入れて出来上がった写真がメールで届いた。彼はそれを自分のインスタにアップするだろう。インスタの場合、ヌードといっても乳首や局部を出してはいけないようである。彼はその修正、合成の手法に評判があった。
無地の布の前で撮ったヌードだが、出来上がった写真は廃墟の古城の中で舞を踊る女性のように見える。すごく素敵! 彼のサイトにアップされて、あっという間に数百の「いいね」が付く。さっそく京子も「いいね」して、感謝の意図を伝えた。掲載以外の数枚もメールで送ってもらっていて、いずれも気に入った。インスタの世界では彼は女性に無料で奉仕するカメラマンという下僕なのであった。生活に必要なお金は他にある本業で稼いでいるようであった。
女性のヌードを男性ではなく、女性が楽しむ、自分のために楽しむ、他人に見せて賞賛される時代になっのだ! 京子はカメラマンとはいえ他人に裸体をさらす行為の善悪は考えていない。両親が知ったら怒るかも知れない。でも、知られることはないだろう。全裸で撮ったので、編集前の写真には乳首も局部も写っているだろう、でも彼から流出することもないだろう。
また撮ってもらいたくて、彼の写真がアップされるたびに「いいね」を付けて彼にアピールする。そうこうしている間にそれを見た他のカメラマンからヌード撮影のオファーがあった。オファーした彼の過去の作品をインスタでチェックし、良さそうなのでOKを返信する。来週、ヌードを撮ると言うだけで、身が引き締まる、ダイエットにもエクササイズにも気が入る、良いことだらけだ、生きてて良かった、今はそれが幸せ。
最近、インスタグラムを始めた筆者はインスタグラムの常識と、その世界を自由に闊歩する女性たちに混乱するばかりでした。自分の頭の中を整理する意味で、とりあえず、まとめてみた次第です。